「お話(仮)」
倒れた敵を前に、甲冑についた返り血を拭うローレライ。
しかし、息つく暇もなく、迫り来る大勢の足音が彼女の耳に届く。
(副隊長! カリブディスの兵が!)
(敵は……およそ二十か。ここは私が食い止める。ローレライ、お前達は姫様をお守りせよ!)
(はっ! どうか、ご武運を!)
副隊長に向けて短く敬礼を交わすと、彼女はもう一人の兵士と共に奥の船室へ駆け込んだ。
そして――。
(申し上げます! 敵はもう、すぐそこまで……!)
仲間の少年兵がそう叫んだ。
(ぐぅ……、もはやこれまでか。否っ、姫だけは……姫だけは我々の命に代えてもお守りするのが、亡き陛下への最後の忠誠! 良いな!!)
あごひげの隊長が、万策尽きた面持ちで低く唸る。
そんな中、ローレライが一歩前へ進み出て口を開いた。
(隊長。ひとつ私に考えがあります)
次の瞬間、足元が大きく揺れ、轟音と共に船内全ての明かりが消えた。
(この私が、姫様の影武者になりましょう)
(何だと? 正気かローレライ? 兵士であるお前が、姫様の身代わりになると申すか!?)
(敵の狙いは姫様の命。それさえ果たせば、奴らはここから去るはずです。そして、幸いにも……)
そこまで言うと、ローレライはかぶっていた甲冑を静かに脱いだ。
闇の中、美しいロングヘアが微かな月明かりを浴びて輝く。
(この闇は我々の味方です)
(やめて、ローレライ!)
強風に煽られて船体が傾く。その揺れによろけた姫の体を素早く支え、ローレライは言った。
(姫様。あなたは我が国の希望です。ここであなたが生きなければ、犠牲者達も報われません)
姫の手中で揺れるスズランの花。
(ご安心下さい。私は姫様の影となり、これからもずっとあなたのお側におります)
ローレライは微笑んで姫の手を握りしめた。
こぼれ落ちた一粒の涙が、ほころびかけた花びらを濡らす。
(我々の為に、生きて下さい)
数人の護衛に囲まれて、王家の装束を纏ったローレライがカリブディス兵達の前に現れた。
(エンデュミオンの、王女様ですな)
敵の将校らしき男の質問に、彼女は黙って頷いた。
(よし。王女をこちらの船にお連れしろ。まずは本国に連行せよとの命令が下っている)
彼女は横目で奥の船室を見た。扉を一枚隔てた先には、兵士に扮した姫がいるのだ。
(その前に、ひとつ要求があります)
仲間達を後ろへ下がらせると、彼女は隻眼の将校を見上げて言った。
(私は黙ってあなた方について行きます。その代わり、この船にいる他の者達はエンデュミオンへ帰して下さい。どうか、せめて彼らにだけでも、祖国の土を踏ませてやりたいのです)
(……承知致しました。さぁ、こちらへ)
揺れる甲板に出て、ローレライは夜空を見上げた。
暗く、大粒の雨が降り注いでいる。そしてそのまま、彼女は敵の大型船へ乗り移った。
ゆっくりと、カリブディスの戦艦がエンデュミオンの船から離れ始めた。
これで良かったのだ。これで姫は助かる。
去りゆく祖国の船を帆影から見送りながら、ローレライは安堵の溜息をついた。
――その時だった。
海が一瞬オレンジ色に染まり、爆風と共に遠くの海面から火柱が立ちのぼった。
(!!)
高いしぶきが視界を遮った。そして……。
(船が……っ!?)
ローレライの目の前で、炎を上げて暗い海に呑まれゆくエンデュミオンの船。
(約束が……、約束が違うぞ!!)
声を荒げて掴みかかるローレライを、将校はただ無言で見下ろしていた。
その口元に、微かな薄笑いを浮かべながら。
ローレライの目から涙があふれた。
(!?)
その時、凄まじい衝撃が水底から船全体を揺るがした。
得体の知れない気配。直後、ローレライは、船の上空を金色に輝く巨大な魚が横切るのを見た。
そして次の瞬間、辺りは突然真っ白になった。
○
『GREENEST』が、音を立てて絨毯に落ちた。
ステンドグラスを通してマリアの足元に降り注ぐ七色の西日。
その後、光の中から透き通った姫の幻影が現れたかと思うや否や、まるでその影に吸い込まれるかの如く、マリアの内へ溶けて消えた。
「…………った。……姫……のち……」
うわごとのようにマリアが繰り返す。