「お話(仮)」
○
武器を構えて対峙するクリスとフウマ。
おもむろに窓の外の月が雲間に隠れ、刹那、二人の間に緊張が走った。
「!」
張りつめた糸をくぐり抜けるように、両者が互いの間合いを計って激突する。
暗がりの中、刃物の擦れ合う音と微かな火花だけが残った。
「この感覚……久しいぞ」
腕はほぼ互角。そんな状況下で、次第にフウマの目が輝きを取り戻すのをクリスは感じていた。
「戦士の目ね」
ぶつかり合うこと十数回。ふと、クリスが動きを止めた。
「何の真似だ?」
「アナタも分かってるんでしょ?」
フウマは黙っていた。そして、答えの代わりに刀を持ち変えると、無言でそれをクリスに向ける。
「この戦いは無益だわ。お互い、こんな所でムダに体力と時間を費やすことに何の意味があるの?」
「……それでも」
フウマが構える。月光を浴び、はだけた衣服の首元で何かが光った。
「何故なら、それが我々『牙』の宿命だからだ」
肌に埋め込まれた金属製の器具。よく見ると、表面にゴルゴンゾーラ社の紋章が刻まれている。
――と。
「そう、それが僕らの首輪なんだよ」
ふいに背後で声が響き、闇から浮き上がるように先程の少年ヨウが現れて言った。
「命令に逆らったら、ボスの“お仕置き”が待っているんだ。ボスが指輪のスイッチを押せば、体ごと爆発させることもできるんだって」
「ヨウ、邪魔をするな」
止めるフウマに構わず、ヨウは続ける。
「それだけじゃないよ。僕らは他にも、ボスとの間にしがらみがあるんだ。フウマさんは妹を人質にされているし、ルビアさんだって……」
そのままヨウは、ぐったりとして動かないルビアの所へ歩み寄り、軽く指を鳴らした。するとフウマが黙ってその後に従い、無表情のまま、ぐっと彼女の体から鉄槍を引き抜く。
「……」
微かだが、細い息を感じた。
「さすがルビアさん」
ヨウの顔に笑みが浮かぶ。
「それじゃあ行こうか。クリストファー、貴方は行かなくていいの?」
ヨウが手を挙げると、フウマはルビアを抱えて立ち上がり、廊下の反対側へと歩き出す。
すれ違いざま、クリスはフウマの目が虚ろになっていることに気付いた。
「催眠術……? ねぇ、ちょっと」
去りゆくヨウ達の影にクリスが問う。
「アナタ、こんなことして大丈夫なの?」
「平気だよ。たぶん今、ボスは僕らを見ていないから。貴方は、すぐに会えるんじゃないかな?」
わずかな余韻だけを残し、再び辺りに静けさが戻る。
「不思議な子ねぇ」
首を傾げながらも、クリスは足早に廊下の先を目指した。
程なく月が雲間に隠れ、視界が闇一色に染まる。
「どうやら、ネズミが二匹迷い込んだようだな」
暗がりの中に響く含み笑い。
見ると、鮮やかな毛皮のガウンに身を包んだ初老の男が、池のほとりで葉巻を手に立っていた。
彼こそが、この屋敷の主――ゴルゴンゾーラ。
「随分と派手に部下達を食い荒らしてくれたな。全く、躾の悪い獣だ」
そう言うと、彼はもう片方の手を懐に入れ、ガウンから取り出した三角形の青い石をシヴァ達に見せた。
「『蒼き鬼の棺』。クロウ、あれが……お前の、獲物だな?」
地に横たわったまま、荒い呼吸でシヴァが問う。
「だとしたら、私を止めるとでも?」
そんな彼女を振り返り、クロウは手袋をはめた長い指で標的を示し、そして何かを囁いた。
その後、指先を自身の口元へ移して、彼はぽつりと付け加えた。
「それが、我々獣の本能ですから」
再び降りだした雨が水たまりに落ち、そこに映るシヴァの姿が波紋の中に消える。
クロウが先手を取って動く。
(知りたくはありませんか? あの石が、一体どういう代物なのか)
シヴァの中で、先程聞いたクロウの言葉が巡る。
(辺境の少数民族が作り出したあの魔具の中には、“蒼炎の鬼”が封じられている……)
素早く相手の懐に潜り込むクロウ。瞬間、ゴルゴンゾーラの手元で『蒼き鬼の棺』が光った。
(我々“紅い獣”を喰らう鬼の眠る、いわば異界との扉なのですよ)
轟音をあげて、ひとすじの雷が石の先端に落ちた。
ゆらめきながら立ちのぼる青白い煙。それは、まるで異形の鬼の親指のようにも見えた。