「お話(仮)」
(大丈夫。アタシ達ならきっと出来るわ)
いつか、何処かで聞いたことのある言葉だった。
それに対して、彼女は同様に何処かで言ったことのある言葉を返した。
「クリス……違う。私は、お前が考えているような人間ではない」
シヴァははっとした。水はもう、彼女の顎のすぐ下まで迫っている。
そして、彼女は思い出した。
あの日、雪山を上りながら、吹雪の中で聞いたその答えを――。
(あら。アタシは、どんなシヴァちゃんでも好きよ)
「The endね」
井戸の淵に腰掛けたまま、そっと水面を撫でてキャシーが笑う。
「Sorry……。Youとはもっとお話がしたかったのよ」
水底に消えたシヴァに囁きかけるキャシー。
濁った水で満ちた井戸は、彼女の心を映す鏡のようでもあった。
「怒らないでね。そっちには、アナタの王子様が二人もいるじゃない。だから……」
「探しましたよ、キャシー」
その声に振り向いたキャシーは見た。
「さすがね、クロウちゃん。顔色が優れないみたいだけれど、立っているのが精一杯って所かしら?」
細い木の幹にもたれるクロウを横目に、彼女は再び微笑んだ。
確かに、その髪間に見える肌はいつも以上に青白く、呼吸すら乱れているように感じられた。
「毒が回ったその体で、princessを助けに行くつもり?」
「その必要は……ありませんよ。私がここへ来たのは、傍観者としてです……」
ふらつきながら、一歩また一歩とクロウがキャシーに迫る。
「貴女の策には、一つ致命的なミスがある……。キャシー、貴女は知らなかった……」
――――シヴァを。
刹那、何かが跳ねる水音と共に、不気味な鱗のようなものが背後からキャシーの首を絞めた。
「!!」
鱗の先端を飾る七色の尾ひれ。鋭く伸びた爪の間にのぞく水掻き。
「まさか! これが……シヴァ、なの!?」
「まさに、マーメイド。……美しい……」
そう言い終えるや否や、クロウの体を紅い煙が覆い、そして光が消えた時、そこには一羽のカラスが横たわっていた。
ぽつりと、降りだした雨粒がその羽を濡らす。
「僅かな雨ニモ堪えられヌ哀れな蝶ョ……深い深い我ガ闇ヘと堕チルカ?」
「ひっ、ひぃっ!!」
次の瞬間、まるで岩を落としたような激しい水音が辺り一帯に響き渡った。
○
柔らかいベッドに身をうずめた途端、急激な疲労がビアンカを襲う。
ここはエンデュミオン島西部、チェバ地区にある唯一の宿。辿り着いた時、町の明かりはほとんど消えていたが、宿の主人はビアンカの顔を見るなり、最上階の部屋を二つ用意してくれた。
「ねぇアンバー。さっきのアレ、もう一度よく見せてよ」
アンバーは敢えて気付かないふりを続けていたが、ビアンカは譲らない。
「あら、そう。それなら命令するわ。さっきの鳥の瓶、見るだけだから、今すぐ出しなさい」
「ですから、これは遊び道具ではなくて……」
仕方なしに彼はポケットから小瓶を取り出し、親指で蓋を押さえたままビアンカに見せた。
「不思議だわ。一体どういう仕組みになってるのかしら?」
瓶の中では、四角形の小石が相変わらず空中を漂っている。
「じゃ、これ借りるわね」
そう言うなり、彼女は素早くアンバーの手から小瓶をもぎ取り、頭から布団をかぶった。
「お嬢様!」
「いいでしょ。明日の朝には返すから」
頑なにシーツを離そうとしないビアンカに根負けした様子で、アンバーはひとつ溜息をつく。
「分かりました。その代わり、これだけは約束して下さい。何があっても決して瓶の蓋を開けない事。いいですか?」
「……約束するわ」
「重ねて申し上げますが、これは遊び道具ではありません。使い方を誤ると、とても危険な……」
「……」
返事はない。言葉を止めて見下ろすと、少女はシーツにくるまって小さな寝息を立てていた。
「お休みなさいませ」
同時に部屋の外で、ほうき星が一つ、澄んだ夜空を流れて消えた。
「あっ、流れ星」
隣室の窓から遠くを指差し、目を覚ましたサラが枕元のクリスに囁いた。
夜空に瞬く無数の星々。まどろんだ瞳でクリスを見詰め、少女は思い出したように喋り出す。
「あのね。ママが言ってたの」