「お話(仮)」
この日、彼女が歌うのは、エンデュミオンの古き叙事詩。
起伏の少ない旋律で奏でられる、島の女神の物語。
櫓の上、今一番高い場所で両手を広げ、ルージュは茜色の空を仰いだ。
♪昔 爺さまの爺さまが 生まれる前のお話
♪天より女神が 降り立った
はじまりの日 ましろき雪の丘
女神は羽衣 はためかせ
いのちの風呼び 花が咲き乱れた
ひとつ、蝋燭に小さな火が灯った。
照らし出された幼い少女の顔。身なりからして、孤児かそれに似た境遇なのだろう。
十字架の傍らで、少女は右手から左手へ。更に隣人の蝋燭へと炎をつないだ。
♪新たな歴史が ひらかれた
契約の日 若葉萌ゆる丘
女神は秘宝を 王家に委ね
恩恵の下 国は永らく繁栄した
手から手へ。人から人へ。
瞬く間に、丘一面が幻想的な明かりに包まれた。
それだけではない。丘に集いきれなかった多くの人々の手を介し、炎のリレーは力強く、ゆっくりと石坂を下り始めた。
♪昔 爺さまと婆さまが 出会う前のお話
♪平和の終わりが 訪れた
戒めの日 暗雲迫る丘
女神を畏れた 異国の王は
大軍引き連れ 罪なき島に上陸した
ぽつりぽつりと、村人達が歌を口ずさみだした。
そして、膨れ上がった蝋燭の炎が丘の麓へ差し掛かろうとした頃、その先に続く大通りに一人、人波に逆らって石畳を駆ける者がいた。
「……」
高く髪を結い上げ、王家の装束を纏った少女――――マリアだった。
♪醜い戦が 始まった
悲しみの日 赤々燃える丘
女神は我らを 救うべく
ひとり死地へ往き その果てに その果てに……
響き渡る大合唱。
マリアは走った。ひた走った。
(兵士になった日、私は神の御前で誓った。この命、祖国エンデュミオンの為に捧げると)
祖国の為、彼女が選んだひとつの道。
(姫様、あなたはまだ生きておられます。あの日、嵐の海で死んだのはあなたではない)
一瞬、路地を挟んだ向こう側に、小広場の銅像が見えた。
(死んだのは、身代わりの兵士ローレライです)
羽衣を掲げ、高々と天を仰ぐエンデュミオンの女神。
その横顔が、大通りを往くマリアの姿と重なり合った。
「姫様?」
群衆の中、見知らぬ誰かがそう口走った。
マリアは振り返らなかった。彼女は遠くを見詰めたまま、港へ続く孤独な一本道を駆け抜けた。
○
「……」
その頃、シヴァは一人、長い渡り廊下を進んでいた。
目指すノアの部屋まであと少し。
にも関わらず、辺りは異様なほど静まり返り、まるで招かれているようにすら思えた。
「ずっと、怖くてたまらなかった。お前も、この道も」
絨毯に差した自身の影。
小窓から漏れる光の作用で、それは移ろいながら妖しく長さを変えてゆく。
「幼い頃、何度この影を切り落とそうとしたことか」