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「お話(仮)」

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 並んでテーブルについた三人の目の前に、院長は小さな木箱を置いた。
「これが『GREENEST』じゃよ」
 ゆっくりと蓋が開かれて中身がのぞく。それを見て、クリス達は思わず息を呑んだ。
 金の縁取りがされたブローチ。その中心部では、円形の石が色という概念を超えて輝いていた。
「昔々、噂で聞いたことがある。遥か北方の王家に代々伝わる秘宝があると。この間の嵐が去った朝、私は海辺で倒れているこの子を見つけた。“マリア”という名は私が勝手につけたもんじゃが、目覚めた時、あの子は何もかも忘れてしまっておった」
「記憶喪失ってやつだね」
 グレーシャが口を挟み、閉ざされた扉ごしにマリアのいる奥の部屋を眺める。
「その手にはブローチが固く握りしめられ、さも王族のような装束を纏って……。更に、すぐそばには“エンデュミオン”と書かれた船の残骸があった」
「エンデュミオン?」
 聞き覚えのある単語に、今度はクリスが反応する。
「そういえば、ちょっと前に新聞で見たような気がするわ」
「北の大陸の外れにあるという、地図にも載らない小さな島国じゃよ。もう随分長いこと、隣国のカリブディスと揉めておったようじゃ」
 そこまで喋り、院長は長い息を吐く。訪れた沈黙の中、遠くの波音だけが微かに響いていた。
「さて。そろそろ検温の時間じゃな、マリ……」
 時計を見ながら院長がマリアの病室の扉を開けた瞬間、吹き抜ける乾いた風。
 直後、揃って室内を見回した一同の視界に、開け放たれた窓辺に転がった車椅子が映り込む。
「マリア?」



 肌を優しくなでる潮風。夕日が海を柔らかいオレンジ色に染める。
 海辺にひとり佇み、マリアは海を眺めていた。
 穏やかな風のリズムや、打ちつけてはすぐに引いていく波の調べ。それらはまるで、水平線の彼方から懐かしい音楽を運んでくるような気がした。
 その旋律に耳を傾け、そして、彼女は目を閉じてゆっくりと潮風を吸い込んだ。
「さ、帰りましょう」
 そこへクリスが歩み寄り、そっとマリアの背中に手を添えた。

(マリア?)
 無人の病室で顔を見合わせるクリス達を軽くなだめ、院長は落ち着いた様子で言った。
(マリアなら、浜辺じゃろう)
 窓の外に広がる午後の海は、満潮に向けて徐々に波音が激しくなっているように感じられた。
(さも海に呼ばれているかのように、あの子は時々ふらりと浜辺に行ってしまうんじゃ。何か、記憶の底にある物がそうさせるんじゃろうな)

 マリアはクリスの後ろを、黙って、ゆっくりついてきた。
 歩けないというわけではないらしい。しかし、その足取りは何処かおぼつかない感じだった。
 まるで、荒波の中を行く船上に立っているかの如く。
「もしかすると、アナタは遠い国のお姫様かもしれないわね」
 一連の話を思い返しながら、クリスはおもむろに立ち止まると、視線を足元に移して呟いた。
「大丈夫。きっとすぐに見つかるわ。」
 そのままクリスは屈み込み、すぐそばで砂に埋もれていた何かを手に取って微笑む。
「それとも、そのうちどこかに流れ着いて、誰かが代わりに見つけてくれるのかしら?」
 小さなガラス瓶。よく見ると、中には日に焼けた一枚の紙切れが入っていた。

 クリスが診療所に戻ると、そこではシヴァとグレーシャが机を挟んで座っていた。彼のいない間に、二人がどんな話を交わしたかは知る由もない。だが、少なくとも打ち解けた様子ではなかった。
「遅いよクリス〜。ちょうど今、イイ知らせが入ったんだ」
 グレーシャが身を乗り出してにやりと笑う。
「明日、あたいらのために船を出してくれるヤツらが見つかったのさ!」
「それは有難いわ。でも、一体どうやって探したの?」
 クリスの問いに答えようとはせず、それだけ伝えると、彼女は椅子から立ち上がって歩き出す。
「ふふーん、全ては明日のお楽しみ。まぁ、来てみりゃ分かるって」
 そう言い残し、グレーシャは夜の町へと姿を消した。



 小窓から差し込む月明かりを浴び、艶やかに煌めく女の素肌。
「クロウ。あんたと二人で夜を過ごせるなんて、あたい嬉しいよ」
 黒衣を纏ったクロウの背後から腕をまわして、満足そうにグレーシャは笑う。
 すると、クロウはおもむろに立ち上がり、窓辺で波音に耳を傾けながら口を開いた。
「さて、それはどうでしょうね」
「全く、あんたもケチな男だね。まぁいいよ、全て明日のお楽しみってコトで。上手くやったらさ、その時は約束通り、あたいを抱いてくれるんだろ?」
作品名:「お話(仮)」 作家名:樹樹