「お話(仮)」
不気味な余韻を孕んだまま、西の空に沈みゆく紅の夕陽。
――と、同時に目の前の鉄柵が、彼女を誘うかの如く軋んで内側に開いた。
「これは……罠か?」
シヴァの脳裏を、繰り返しクロウの言葉が巡る。
(賭けをしましょう)
次の瞬間、光る雷と共に彼女は頷き、そのまま屋敷の敷地内へ足を踏み入れた。
○
遠くで落ちた雷鳴に続いて、にわかに降り始めた雨がクリスの肩を濡らす。
「シヴァちゃんったら、どこ行っちゃったのかしら?」
クリスは周囲を見渡した。すっかり日も落ちた人影のない裏路地。ひとまず雨風の凌げる場所を求めて、クリスがその場から離れようとした、その時。
「どうしたの? 探し物?」
ふいに背後から声をかけられ、振り返ったクリスの目に、今さっきまで無人だった路地の隅に立つ金髪の少年の姿が映る。
「アナタ、いつの間に……?」
そう問いかけるクリスと目が合うなり、少年はにっこり微笑んだ。
見た目はシヴァよりも少し下だろうか。年の割に大人びた表情と、穏やかな笑顔。そして。
「……」
吸い込まれるような碧色の目だった。その後、一呼吸置いて少年は言った。
「あぁ。その女の人なら、あっちへ行ったよ」
静かに、少年の指が壁向こうのやや高い位置を示す。その先には、見覚えのある石造りの豪邸、ゴルゴンゾーラの館がそびえていた。
「今、アタシの心を読んだわね? アナタは何者なの?」
「僕はヨウ。早く行った方がいいよ、クリストファー」
屈託のない表情で少年ヨウが促す。しかし、それは逆に罠にも思えた。
「ねぇ、どうしてアタシにそんなこと教えてくれるの?」
するとヨウは少し考えてから、相変わらずの笑顔で答える。
「理由はないよ。僕は、ただ楽しければそれでいいから」
「……」
「でも、きっと“他の人達”は違うから。だから、急いで行った方がいいと思うよ。貴方の大事な人が、――――る前に」
瞬間、轟きと共に稲妻が二人の顔を照らした。
「シヴァちゃん……」
嫌な予感がクリスの脳裏をよぎり、そのまま彼は屋敷を見据えて駆けだした。
雷鳴にかき消された少年の言葉、その唇の動きを思い起こしながら。
(貴方の大事な人が、殺される前に)
○
同じ頃、ゴルゴンゾーラの館では、玄関から続く回廊を一人進むシヴァの姿があった。
片側には鉄槍を持った騎士の甲冑が等間隔に並び、もう片方のガラス窓から差し込む月明かりがビロードの絨毯を微かに照らしていた。
「?」
ふいに後方で人の気配を感じ、彼女は足を止めた。
すると、背後の暗闇から、聞き覚えのある女の声が響く。
「やっぱり、あなただったのね……シヴァ」
「ルビアか。お前こそ、こんな所で何をしている?」
「何って、情報集めよ」
灯りの届く範囲まで歩み寄るルビア。そんな相手を険しい目で見詰めたまま、シヴァは言った。
「……ならば、その背中の殺気は何だ」
「あら」
その言葉に、ルビアは後ろ手に組んでいた両腕をゆっくりと広げた。
十本指すべてに装備された、長い金属製のネイル。その先端でシヴァを指してルビアは息を吐く。
「それなら話は早いわ。ここから先は“牙”として、紅い獣を通すわけにはいかないの」
「違う。私は……」
「無駄よ」
反論するシヴァを一瞥すると、ルビアは懐から小さな球状の何かを取り出してみせた。
「さっき、あなたが届けてくれたのよね」
それは他でもない、あの黒猫の首輪についていた玉飾りだった。
「知らなかったでしょうけれど、実はコレ、小型のメモリーチップが組み込まれているのよ」
「な……っ」
驚くシヴァを傍目に、ルビアはそっと手元のボタンを押して囁く。
「そう。これが森での真実。その命と引き換えに、ロキが私達に遺したものよ」
二人が見詰める白い壁のスクリーン。
その先にノイズ混じりの情景が映し出され、移ろいながら、あの夜の出来事を語り始めた。