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「お話(仮)」

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 至近距離で囁き、濡れた唇でクロウの首筋を撫でるグレーシャ。
 クロウはそれきり何も語らず、答えの代わりに仄暗い笑みが口元に覗く。

 ――翌日。
 東の空を若い太陽が駆けのぼる頃、クリス達は港にいた。
「楽しみね」
「……」
 上機嫌なクリスに背を向けたまま、数歩先を歩くシヴァが対照的な表情で溜息をつく。
「何故つれてきた? 足手まといになるだけだ」
 振り返り、クリスの横に目をやるシヴァ。
 その視線の先には、クリスの手を握って歩くマリアの姿があった。
「しょうがないでしょ。つかんだまま離してくれなかったんだもの。大丈夫、何とかなるわ。院長先生の外出許可も貰ったし、それに、もしかしたら海で記憶のヒントが見つかるかもしれないわ」
「……」
「ねぇ、シヴァちゃん。もしかして……妬いてる?」
「めでたい頭だな」
 それ以上、シヴァは何も言わなかった。
「クリスぅ〜!」
 遠くで声を掛けられ、振り向いた二人の目に、桟橋付近で両手を振っているグレーシャが映る。
「早く〜。もうみんな揃ってるよ〜!」
 急かされながら彼女の所まで行くと、そこには筋肉質な海の男達がずらりと一列に並んでいた。そして、その先には一隻の小型漁船。
「へへっ、どうよ。コイツらみーんな、あたいが集めたんだよ」
 得意げな様子でグレーシャが船乗り達のもとへと歩み寄る。彼女のその豊満なバストが揺れる度、男達の間からは歓声が沸いた。
「よ、よろしくお願いするわ」
「さぁさぁ! んじゃ早速、出発ゴー!」



 港を発ってから数十分。朝日の輝く海面を船は順調に進んでゆく。
 既に視界にあるものは、ただ青い海だけだった。
 そんな中、船乗り衆はずっと変わらぬ調子で、陽気な鼻歌交じりに仕事に勤しんでいた。
「何を見ているんだ?」
 甲板の手すりに身を預け、何やら手元を見詰めていたクリスの背後で、ふとシヴァの声が響く。
「昨日、浜辺で拾ったのよ」
 そう言って、彼は手の中の紙切れをシヴァに見せた。
「ガラス瓶の中に入っていて……どこかの誰かの手紙かしらね」
 そこには、幼い子供の字でこう書かれていた。

 おとうさんへ。
 きょう、おかあさんからきいたよ。
 おとうさんは、うみで、おおきなおさかなになったんだね。
 ひいじいさまが、むかしみた、きんのおさかなよりも、おおきいのかな?
 おおきくなったら、ぼくも、おとうさんみたいなりょうしになって、
 ぜったい、あいにいくよ。まっててね

「魚に……? クリス、ひょっとして、この父親は……」
「そういうことでしょうね」
 単調な声色で呟き、クリスは更にポケットから何かを取り出した。
「小石よ。ホラ、よく言うじゃない。浜辺に落ちてる石には、海で亡くなった人達の念が宿るって」
 その一言に、石へ伸ばしかけた手を引っ込めるシヴァ。
「ふふ。そういえば、シヴァちゃんはお化けが苦手だったわね」
 クリスは笑いながら少年の手紙を石に固く結わい付けると、甲板から思いきり遠くへ投げた。
「お父さんに届くといいわね。この子の気持ち」
 数秒後、石は海面に落ち、泡粒と共に、紙に描かれた魚の絵が大海原を泳いだ。



「風が止んだわ」
 ふいに波が消え、同時に一行を乗せた船がぴたりと動きを止めた。
 そんな中、舳先にもたれた格好で水平線を見詰めていたシヴァが口を開く。
「……嫌な、気配を感じる」

 一方、マリアは船尾で相変わらず海を眺めていた。
 それほど大きな船ではないが、行き交う船員らの体が仕切りとなり、クリス達の姿は見えない。
 何かを感じたのだろうか。マリアはおもむろに、両手で胸元のブローチを握りしめた。
 手中で淡い顕濁色に光る宝石『GREENEST』。その輝きは、彼女の心の鏡のようでもあった。
作品名:「お話(仮)」 作家名:樹樹