「お話(仮)」
廊下を通る度、見えない相手に監視されているような気がした。
否、常にそうであることを、この場所を歩く度に改めて思い出すのだった。
「……だが、今は違う」
何が変わったのだろうか。自問自答を繰り返す――彼女の足取りが突然止まった。
目の前にある重厚な扉。ついにここまで来た。
「もう怖くない」
直後、シヴァはナイフを振り上げ、扉に映った影の呪縛を切り裂いた。
○
残響の中、ホールで煙幕を凝視していたセトの唇が動く。
「掃除完了」
うっすらと、床にうずくまった人影が見えた。
「容易いねェ。さて、これで九十九……だったかな? あと一つ、それでエサも揃う」
「まだよ」
「?」
その声と共に、目の前の気配が動いた。
「ねぇ、さっきも言ってたけど、エサって何なの?」
刃に深く食い込んだ弾丸。
大鎌を盾に銃弾を防いだクリスが呟き、霧の中から飛び出すなり、彼は素早く武器を薙いだ。
「知ってどうする? まさか、俺達を止めるとでも?」
攻撃を軽くいなしてセトが笑う。
「ヒヒヒ、その程度じゃ無理。たとえ銃弾は食い止められても、俺達“紅い獣”には敵わない」
突如、たちこめた紅い煙がクリスの視界を遮った。
「一体どこに……!?」
「ココダョ」
ドーム型の天井に反響する耳触りな羽音。
続けてクリスの真上に巨大な影が差し、目をやると、そこには――。
「あれは……半獣化……?」
血管の浮き出た半透明の羽。揺れる六本の手足。
いつか船で見たグレーシャの変身と似ていたが、理性はあるらしい。
ゆっくり上空を旋回しながら、セトは舐めるようにクリスを見下ろして言った。
「最終ラウンド、はじめ」
一面の荒野。
少し見晴らしのいい岩の上で両膝を抱え込み、グレーシャは燃える夕焼け空を眺めていた。
「……待ってたよ」
ふと背後に人の気配を察知し、彼女は振り返らずに訊いた。
「あたいを迎えに来たのかい?」
フードをかぶった男の影。無言で彼女に忍び寄るそれは、まるで死神のようでもあった。
「どうだい? あんたと会うにはちょうど良い場所だろ?」
俯き加減に呟いた後、グレーシャは笑って足元の岩陰を指差した。
よく見ると、あちらこちらに白くて長い骨のようなものが転がっている。
そう。ここは蛇達の墓場。
「蛇ってのはさ、何となくだけど、自分の死ぬ時が分かるんだよ」
グレーシャは気付いていた。自分に与えられた肉体にもまた、“その時”が迫っていることを。
「なぁ、ひとつ教えてくれないかい? 前から気になってたんだけど、シヴァが耳につけてるあの石、あれは一体何なんだい?」
「……」
「どうせ、あんたも噛んでんだろ?」
長い沈黙が続いた。
その後、男の影は岩場を滑るように移動し、グレーシャの傍らで言った。
――『紅真珠』。
翼が大きく一回はためくのと同時に、セトの笑い声が宙に消えた。
「っ!」
次の瞬間、クリスの背中に鈍い衝撃が走った。
床に飛び散る血痕。
「なんて速さなの……」
傷は浅い。わざと急所を外しているとしか思えなかった。
「俺の毒はキミに通じない。遊んで遊んで、出血多量で始末してあげるョ」
再び正面に現れたセトが、にやりと指についた血をすする。
――それは、血に飢えた禁忌の石。
周囲の者達に力を与える代償に、その力で得た命を喰らう。
羽音の過ぎ去る微かな気配に続いて、今度はクリスの脇腹から血がほとばしった。