「お話(仮)」
「よっ、船酔いしてないかい?」
突如、背後から現れたグレーシャに肩を叩かれ、マリアは反射的に石を服の中へ隠す。
「ん〜? 何してんのさ?」
覗き込むような動きで近寄り、マリアを見回すグレーシャ。一歩、また一歩とマリアは後ずさり、気付くとすぐ後方には海が迫っていた。
「何なのさ? あたいが怖いってのかい?」
グレーシャが不敵に笑い、申し合わせたかの如く、同時に上空を厚雲が覆う。
波のない海面。鏡にも似た海の真ん中で、船は完全に動力を失っていた。
「あんた、知ってるかい? こんな時、船乗り連中の間でよく使われる言葉があるんだよ」
マリアの腕を掴み、グレーシャは言った。
「……“魔女に捕まった”、ってね」
必死にその手を振り解こうとマリアは抵抗するが、グレーシャは見た目によらぬ力でそれを阻む。そして――。
「!」
船尾の方向で上がった激しい水しぶき。音に反応してクリス達が駆け付けると、そこにはグレーシャが一人、手すりに寄り掛かるようにして立っていた。
「一足遅かったね」
そう言って、彼女は船の外に出した手で、下側に広がる暗い海を示した。
「まさか、マリアを……?」
すぐさま海を覗き込み、大きく身を乗り出すクリス。しかし、それをシヴァが止める。
「やめろ。二人も溺れた人間を助けている余裕はない。ここは船乗り達の手を借りた方が早い」
「船乗り? そいつは一体誰のことだい?」
グレーシャの右目が光り、直後、どこからともなく現れた海蛇がシヴァの足元に絡みつく。
「これは……っ」
咄嗟に払い除けるも、海蛇はいつの間にか、二人の周囲に溢れんばかりに集まってきていた。
「この子たち……あたいの可愛い僕(しもべ)たち。ここまで船を動かしてきてくれた奴らだよ」
ふいに生ぬるい風が吹きはじめ、舵を取る者のなくなった船を大きく揺さぶった。
○
……音楽が聞こえる。
物悲しく、それでいて懐かしい旋律。
その調べに重なるように、マリアの記憶、『GREENEST』の記憶の奥底で、とある情景が蘇る。
……降りしきる雪の中で、城が燃えている。
(余はここに残り、この城と共に果てようぞ!)
炎に包まれた大広間で、王と思しき人物は意を決した形相で玉座に腰を落とすと、自身のマントから金枠のブローチを外して言った。
(愛しき娘よ。其方は死んではならぬ。生きて、生き抜いて、この『GREENEST』を守れ!!)
刹那、目の前の景色が切り替わり、嵐の海を進む船内で、今度は軍人らしき者達の姿が映る。
(姫! 祖国の為、急いでお逃げ下さい!!)
すると、船室の扉が勢いよく開かれ、甲冑を纏った兵士が飛び込んでくるなり言った。
(申し上げます! 敵はもう、すぐそこまで……!)
(ぐぅ……、もはやこれまでか。否っ、姫だけは……姫だけは我々の命に代えてもお守りするのが、亡き陛下への最後の忠誠! 良いな!!)
その時、すぐ脇を警護していた別の兵士が一歩進み出、低い姿勢で口を開いた。
(隊長。ひとつ私に考えがあります)
それは、まだ若い女の声だった。
直後、耳をつんざく轟音と共に、船内全ての明かりが消えた。
(神よ、どうか……姫の命を守り給え!!)
叩きつける波音にかき消される、祖国の旋律。
「!!」
瞬間、海の中でマリアの目が開いた。
「思い出したぞ」
甲板でグレーシャを睨みつけたまま、シヴァは真っ直ぐ相手の目を指差した。
「お前、クロウによく絡んでいたメス蛇だな? その目には見覚えがある」
「だったら何だってんだい?」
一言そう呟くと、グレーシャはそっと右手のグローブをめくってみせた。
手の甲に刻まれた紅い蛇の印。
「その息の根を止めてやる」
「あたいの毒牙は半端じゃないよ」
同時にグローブの指先から尖った刃が突き出し、グレーシャの体が宙に舞う。
「これに触れたら即アウト。十五分で死ぬから気をつけるんだね」
グレーシャが空中から攻撃を仕掛ける。しかし、シヴァはそれをかわすと、素早く横へ跳んだ。
「逃げてもムダだよ」
シヴァの動きを目で追いかけ、着地点を測ってグレーシャは攻撃体勢を取った。
「させないわよ」