「お話(仮)」
顔に垂れた前髪が、張りつめたその感情を隠す。
「へぇー〜、意外。シヴァの口からそんな言葉が聞けるなんて」
「今回の事でよく分かった。お前は脅威だ。たとえ何処へ逃げようとも、お前のその鼻が私を嗅ぎつけ、その爪が私を貫く。ならば、いっそ」
俯き加減に、シヴァは羽織っていたコートの中へ片手を入れた。そして――。
「この場で全てを終わらせる!!」
ナイフの鋭い刃が躍った。
刹那、破れた天蓋布の奥でシヴァが目にしたノアの顔。
彼女は獣を見た。
「ちょっと会わないうちに、ずいぶん熱くなったじゃん。でも……死ぬのは多分僕じゃないよ」
長い前髪を掻き上げながら、ゆっくりと腰を上げてノアは言った。
「だって、僕強いから」
「!!」
激しく一度、シヴァの鼓動が高鳴る――その間に全てが終わった。
「ね」
倒れたシヴァに背を向けたまま、ノアはまだ彼女の温もりの残る短刀を弄んで笑う。
「同じ顔は二つもいらない」
血の色をした王者の瞳がナイフの刃に映る。
その後ろでは、細い髪の毛がまるで雪のように、きらきらと光って宙を舞っていた。
○
細雪が降りしきる中、丘陵地を疾走するスキュラの足取りに合わせ、無機質な靴音が木霊する。
「ほぅ、ようやく本物の刺客の登場か……」
目指すチェバ地区は、前方の丘をひとつ越えた先。
だが、そこで右側に敵の気配を感じ、スキュラは止む無く左方向へ進路をとった。
(軍師殿。このまま逃亡を続けて、何処へ向かうおつもりですかな?)
黒い草むらの向こうから聞こえる、嘲るような男の声。
「愚問だな。“不老”を手に入れし今、我が行き着く先はただ一つ……」
――不老不死。
恐らく、チェバにいた伏兵と合流したのだろう。彼女を追う足音は次第にその数を増していた。
(否。貴殿の行き着く先……、それは冥府なり)
直後、逃走を続けるスキュラの視界が開け、彼女は息を呑んだ。
荒海に突き出した断崖絶壁。
「成程、これを狙っておったか」
崖のふちで足を止めて後方を振り返ると、そこには予想通りの面子が顔を並べていた。
「さて、軍師殿。『SILVER・EYE』をお返し下さいますかな」
かつての腹心が鎧集団から進み出、勝利を確信した表情でスキュラに詰め寄る。
「今ならば、陛下も命までは咎めぬ事でしょう。もっとも、多少の罰は覚悟していだだきますがな」
「……下らぬわ」
銀色の半月の下、スキュラの口元に笑みがのぞく。
「お主らはもう用済みだ」
次の瞬間、その場にいた兵士達は揃って我が目を疑った。
スキュラは海を背にして両手を広げ、秘宝ごと崖からその身を投げたのだった。
丘の頂上。一際見晴らしの良い場所に立てられた、真新しい十字架。
女の亡骸を埋葬し終えたクリスは、最後に花の首飾りをそっと墓標に手向けた。
「それにしても、この子」
そのまま彼は、近くの木陰で眠る少女の顔を覗き込む。
栗色の三つ編みに、左目の下の泣きぼくろ。年齢こそ違うものの、その顔立ちは昼間知り合った歌姫ルージュとよく似ていた。
背後には、赤い屋根の時計塔。
爆撃を受けて狂った時の針を横目に、クリスはおぼろげに感じていた。
ひょっとすると、ここは――。
「ん……んん」
そんなクリスの傍らで少女が目を開け、辺りを見渡しながら彼女は問うた。
「ママは、どこ?」
言葉に詰まり、背後の十字架に目をやるクリス。
少女サラはしばらく首を傾げて墓標の首飾りを眺めていたが、その後、顔をクリスの方へ戻して再び問いを投げかけた。
「ママは、どこ? おにいさんは……どこのおうちの人?」
「そうねぇ」
いつしか雪は止み、二人の頭上には、皮肉なほど満天の星空が広がっていた。
○
乾いた井戸の底で、シヴァはひとつ溜息をついた。
足元の苔まみれの手枷から察するに、ここはもう長いこと使われていない拷問部屋のようだ。