「お話(仮)」
腕組みをして盤上のチェック模様を見下ろしていたノアの顔がふいに輝く。
「アハハハッ……」
その細い指が掴んだ駒――黒の“Bishop”。
魔術師は音もなくボード上を滑り、行き着いた先。
そこでは白い兵士がマスを守っていた。
(ねぇ、何でコクハクしないの?)
オリバーの言葉が頭から離れない。
彼を送り届けた後、コウミは少し頭を冷やそうとロビー階のデッキに出てきていた。
「告白だなんて、できっこないですよ」
会場へ戻ろう。溜息交じりにそう決心し、暗い海に背を向けた。
――その時。吹きつけた生ぬるい潮風に、勢いよく彼女の前髪が躍った。
(ヒヒヒヒ……お譲さん、コンバンワ……)
消え入るようなかすれ声。
姿の見えない声は、ゆっくりと何度もコウミの周りを旋回した。
(ちょっとだけ、力を貸してもらいますョ。大丈夫、キミは何もしなくてイイんだからねェ)
「や、やめてくださ……っ」
次の瞬間、コウミの全身から力が抜けた。
(ご協力、感謝しますョ。お人形さん……)
うすれゆく意識の中、彼女は最後にぼんやりと、金髪の男の輪郭を見た。
○
ファンファーレの音を合図に、会場全体に拍手の渦が巻き起こる。
「いよいよ主役のお出ましね」
クリスは室内後方寄りのテーブルから、明るく照らされたステージに目をやった。
司会のアナウンスに続いて静かに幕が上がり、舞台袖から姿を見せた細身の女性。
(二代目社長、ビアンカ・ゴルゴンゾーラ。皆様、もう一度盛大な拍手でお迎え下さい!)
「ビアンカ?」
切れ長の目に、すっと通った鼻すじ。クリスは息を呑んだ。
すると、すぐ隣で料理を食べていたグレーシャが小声で尋ねる。
「もしかして、あの人もクリスの知り合いかい? 全く、あんたってヤツは顔が広いねぇ」
「まぁ、昔の知り合いというか……それとも、ついこの間知り合ったばかりとでも言うのかしら?」
クリスは苦笑する。
壇上のビアンカは大人になっていたが、今でもあの頃の面影を十分残していた。
ただ、角が取れたのか、その表情は当時とは違う、どこか穏やかなものに感じられた。
「すっかり立派になっちゃって、もう」
「何だい? まるで保護者みたいな物言いだね。あんた一体何歳だい?」
「?」
そんな中、クリスはふと背後に気配を感じ、会場の入口方向に目をやった。
――半開きになった扉の影からステージを凝視している長身の男。
しかし、視線に気付くや否や、男はフードをさらに深くかぶり直し、逃げるように姿を消した。
「……悪いけど、アタシちょっと抜けるわ」
「え? どこ行くのさクリス?」
そんなグレーシャの言葉をよそに、クリスはテーブルを離れ、足早に会場を後にした。
「……」
去りゆく背中を見詰めるシヴァ。
「なぁ、クリスの奴、なんか変だったと思わないかい? ひょっとして……」
直後、シヴァは無言で席を立った。
「待ちなよ。そいつは置いてけば? あたいが看てっからさ」
グレーシャの指が、シヴァの手元の鳥へ向く。
シヴァは少し考えてから、動かぬそれを彼女に託し、ひとり後方の出口扉へ駆けて行った。
がらりと空いた両隣の椅子。それを交互に眺めた後、グレーシャは俯き加減に呟いた。
「あたいは何やってんだろうねぇ。あんたは笑うかい? クロウ」
○
(どうやら“ケモノ”が一匹、近くにいるみたい)
閑散としたロビーを歩くクリスの脳裏で、ヨウの言葉が蘇る。
「でも、どうして……」
「クリスさん?」
ふいに背後から呼び止められ、クリスは声のした方向を振り返った。
「あら、コウミちゃん。パーティーはいいの?」
「それが、その……何だか体中が熱くて、思わず出てきてしまいました」
「きっと飲み過ぎたのね。少し横になって休んだ方がいいわ」
素早くコウミに肩を貸し、ロビー中央のソファへと誘導するクリス。
「優しいんですね。じ、実はですね、クリスさんにお願いがあるんですけれど……」
「アタシに? 何かしら?」