「お話(仮)」
たくさんの手。その力が蒼い稲妻となって、クリスに注がれていた。
「……」
それだけではない。
ノアから言葉を奪った本当の理由。それは――。
「……シヴァ?」
クリスの傍らに立つ、透明なシヴァの姿。
他の誰よりも、彼に力添えをしているように見えた。
「来るな」
両手を翳すノアの指先から、真っ赤な光がほとばしり出た。
「消えろ! 消えろ! 消えろ!」
「そうはさせないわ!」
その爪がクリスめがけて振り下ろされるのとほぼ同時に、クリスは絨毯を蹴った。
相反する二つの力が、辺りを紫色に染めた。
凄まじい風圧。そして、一瞬遅れて響き渡る轟音。
部屋の柱に亀裂が入った。
「どうやらアタシの勝ちみたいね」
光の中でクリスが言った。
「アハハ、何言ってんの? 今のは僕の方が早……」
腹を抱えて笑った後、クリスに向けられたノアの人差し指。
そこにはべったりと血が付いていた。
「ぇ」
朱に染まった服。直後、ノアは床にうずくまり、後にはクリスの蒼い光だけが残った。
「う、うそだ……嘘だ嘘だ嘘だ! こんなの、おかしいよ!!」
動く度、絨毯についた深紅のしみが広がっていく。
「……イタイよ。何とかしてってば」
「これは、アナタがみんなに負わせた痛みよ」
額の血を拭い、無表情のままクリスは続けた。
「父さん、グレーシャちゃんや、他の獣の人達のぶん。それから……」
傍らに屈み込み、クリスは光を纏った右手を翳して言った。
「これが、シヴァちゃんのぶん」
○
「終わったね」
静かな空にヨウが囁く。
群衆の士気に圧倒されたのか、はたまた何か“別の力”が働いたのか。真実は定かではないが、全面闘争になる前にカリブディス軍は撤退し、ひとまずエンデュミオンは守られた。
「これから、この国はどうなるのでしょうか」
「何とかなるわよ」
やってきたルビアが、そっとマリアの肩に手を添える。
「そういうことは、うちの社長に任せておけばいいわ」
「政治介入か。大したものだな」
フウマが横で笑い、その後、彼らは揃って夜空を見上げた。
「さすがに属州化そのものは避けられないでしょうけれど、“エンデュミオン”としての自治は保たれるんじゃないかしらね」
これで、本当に戦争が終わる。
途端にマリアの顔に安堵の色が浮かび、彼女は声を震わせる。
「本当に有難うございました。助けていただいて、あなた方にはどうお礼をしたら良いのか……」
「気にしないで。こっちの仕事も済んだことだし。そうよね?」
そう言って、ヨウの手元に目をやるルビア。
いつの間に取り返したのだろうか。そこには、月明かりに煌めく緑色のブローチがあった。
――『GREENEST』。
「でも、それは」
偽物だと、そう言いかけた唇にルビアの人差し指が伸びる。
「いいのよ、これで」
そのまま牙の三人はマリアに背を向け、並んでその場を後にした。
「……不思議な人達。でも、何だかあの人と少し似てたわ」
葦野原の向こう側に見えなくなるまでずっと、マリアは微笑んで彼らの後ろ姿を眺めていた。
「あっ、雪」
○
城全体が唸りを上げて揺れていた。
小さな破片がまるで雪の如く、天井からクリスの髪にふりかかる。