「お話(仮)」
「坊ちゃん! 怪我はありませんかっ!?」
外に出た所で待ち構えていたコウミが、安堵の表情でオリバーの体を抱きしめる。
「うん。作戦大成功! 虫よけスプレーが役に立ったね!」
そう言って、オリバーは満足そうに笑うのだった。
○
――汝の存在を憎み、汝の言葉に耳を閉ざす
そんな父を汝は愛し、その者の為に命を賭すというのか――
闇の中、煙と共に突如現れた鬼がクリスに問うた。
「愛してた……とは、とうてい言えないわね。家庭を顧みない父さんに反発してアタシは家を出たし、事件の夜だって、久しぶりに帰ったアタシを避けるように、あの人は書斎に閉じこもったわ」
俯き加減にひとつ息を吐き、クリスは続けた。
「でも、呪いはしなかった。何だかんだ言ったって、たった一人の父親だもの。それに、復讐の為じゃないわ。一体どうして父さんは殺されたのか、アタシはその理由が知りたいの」
――力とは、即ち諸刃の剣
汝を、そして汝の光に集いし者に、災いをもたらす事となるやもしれぬ――
しばらく考え込んだ後、クリスは顔を上げ、真直ぐ鬼を見据えて答えた。
「それでもいいわ」
その目に迷いはなかった。
「心配しないで。たとえ何があっても、みんなを不幸になんてさせないから」
すると、鬼の指に引き寄せられるかの如く、クリスの懐から出た『蒼炎の書』が空中で開かれる。
――汝の心、我が力を宿すに値する
クリストファーよ、強くあれ…………――
そして、気が付くと、クリスは元いた祭壇の前に立っていた。
目の前に転がった白紙の巻物と、何事もなかったかのように静まり返った氷の神殿。
「クリス」
呼び声に振り向いたクリスの視界に、祭壇の下で待つシヴァの姿が映る。
「どうした? 炎に触れた後、いきなり黙り込んで」
「もう大丈夫よ。ふふ……何だか、とても暖かくて、優しい波動だわ」
「そうか」
その様子から事の次第を理解し、彼女は笑顔で頷いた。
「さぁ、みんなの所へ帰りましょうか」
見詰め合い、微笑みながらシヴァのもとへ手を差し伸べるクリス。
(女の手ってのは、ここぞって時に握るモンだよ、クリス)
グレーシャの言葉がよぎった。そして、彼女は恥じらいながら、そっとそこに指先を重ねた。
「!?」
その時だった。
突如稲妻のような光がクリスの手元から発せられたと思うや否や、得体の知れぬ衝撃がシヴァの体を数メートル先まで吹き飛ばした。
「シヴァちゃん!?」
「な、何だ、今のは……?」
刹那、何処からともなく現れた黒い影が、上空から二人を覆った。
「この時を待っていましたよ」
その声に二人が天井を仰ぐのとほぼ同時に、無数の鳥の羽ばたきの中でクロウが笑う。
「彼に宿りし蒼き力は、貴女の紅き血を拒んだ……」
「クロウ」
「そろそろ察しがつきましたか? 互いの宿命を。そう、彼は二度と貴女に触れる事が出来ない。何故ならば……」
シヴァのすぐ傍に降り立ち、クロウは静かに笑った。そして、今度はクリスに目をやる。
「我々“紅い獣”の頂点に在り、万物を司る絶対者――ノア。貴方はその顔を知っていますね?」
「何……だと?」
驚くシヴァの見詰める先で、クリスは頷く。
「えぇ、スキュラの館にあった書物で見たわ」
「よく思い出して下さい。その目、その口、その髪の色。それら全ては、ひょっとしたら……」
静かに、彼はシヴァの髪留めに手をかけた。そして――。
「こんなではありませんでしたか?」
クロウが一気にそれを引き抜いた瞬間、シヴァの絹のような髪が躍る。
「……っ」
途端にクリスの表情が硬直し、それを見て、シヴァは黙って俯いた。
「嘘よ。シヴァちゃんが“ノア”だなんて……そんなはずないわ」
「信じずとも、それが真実。知らずして、貴方はパンドラの箱を開けてしまったのですよ」
その言葉と共に上空から鳥の大群が押し寄せ、瞬く間にクロウとシヴァの姿を覆い隠す。