「山」 にまつわる小品集 その参
山の神 (愛欲)
「ねえ〜ぇ、ちょっとぉ〜ん」
女性が出し抜けにしおらしい声で話しかけてきた時ほど、男は気を引き締めなければならない。
「友達がねぇ、韓国旅行に誘ってくれたんやけどぉ〜、行ってきてもかまへんやろか。2泊だけやしぃ〜」
夫婦ならなおさらである。そして・・・逆らってはいけない。
「ああ、行ってきたらええがな。3日間ぐらいなんとかなる」
この『なんとかなる』というのはただ、食事のことを意味している。
食事ができるならなんにも問題は、ない。
むしろ私にとっても、この3日間は貴重な日々となる。
小言に付き合わされることなく、のびのびと好きなテレビ番組を見ながらビールが飲める。
眠くなればそのままゴロッとなればよい。
そして、妻が帰って来る直前に散らかった物を片づけておけば、すべてうまく治まるのである。
結婚当初からそうしていたわけではない。
30年かけて得た知恵である。少々の家事をこなすのは、『ぬれ落ち葉』といわれないための知恵でもある。
しかし、しかし私は妻が電話で話している言葉を聞いてしまった。
嫁いだ娘が夫婦喧嘩をしたらしい、というのは妻の話しぶりから推察した。
そして、そして私は妻が電話に向かって話している言葉を聞いてしまった。
「男なんかプライドだけで生きてるもんや。プライド傷つけられるんをいっちばん嫌がる。気位の高い男ほど、おだててやったらええねん」
そう、確かにそうかもしれない。
プライドを打ち砕かれたら、気力も品性も優しさも失ってしまう。
私はフラッと家を出た。
こんな女と今まで一緒に暮らしてたんや、と思うと悔しかった。
まるで自分が『おだてりゃ木に登る豚』のような気がして・・・
作品名:「山」 にまつわる小品集 その参 作家名:健忘真実