「お話(仮)」
殺気の塊と化した巨大な熊。クリスは黒幕を探すも、見える範囲にそれらしき人影はない。
「仕方ないわ。シヴァちゃん、この子をお願いね」
そう言ってオリバーをシヴァに託すと、クリスは熊と向き合い、背中に掛けていた武器を抜いた。
背丈よりも長い金属製の棒。だが、彼が手元を軽く動かすと、棒の内部から大小二つの刃が現れ、瞬く間にそれは二重構造の大鎌と化した。
「アタシの相棒『ローズ・マリー』よ」
「クリス兄ちゃん、うしろ!」
しかし、そんなやり取りを傍目に、熊がクリスめがけて突進する。
「んもぅ、せっかちなんだから……」
巨大な黒い影が迫る中、クリスは素早く地を蹴ると、熊の肩に飛び乗って武器を振り翳した。
「!」
シヴァ達の見詰める先で、ふいに月光が大鎌の刃に反射し、まぶしさに二人は目を閉じた。
先に目を開けたのはシヴァだった。
暴れる熊の肩から滑り下りるクリス。ところが、彼が体勢を立て直すのを待たず、熊がその鋭い爪でクリスに襲いかかる。
――が。
「あんまり動くと痛いわよ?」
熊に背を向けたままでクリスが囁く。
と、熊の胸に袈裟状の赤い筋が走ったかと思うや否や、熊は血を流してその場に崩れ落ちた。
「たった一撃で、熊を……?」
唖然として立ちつくすシヴァとは対照的に、オリバーが目を輝かせてクリスに駆け寄る。
「お兄ちゃん、強いんだね! すごいや!」
クリスの袖を掴み、オリバーは続けた。
「ねぇ、ぼくに武術を教えてよ! ぼく、強くなりたい! 強くなって、母様や家のみんなを守れるようになりたいんだ!」
「そうねぇ」
真っ直ぐな眼差しから少年の思いを感じ取り、クリスが微笑む。
「分かったわ。おうちに着いたら稽古してあげる」
「本当に? 絶対だよ。約束だからね!」
月明かりの下で絡み合う二本の小指。
「あっ」
ふと、そんなオリバーの腕を猫がすり抜けた。
一本杉の裏側へ回り込んだ猫を追いかけて歩き出すオリバー。
刹那、シヴァが低い声で言った。
「……その先は危険だ」
オリバーが立ち止まったのとほぼ同時に、大樹の裏から不気味な薄笑いが響く。
「その殺気、アナタが熊使いね?」
クリスが再び武器を構える。すると、声のした場所の空気が震え、そこから一人の男が現れた。
「あら。猫ちゃんがあんな所に」
男に首の皮を掴まれた状態の黒猫を指差し、クリスは困ったように肩をすくめてみせる。
「気をつけろ。あの男……」
「分かってるわ」
猫を持つ男の右手。そこには、熊の形の刺青が刻まれていた。
「やっと会えたわね」
鋭い視線を男に向けたまま、クリスとシヴァは声を揃えて呟いた。
「アカイケモノ」
――紅い獣。
それは、右手に獣の刺青を宿す者。
獣の心を持ち、同種の生物を統べ、
時には己の姿をも獣へと変化させる能力者らの組織――
おもむろに、男の手の印から噴き出した紅い煙が彼の体全体を包んだ。
そして、数秒後、煙の中から三メートルはあろうかという巨大な熊が姿を現した。
「これが、“紅い獣”の変身能力……なのね。はじめて見たわ」
先程の熊とは比べ物にならない、凄まじい殺気。
「戦うしかなさそうね」
一つ呼吸を整えると、クリスが先手を取り、大熊めがけて正面から『ローズ・マリー』を仕掛けた。
しかし、熊は怪力で手前の木をなぎ倒し、クリスの攻撃を封じる。
激しく枝を鳴らして根本から木が折れる。しかし、その軌道の先にはオリバーの姿があった。
「しまっ……!」
立ちすくむ少年に倒木が迫る中、割って入ったクリスがオリバーを抱え紙一重で退避する。
が、その隙を待っていたかの如く、熊の鋭い爪がクリスめがけて襲いかかる。
「っ」
間に合わない。クリスはオリバーを庇ったまま防御態勢を取った。
その時、背後から飛来した何かがクリスの頭上をかすめて熊の脇腹に刺さった。
「ナイ……フ?」
驚いてクリスが振り返ると、そこではシヴァが小型ナイフを両手の指間に構えて立っていた。