「お話(仮)」
「……別に」
真上に浮かぶ紅い月。
静けさの中、シヴァは小さく頷くと、黙って耳から外したピアスをキャシーに手渡した。
「Thank you」
シヴァの手を握るキャシー。その口元に笑みが覗く。
と、次の瞬間、地面から伸びた重い手枷がシヴァの両腕の自由を奪った。
「な……っ? 罠か!?」
「あら、そんなコワイ顔しないで」
その後、彼女はどこか遠い眼差しで、鎖に繋がれたシヴァの頬を撫でる。
「どうしてmeを愛してくれないの? ノア様」
「っ?」
「キャシーはノア様のためなら何でもいたします。アナタのNo.1になるためならば、何でも」
直後、キャシーの全身が煙に包まれ、同時に飛び立つ一羽の蝶。
「Good bye」
その声を合図に、井戸の上部から大量の水が噴き出した。
○
「ねぇ、そこの手品師さん」
クリスが酒場の出口から、夜道を行くビアンカ達を呼び止める。
「警戒しないで、敵じゃないから」
サラをおぶったまま二人に追いつき、歩きながら彼は持ち前の人懐っこさで話を続けた。
「アタシはクリス。ねぇ、これから宿屋に行くのなら、ご一緒させてもらえないかしら? この子をお布団で寝かせてあげたいんだけれど、ちょっと飲み過ぎちゃって……」
そう言って、空っぽの財布を片手に肩をすくめるクリス。
「イヤよ。何でこんな所で酔っ払いの世話までしなきゃいけないの。行きましょ、アンバー」
「ちゃんと後でお礼はするわ。お父様の会社の手伝いでも、『牙』の任務でも、何でもね」
刹那、アンバーの眼差しが鋭さを増した。
「『牙』は先日、極秘に結成された組織です。それを何故、外部の人間が……」
アンバーが振り向く。その顔は、普段の彼の表情だった。
「クリスさん。チェバに着いたら、少しお話をしませんか?」
「えぇ、いいわね」
短く頷き合った後、アンバーは再びビアンカの手を引いて歩き出す。
「うふ。アナタの家庭教師さんに誘われちゃったわ」
「バカじゃないの」
ビアンカは不機嫌そうに顔を背け、その耳飾りの中でクリスはにっこりと微笑む。
そんな一行の後ろ姿を路地裏から見詰める者達がいた。
「さっきは、よくもオレらをコケにしやがって」
先程の盗賊達だ。
「チッ、あいつらさえいなけりゃ今頃……」
「オイ、てめェら」
「?」
同時に背後の暗闇から太い腕が現れ、一度に男達の首を締め上げる。
「あいつらがいなかったら何だって? その時ゃ、代わりに俺がやってたまでよ。馬鹿野郎共!」
振り返った男達の目に飛び込む赤毛の男。
「せっかく人が気持ちよく酒飲んでるのを邪魔しやがって。酔いが醒めちまったじゃねェか」
そこに立っていたのは、他でもないあの大男。盗賊達は揃ってその名を呼んだ。
「おカシラ!」
そう。彼こそが、盗賊団『ケモノ』の頭領――――カムイ。
「けどまぁ、おかげで面白ェモンが見つかった」
両腕に挟んだ手下達の顔をぐるりと通りの方向へ戻すと、標的を狙う獣の目でビアンカ達の背中を見据え、カムイは低く呟いた。
「間違いねェ。……『紅真珠』だ」
○
次第に足元を侵してゆく冷えきった水。
シヴァは俯き、暗い井戸の底を睨んだ。
水の進行は思いのほか速く、既に腰まで浸かってしまっている。
一方の手枷は完全に錆ついているようだ。何とか抜け出そうと抵抗してみたものの、彼女一人の力で外せるはずもなく、錆の痕だけがその腕に残った。
「もはや、これまでか」
溜息交じりに一言そう呟いた後、彼女は目を閉じ、冷たい濁流に身を任せた。
――と。
(諦めちゃダメよ!)
懐かしい声が聞こえた。
同時に瞼の内側に蘇る、陽だまりの笑顔。