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「お話(仮)」

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(同じ顔は二つもいらない)
 シヴァの脳裏で、先程のノアの言葉がよぎる。
 あの後のことはよく覚えていない。ここで頭を冷やせという意図なのだろうか。気付いた時、ノアの姿は何処にもなく、彼女は一人でこの場所に横たわっていた。
 短く切られた髪の毛が、夜風を受けて冷えきった頬に触れる。
「何故、お前はいつも私を殺さない?」
 僅かに見える丸い空を仰ぎ、彼女は闇に尋ねた。
「お前がその気になりさえすれば容易いことだろう。なのに、何故だ?」
(……別に)
 耳を通して聞こえた訳ではないが、暗闇の向こうでノアがそう答えたような気がした。
 そんな孤独な時間がしばらく過ぎた頃、彼女はこちらに近付いてくる微かな足音に気付いた。
「誰だ?」
「久しぶりね。Do you remember me?」
 続けて頭上から顔をのぞかせたキャシーがにっこりと微笑む。
「どうした。私を笑いに来たのか?」
「Non、non。今日は、youにとっておきのnewsを持ってきたのよ〜」
 キャシーは空中を舞うように井戸のふちを滑り降り、そっと至近距離で続けた。
「ねぇ……もう一度、あのクリスとかいうboyに会いたくない?」
 途端にシヴァの顔色が変わる。
「何、だと? あいつは、クリスは生きているのか?」
「その答えは“Yes”&“No”。きっと、どこか次元の狭間に飛ばされたのね。死んではいないみたいだけれど、帰ってこれないのならghostと同じかもね」
 そう言って、彼女はじらすようにシヴァの反応を伺った。
「引き戻す、その方法を、お前は知っているのだな?」
 すると、キャシーはシヴァの傍らに立ったまま、自身の唇に人差し指を当てて笑う。
「簡単に言えば、ノア様がなさったのと同じ“奇蹟”を、今度はyouが起こせばいいだけの事。そして、そのsecret keyは……」
 静かに、その指がシヴァの耳元へ向いた。



 ここは、エンデュミオンの大通りに面した大衆酒場『レクイエム』。
 店内では多くの常連客が、それぞれに国の行く末を案じてせわしなく語り合っている。
 そんな風景に不似合いな二人組が、奥の席で何やら揉めているようだった。
「ああっ、もう! 何て騒がしいカフェなの!」
「お嬢様、あまり大声を上げないよう……」
 一人はまだ幼く、高価そうなレース刺繍のワンピースを着た少女。もう一人は銀髪を後ろに束ねた青年で、服装から察するに、どこかの執事か家庭教師といったところだろうか。
「だいたい、何で私がこんな面倒くさい事やらされてるの? たかがカリブディスのお尋ね者……」
「ビアンカお嬢様!」
 褐色の手で少女の口をふさぎ、青年は小声で続けた。
「軽はずみに口にする内容ではありませんよ。ただでさえ、今この国民達は戦争で気が立っているのですから。わざわざ喧嘩を買いにいくようなものです」
「喧嘩ふっかけられたって、負けないくせに。……ま、揉め事は起こすなってパパも言ってたしね」
 ビアンカと呼ばれた少女は、そう言って青年の袖口からのぞくタトゥーを横目に笑う。
「さて。もうすぐお茶の仕度が整いますよ」
 爽やかな笑顔で話題を切り替え、青年は水玉模様のカップをテーブルに広げると、慣れた手つきで湯気の立った紅茶を注ぎ込んだ。
 ティーカップの中に映った照明の炎。
 直後、水面が揺らめき、吹き込んだ夜風と共に新しい客が店内に姿を現した。

 扉を開けて酒場に入るなり、クリスは中の様子を見回した。
 八割ほど埋まった椅子には、地元客らしき男達と――少女を連れた色黒の青年。
「あの子は……ここにはいないみたいね」
 ルージュに会えば何か分かるかと期待して来たのだが、それらしき姿は見当たらない。
 そこで彼はサラの手を引いて店内を横切り、ちょうど二つあいていたカウンター席に腰掛けた。
 カウンターの奥では、マスターがこちらに背を向けたまま、壁際のラジオにかじりついている。
 時代遅れの箱型ラジオ。中からは、ノイズ混じりの声が淡々とカリブディスによるエンデュミオン侵攻のニュースを告げていた。
 サラと並んでその放送に耳を傾けているうちに、ふとクリスの脳裏を一つの仮説がよぎった。
「おっと、すまないね。お客さん、何飲むかい?」
 ようやくクリスに気付いたマスターが振り向いて尋ねる。
「ねぇマスター、今日って……」
「あぁ、今日入ってきたブランデーの銘柄だったら」
「そうじゃなくって」
 カウンターから身を乗り出し、クリスは真顔でずっと引っ掛かっていた疑問をぶつけた。
「教えて頂戴。今日って、何年の何月何日?」
 思わぬ質問にマスターは目を丸くし、一瞬、店内の空気が静まり返る。
作品名:「お話(仮)」 作家名:樹樹