「お話(仮)」
奥へ続く道の先、少し離れた所にたたずむ人影が視界に飛び込み、彼は息を呑んだ。
そこにいたのは、鮮やかな紅い毛皮のストールを首に巻いた褐色肌の女。彼女は黙ったまま、その緋色の瞳でクリスを見詰めていた。
「……驚いたわ」
不思議な雰囲気の女だった。しかし、それ以上にクリスの目を釘付けにした理由は――。
「シヴァちゃん、かと思ったじゃない」
白銀色の長い髪に、孤独を孕んだ瞳。顔立ちこそ違うものの、彼女はどこかシヴァに似ていた。
どのぐらいだろう。しばらく沈黙が続いた後、女はふと身を翻し、暗い道の奥へ姿を消した。
「待って!」
咄嗟にクリスが追いかける――が。
「待つのはてめェだ」
突如、今度は背後から低い男の声が響いた。
「あら、何だか聞き覚えのある声ね」
「それはこっちのセリフだぜ、兄ちゃんよォ」
振り返ると、そこに立っていたのは、夕べ飲み屋で出会ったあの男。その手には、身の丈以上ある巨大な棍棒が握られている。
「カムイ。こんな所でまた会えるなんて、意外ね。探してたプレゼントは見つかったの?」
「まぁな。全く、俺も意外でたまらねェよ」
クリスはその場でゆっくりと視線を動かした。既に、先程の女の姿はどこにもない。
――不思議な女と、奪われた宝石『紅真珠』。
絡み合った情報の糸が、クリスの中でうっすらと一本に繋がり合おうとしていた。
「それより兄ちゃん、てめェだったのか? あの嬢ちゃんのボディーガードってのァ」
「違うわ。それは人違いよ」
肩をすくめて答えるクリスに、カムイはいくらか穏やかな声で続けて尋ねた。
「そうかそうか。じゃ、もう一つだけ聞くが、そいつはてめェの仲間か?」
「……あら。だったらアナタ、どうするつもり?」
「決まってンだろ」
刹那、轟音を上げ、カムイの武器が二人の間の床に刺さった。
「皆殺しよォ!!!」
○
気がついた時、ビアンカは細かい砂利の上に倒れていた。
「痛……。もう、最悪……」
覚えているのは、岩にぶつかる寸前に、スキュラの手が自分を突き飛ばしたこと。
転んだ衝撃で膝が擦りむけ、血がにじんでいる。
「買ってもらったばっかりだったのに、ワンピースが台無し。ちょっと、守るならもっと丁寧に……」
そう言いかけて、彼女は言葉を失った。
「ス、キュラ……?」
「贅沢を言うな。生きているだけ……マシと思え」
スキュラは胸から下を岩に挟まれ動けなくなっていた。岩の下からは、赤黒い血が流れ出ている。
「何で? もしかして、私を庇ったせい?」
ビアンカは初めて見る人の血に戸惑っていた。
「案ずるな。それより、見よ、出口はそこだ。ここまで来れば、あとはお主一人でも問題あるまい」
わずかに動く左手が、前方の道を指し示す。
彼女の言う通り、道の先にはうっすらと外の月明かりが見えている。
「そ、そんな。あなたを置き去りにしろってこと? あなたは私を助けてくれたのに」
「助けた? お主を守るのが我が任務。何度も言わせるでない」
「でも」
スキュラの言葉がビアンカの胸に突き刺さる。そして――。
「分かったわ」
服についた泥を払いながら立ち上がるビアンカ。スキュラは静かに目を閉じた。
「だから、早くこの岩をどけて、一緒に出ましょう」
「?」
予想外の反応に顔を上げたスキュラの瞳に、ドレス姿のまま岩にしがみつく少女の姿が映る。
嘲笑と共に、スキュラは小声で吐き捨てた。
「……愚かな娘よ」
「弱い弱い弱い弱いッッ!!」
桁外れな怪力でカムイが棍棒を薙ぐ。
それを紙一重でかわし、クリスは素早く横方向へ跳んだ。
振り返ると、今まで立っていた位置にあった岩壁が一瞬にして粉と化している。
「あんなのに当たったら痛いでしょうねぇ」
「そんな口叩いてる余裕があんなら掛かってこいや。俺はなァ、今、猛烈に胸クソ悪ィんだよ!」
武器の柄で風を切り、第二撃を仕掛けるカムイ。
「待って、落ち着いて話を聞いて。アナタとは戦いたくないの!」
「うるせェ! 戦いたくねェ……だと? あんな酷い殺り方しやがって、何が話し合いだ!!」
立て続けに繰り出される攻撃は、防戦一方のクリスを徐々に壁際へ追い詰めていった。