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「お話(仮)」

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「?」
 一瞬、クリスは道の向こうで、車内の人影が微笑んだような気がした。
 しかし、目を凝らして見ると車の窓にはカーテンがかかっており、人の姿すら定かではない。
「気のせいかしら? まぁいいわ。お待たせ、シヴァちゃ……」
 笑顔で背後を振り向くクリス。
「シヴァ、ちゃん?」
 しかし、その時、シヴァの姿はどこにもなかった。
 湿った北風と共に、薄暗い空から、ひとひらの黒い羽がクリスの足元に舞い落ちた。



「行ったようだな」
 去りゆく車をブラインドごしに見送った後、男はそっと葉巻に火をつけた。
 薄暗い部屋の中で、徐々に男の輪郭が浮かび上がる。
 野心を感じさせる鋭い目、秀でた額。彼こそが、かの豪商ゴルゴンゾーラである。
「それにしても、別荘の警備を新しい家庭教師だけに任せるのは、少々手薄なのでは? 会った事はないが、年端もいかぬ女だと聞いたぞ」
 部屋の隅で一人の青年が言った。
 そのまま黙り込み、青年は視線を手元の刀へ落とす。うっすらと刃に映し出されたその顔立ちは、どこか憂いを帯びている。
「案ずるなフウマ。あの家庭教師なら問題ない。お前と似て、なかなか使えそうだからな」
 不敵な笑みを覗かせて、ゴルゴンゾーラは低く続ける。
「それよりも……今夜、ケモノは必ずやってくるぞ。それも、恐らく先日お前が仕留めた獲物よりはるかに凶悪な刺客が、だ」
「構わん。この俺の太刀に斬れぬ物などない」
 呟くフウマの腰元で複数の刀が揺れる。
 ふと、そんな二人の会話を遮って、机上に置かれた電話のベルが鳴り渡る。
「ユージニアだな」
 部下からの連絡だろうか。相手の話を聞いた後、ゴルゴンゾーラは背後のフウマに目配せし、威圧的な声で言った。
「フウマ、お前に仕事だ。ケモノ狩りに伴って屋敷に忍び込むネズミを捕らえてこい」
「捕獲なら、俺よりヨウの方が適任では?」
 興味のない様子で返すフウマを余所に、ゴルゴンゾーラが鼻で笑う。
「かもしれんな。だが、お前は任務を忠実にこなす。他の気まぐれな奴等と違ってな」
「心掛けてみよう」
 そう言い残し、刃物の摩擦音と共にフウマは闇の中へ姿を消した。
(いいの? フウマを行かせて。手薄な警護で、あなたが刺客にやられたら元も子もないわよ)
 静まり返った室内に、受話器を通じて女のハスキーな声が響く。
「無論、こちらには別の策を用意してある」
 おもむろに太い指が伸び、彼は指輪の宝石についた認証機能で机の引き出しを開けると、中から何かを取り出した。
「その名も、『蒼き鬼の棺』。ケモノを飼い馴らす為に作らせた特級品だ」
 掌の上で青白い輝きを放つ、ピラミッド型のラピスラズリ。
「雑魚の相手に使っては、本来の威力が試せんからな。今夜は久々に良いショーが楽しめそうだ」
 含み笑いがこだまする中、何気なく男は窓の外に広がる夕刻の町並みを見下ろして囁いた。
「お前にも動いてもらおうか、ユージニア」
(だから、その名前で呼ぶのはやめて。ユージニアは死んだわ)
 乾いた溜息に続けて、電話口の女は言った。
(……今はルビアよ)



 夕暮れ空を飛び交う鳥達の群れ。
 遠くの羽音に耳を傾けながら、屋敷の正門前にたたずむ男がいた。
 手袋をはめた指先が動き、その黒髪の男が門の柵に触れようとした――――刹那。
「……クロウ」
 背後で響いた声に、ゆっくりと男が振り返る。
 直後、その漆黒の瞳に、少し距離を置いた所で立つシヴァの姿が映り込む。
「久しぶりだな」
 ぽつりとシヴァが呟く。しかし、その表情は浮かない。
 そんな彼女に対し、クロウは黙って片手を伸ばすと、真っ直ぐにシヴァを見詰めたまま、艶やかな仕草でそっと手招きをしてみせた。
「やめろ……っ。もう二度と、お前達の元へ戻る気はない。それを言いにきた」
 目を背け、シヴァは身を翻す。
 すると、少し間を取った後、去りゆく彼女の背中にクロウは言った。
「ならば、賭けをしましょう」
 それだけ言い残すと、クロウは音もなく屋敷の中へ消えていった。
「賭け、だと? クロウ、お前は一体何を企んでいる?」
作品名:「お話(仮)」 作家名:樹樹