「お話(仮)」
「やはり、その大きさの“扉”では、指一本が限度のようですね」
皮肉まじりにクロウが笑う。
「指一本あれば十分だ」
ゴルゴンゾーラの言葉を合図に、不気味な鬼の指がクロウを捕らえる。
「……!」
魂を蝕む圧力を感じ、咄嗟にそれをふりほどいて、少し離れた彫刻の脇へ退避するクロウ。
その表情に変化はなかった。しかし、彫刻にもたれ掛かった彼の息は荒い。
「さて。次はそっちの女だ」
ゴルゴンゾーラの視線が、舐めるようにシヴァの耳元へ移動する。
「その耳飾り……ほほぅ、懐かしいな」
「何の事だ」
抵抗すべくシヴァは左手でナイフを握ったが、出血のせいで体が思うように動かず、起き上がる事すら出来ない。
「殺れ!!」
のびた鬼の指がシヴァに襲い掛かる。勝負は見えていた。
――と、その時。
鋭い金属音がシヴァの耳元で響く。
そして、一瞬、世界が凍ったかのように静まり返った。
「……遅くなってゴメンね」
その大鎌で正面から攻撃を受け止めたクリスが、シヴァに笑顔を投げかける。
「ク……リス?」
驚いた顔でシヴァは呟き、緊張が解けた様子でひとつ息を吐く――と、全身から力が抜けた。
「数が増えたところで、所詮ネズミはネズミ。まとめて始末してくれるわ」
ゴルゴンゾーラの第二撃がクリス達に迫る。
「?」
刹那、空から飛来した何かが、ゴルゴンゾーラの手の中の石を掠め取った。
「鳥、だと!? それを離せ!!」
くちばしに石をくわえて夜空を旋回する一羽のカラス。そのままカラスが空中で石を離したかと思った直後、『蒼き鬼の棺』は既にクロウの手中にあった。
「獣に隙を見せてはいけませんよ」
クロウが不敵に笑う。切り札を失い青ざめるゴルゴンゾーラとはあまりに対照的な表情だった。
「お前達の望みは何だ? 宝石ならばいくらでもある! その石と引換えに欲しい物をやるぞ!」
「……」
興味を示した様子で、クロウはゴルゴンゾーラに向き直ると、石を持つ掌を差し出してみせた。
――そして。
「……では、貴殿の命を」
ゆっくりと、鬼の棺が地面に落ちる。
「!!」
反射的に受けとめようと、ゴルゴンゾーラは思いきり両手を伸ばすが、一足及ばず、彼の鼻先で粉々に砕け散る青い石。
沈黙の末、失意の中でゴルゴンゾーラは背後のクリスに言った。
「……全く、藁にもすがるというのは、この事だ」
「あら、今度はアタシに命乞い?」
「頼む。金ならば後でいくらでもくれてやる」
丸まったその背中に豪商のプライドはなく、クリスはひとつ溜息をついた。
「分かったわ。アタシ達、敵は同じみたいだし……。その代わり、報酬としてソレをいただくわよ」
そう言って、クリスはゴルゴンゾーラの手元のリングを指差した。
そうするしかなかった。男は頷き、クリスは指輪を受け取ると、相棒『ローズ・マリー』を構える。
「……」
吹き付けた北風を味方にクロウが地を蹴り、クリスの視界から消える。
風が止んだ。
と、その直後、クリスのすぐ頭上で羽音が響き、闇に紛れて黒い塊がクリスに襲い掛かった。
「っ!!」
舞い散る漆黒の羽。確かに攻撃は防いだ。しかし、得体の知れない波動がクリスの全身を直撃し、彼はその場に倒れ込んだ。
「これが……紅い、獣の力?」
クリスが体勢を立て直すのを待たず、振り上げた手拳でクロウが勝負を決めにかかる。
間に合わない。クリスは反射的に、シヴァを庇う位置で防御の構えを取った。
――その時。
「?」
ふいに何かを察知したクロウが寸前で攻撃を止め、その目線を自身の足元へ落とす。
見ると、すぐ傍に横たわるシヴァの手が、その動きを阻むかの如く、頑なにクロウの長い衣服の裾を握っていた。
「シヴァちゃん?」
呼びかけるも、彼女に意識はない。
「成程、面白い。ならば、今しばらく様子を見ることにしましょうか」
クロウの顔から殺気が消える。口元に添えた手の指間から、妖しげな笑みを覗かせながら。
「この者が、生かしておくに値する人間か否かを……」