「お話(仮)」
部屋を侵食していく紅い光。その源、『紅真珠』に添えられていたノアの指が耳元から離れた。
「僕は強いよ」
「分かってるわ。でも、アタシは負けられない。負けられないのよ」
「勝つのは僕なのに。イイや、君にはもう飽きた」
ひとつ、ノアは細い息を吐いた。同時に絹糸のような銀髪が風に躍る。
「まずは、それ」
ノアの人差し指が『ローズ・マリー』に向いた。
「さっきも言ったけど、この子は強…………っ」
瞬間、激しい爆発音に次いで、砕け散った刃の破片がクリスの頬を切った。
「次は本体。ちょっとぐらい痛くしても許してよね」
白くて繊細な指先が、クリスの顔の中心へずれる。
と、そこに小さな紅い点が現れたかと思うや否や、それは見る間に膨れ上がり、そして――。
「!!」
巨大な火柱が上がった。
「アハハハ、ごめんごめん。まだ加減が利かないんだ」
笑うノアの視線の先で、砂塵が徐々に引いていく。そこには、崩れ落ちた壁やガラスの破片が瓦礫となって転がっていた。
「あ〜あ、シヴァまで巻き添えでバラバラになっちゃったね……。『紅真珠』、さすがだよ。ハハハッ! 僕は何だって出来る。世界をメチャクチャに壊して、好きなモノだけ集めてまた作り直すんだ!」
そのまま俯き、ノアは肩を震わせる。
「……僕は、神様になったんだ」
「ねぇ。今の、もう一度言ってもらえるかしら?」
背後で物音が響いた。
驚いてノアが振り向くと、そこにはシヴァを抱えたまま、荒い呼吸で立つクリスの姿があった。
「神様になる? それは聞き捨てならないわね。その力……」
額から流れ出た血が絨毯を濡らす。クリスは腕の中のシヴァに目を落とした。
傷ひとつない白い肌。
「他人のためには使えないの?」
「……ハ」
ノアの口元が強張る。
「あハははハハハ! 他人のため? 嘘でしょ? ハハッ、だから君は弱いんだよ」
「弱い?」
一瞬の沈黙の後、クリスは顔を上げた。
「そうね、アタシは弱いわ」
ゆっくりとノアに歩み寄る。クリスの足元で、砕けた刃の破片が煌めいていた。
「だって、人は弱い生き物だもの。自信がなかったり、はじめから無理だと決めつけて諦めたり」
クリスは再び武器を握りしめて言った。
刃先を失い、今にも折れそうな『ローズ・マリー』を――。
「でも、人は強くなれる。何でだか分かる?」
一番星が瞬いた。
「あれは……?」
戦場と化したエンデュミオンの葦原で、マリアは信じられない光景を見た。
押し寄せてくる群衆。丘にいた住民達だ。
彼らは蝋燭の明かりをのろし代わりに掲げ、口々に祖国の名を叫んでいた。
「エンデュミオンを守れ!」
「ここは俺達の国だ! この先には、一歩たりとも行かせるもんか!」
その声が、深くマリアの心に響く。
「みんな……」
「あんた一人に背負わせたりしない。見殺しになんかするもんか」
「たとえ王家が途絶えようと、俺達が生き続ける限り、この国はなくならないさ」
「この国で、共に生きよう。ローレライ」
涙があふれた。
そして、彼女は夜空に右手を掲げ、声高に言った。
「勝利は我等の手に!!」
○
「ねぇ、鬼ごっこしようよ」
「鬼……ごっこ?」
ワンテンポ遅れてクリスが繰り返す。
「そ。これじゃあまりにつまらないからね。君に十秒だけ時間をあげるよ。その間、僕は何もしないから、攻撃するなり逃げるなり、好きにしてイイよ」
「あら、ハンデをくれるの?」
クリスは笑って言った。
が、実際の所、立っているのがやっとだった。
それを知ってか知らずか、ノアは獲物に背を向けると、窓辺で短く一回指を鳴らした。