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「お話(仮)」

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 第5話 『パンドラの箱』

 クリスの腕の中で身動き一つしないグレーシャ。その体は完全に冷たくなっていた。
「遅かったか」
「こんな事になるなんて。嘘でしょ、目を開けて! グレーシャちゃん!!」
 悲痛な叫びを上げ、クリスは抱きかかえた彼女の体を力いっぱい揺さぶった。
「……ん……な、何……?」
 瞬間、ゆっくりとグレーシャの瞼が開いた。
「え?」
「あ、あぁ……クリスか。遅かったね」
 彼女は驚きで言葉を失っている二人を交互に眺めてから、虚ろな目で笑ってみせた。
「もぅ、死んじゃったかと思ったのよ! どうしたの、何があったの!?」
「だ、だからねぇ」
 クリスの問いに、グレーシャは呂律の回らない口調で答える。
「蛇ってのは変温動物でぇ……周りが寒いと、体温も下がってくんだよ。で、限界まで冷えると」
 彼女はそこで、ひとつ大きなあくびをした。
「こうして……眠くなっちゃうってワケ」
「冬眠か」
 ぼそりとシヴァが呟いた。
「まぁ、とにかく無事で良かったわ。それにしても、ちょっと冗談抜きで寒いわね」
「だったら、ひとまずあの村で装備を整えるってのはどうだい? いい感じの服屋もさっき見つけたし、それに、気になる情報もあった事だしね」
 暖を取るための本能か、クリスの腕に身を絡ませながら村の方向へ歩き出すグレーシャ。
「また寄り道か?」
 二人の背中に声をかけた後、遠くの山脈を振り返り、シヴァは不満げに溜息をついた。

 花の香りが漂う室内を、一羽の蝶が舞う。
「あらあら、顔色が悪いんじゃな〜い? クロウちゃん」
 ふわりと現れた西洋人形のような女が、ソファに横たわるクロウに小さな薬袋を手渡した。
「助かりますよ。それより、あの方の御機嫌は如何ですか?」
「Umm……、今は近寄らない方がbetterね。おバカな蛇ちゃんが裏切ったでしょ? それにしても、あの子の始末と例の“鬼ゴッコ”、youだけで大丈夫なの?」
「心外ですね」
 視線を反らし、指先にとまった蝶を軽くあしらうクロウの手元で、紅い鳥の印が光る。
「少々予定が変わりましたが、むしろ好都合ですよ」
 目に焼きついた蝶の残像が、白い壁に深紅の影を落とす。



 降りしきる雪の中でゆらめく蝶のような輪郭。
 幻だろうか。隊列の最後尾で、マリアは黙ってその様子を見詰めていた。
「大丈夫? はぐれちゃダメよ」
 すぐ前を行くクリスが振り返り、遅れ始めたマリアの体力を気遣う。
 一行はあれから町で身支度を整え、つい先程、北の雪山へと足を踏み入れた。
「ふふ。これ、暖かいわね。シヴァちゃんとお揃いだからかしら?」
 色違いの赤いコートを纏ったシヴァに微笑みかけ、クリスは言葉を続ける。
「手元、寒くない? アタシの手袋、貸してあげるわよ」
「!」
 シヴァの薄地のグローブを眺めながら、おもむろに伸ばした腕で彼女の右手を掴むクリス。
 しかしその直後、彼女は必要以上の力でそれを振りほどく。
「シヴァちゃん?」
「まぁまぁ。女の手ってのは、ここぞって時に握るモンだよ、クリス」
 グレーシャが割って入り、話題を変えるように、彼女は人差し指をクリスの鼻先に立てて言った。
「それより、町での情報のおさらいだけど、この雪山のどこか奥深くに……」
「“彷徨う氷の宮殿”、だったかしら?」
 クリスが口を開き、先程グレーシャから聞いた単語を繰り返す。
「そう。まぁ伝説みたいなモンだけど、まるで生き物みたいに移動する幻の宮殿があるって噂さ」
「で、実際に見た人はいるの?」
「それが、牛飼いの爺さん一人だけ。本人曰く、もう十年も二十年も昔、吹雪の山ん中を歩いてたら急に空が晴れて、いきなり目の前に氷で出来た巨大な城が現れたんだとか」
「急に空が晴れて、お城が、ねぇ」
 そこまで聞いて、クリスは何気なく頭上に広がる灰色の空を仰ぎ見た。
「……ねぇ、何か聞こえない?」
 それは、木々のざわめきとは明らかに異なる物音だった。
 クリスに促されてシヴァ達が耳をすませた次の瞬間、一行の真上で何かが光り――。
「!」
 直後、天から颯爽と降り立った一人の少年。
「オ……オリバーじゃないの?」
作品名:「お話(仮)」 作家名:樹樹