「お話(仮)」
グレーシャと共に少し先を歩いていたクリスが振り返り、そして程なく彼は気付いた。
すぐそばの民家の軒先から、虚ろな瞳でクリスらを見詰めている車椅子の少女。
「あんな目、初めて見たわ」
クリスがにこやかに手を振るも、反応はない。もしかすると、彼女はただ一行の向こうに広がる海を眺めているだけなのかもしれないが――。ひどく混沌としたマリンブルーの瞳だった。
「あまり外の風に当たるのは良くないよ。戻ろうか、マリア」
そこへ白衣の老人が建物内から姿を現し、ゆっくりと彼女の車椅子の向きを変える。
「気になるのかい? あいつはマリア。あそこの爺さんの診療所の、患者というか居候というかね。この町じゃ、ちょっとした有名人さ」
傍らで会話を聞いていたグレーシャが言った。
「例の“難破船”の唯一の生き残りでね。噂じゃ、不思議な石の力で助かったとか何とか」
「不思議な石?」
クリスの頭の片隅で、ルビアから聞いた人物の存在がよぎる。
「ねぇグレーシャちゃん、その石について、もう少し詳しく教えてくれない?」
「構わないよ。確か、遠い北国に伝わる石で、名前は……えーっと、何だったっけなぁ?」
――その時。
「『GREENEST』を持ってる女ってのはお前だな?」
診療所の方向から響く男の声。
「そうそう、それそれ! って」
グレーシャが目をやると、そこでは柄の悪い複数の男達がマリアを囲むように立っていた。
「ちょっと見せてくれよ。なぁ、イイだろ?」
「もしかして、服の中にでも隠してるんじゃねぇか?」
胸元の大きくあいたマリアの服を覗き込みながら、興奮気味に詰め寄る男達。
「君達っ」
「うるせぇ、ジジイは引っ込んでな!」
諌める老人を突き飛ばし、尚も彼らは執拗にマリアに迫る。
人形のように黙って虚空を見詰めるマリア。ふと、そんな彼女の瞳に新たな人影が映り込む。
「やーねぇ。子供の頃、教えてもらわなかったの? 女の子とお年寄りには優しくしなさいって」
割って入ったクリスが、片腕で老人を支えながら男達に微笑みかける。
「あん? 何だてめぇ? 昼間っから姉ちゃん二人もはべらせて、イイご身分だなぁ」
「不愉快だ」
気に障ったのか、シヴァが横目で男達を睨む。すると。
「まぁ待ちなって。ここはあたいに任せなよ」
グレーシャが片目をつぶってサインを送り、くるりと男達に向き直って人差し指を立てた。
「悪いけど、“はべってる”んじゃなくて、クリスはあたいが誘ったの。次からは間違えないでくれよ」
「ふざけやがって……」
小馬鹿にされていきり立つ男達に対し、彼女はその指先を銃に見立てて相手に向ける。
「今なら逃げることも可能。さぁ、どうする?」
「その指へし折って、二度とそんな口が利けねぇようにしてやらぁ!」
そう吐き捨てるや否や、男達のうちの一人が拳を振り上げてグレーシャに掴みかかる。
「……ホント、バカだね」
グレーシャの表情が変わった。
次の瞬間、彼女の指先から勢いよく吹き出した煙のようなものが、男の顔面を直撃する。
「なっ、体が……動か、な……。毒か……っ!?」
「心配ないよ。今のは単なる痺れ粉。それより、まだやるかい?」
鋭い眼差しでグレーシャが問う。すると、たちまち男達は倒れた仲間を抱えて走り去っていった。
「グレーシャちゃんったら、強いのねぇ」
「まぁね。あたい、地元じゃちょっとした顔だったんだよ」
背後のクリスと目を合わせ、グレーシャは颯爽とガッツポーズを決めてみせた。
そこへ先程の白衣の老人が近付き、クリス達に深々と頭を下げる。
「有難うございました。私はここの院長をしておる者でして、何とお礼を申し上げたら良いか」
「いいのよ。困った時はお互い様だもの。それより」
クリスは視線をマリアに移して尋ねた。
「あの子は一体……。それに、さっきの奴らが言ってた『GREEN』何とかって?」
その言葉に院長の顔が曇り、哀しげに老人は呟く。
「ほぅ。やはり、君達もそれが気になるのじゃな」
「あら、ゴメンナサイね。欲しいとか、そういうつもりじゃなくって」
「分かっておるわ。中で話そう。この子には、酷な話になるかもしれんからのぅ」
そう言うと、院長はほつれたマリアの髪を耳にかけてやりながら、もう片方の手で車椅子を押し、診療所の中へと入っていった。
「ん? あたいの顔に何かついてるかい?」
ずっと横目にグレーシャを見ていたシヴァだったが、ふいに気付かれ、咄嗟に視線を反らす。
「いや。それと似た目を、どこかで見たような気がしただけだ」
そのまま、彼女はグレーシャと目を合わせずに建物内へ消え、クリスもそれに続いた。
そんな二人の背中を見詰めるグレーシャ。風にそよぐ椰子の長い葉が、彼女の顔に影を落とす。
「……へぇ、そりゃ要注意だね」
笑う唇の隙間から、鋭い二本の牙が光る。