勧善犯罪
大学の四年間はあっという間に過ぎていった。周りの友人は既に就職活動をしていたが、キョウコは大分出遅れてそれを開始した。しかし、既に各方面に名前が知れていたキョウコを企業や政治家が放っておく筈もなく、活動を初めて間もなく、彼女は念願だった職業につくこととなる。その職とは、政治家の秘書。政治家自体になるよりも、誤りがあれば諫められると考えてのことだった。雇い主は、かなりの大物政治家である。新卒の彼女が抜擢されたのはひとえに彼女の真摯さと、学生時代の実績をかわれての事だった。
まさに、順風満帆な人生。彼女への周囲からの賞賛の声は絶えることがなかった。しかし、そんな日々も間もなく終りを告げることになる。
キョウコが秘書になって三年目の夏のこと、彼女の雇い主である政治家が急逝した。死因は心不全。朝に入浴中、発作を起こしたと思われたが、政治家には敵が多かったことを踏まえ、事故と殺人の両面で捜査が開始された。やがて何人かの容疑者が絞りこまれると、その中にキョウコの名前も上がっていた。彼女は最後に政治家と会っていた人物である。事故であれ殺人であれ、警察は彼女に良く話を聞く必要があったのだ。
「キョウコさん。貴女は事件のあった日の夜中、どちらに居らっしゃいましたか」
「はい。先生のご自宅に居りました」
刑事の単刀直入な問いに、真っ直ぐに背筋を伸ばし、キョウコは顔色ひとつ変えずに答えた。一瞬呆けた刑事は、慌てて問い直す。
「貴女は、あの日、被害者の自宅に居たというのですか」
「そうです。そして、先生がお持ちになっていた持病の薬……心臓が弱っておいででしたので……を、粉砂糖をつめたカプセルとすり替えました」
取調室の中に戦慄が走った。これは最早自供ではないか。秘書が政治家を謀殺したとなれば、世間に大きな衝撃と、ゴシップの種が広がるのは想像に難くない。刑事は更に追求する必要があった。
「一体何故、そんな事を」
「先生は、汚職をなさっていたからです。私がまだ子供の頃から、ずっと」
キョウコは服のポケットから、レコーダーを取り出すと、再生を始めた。そこには政治家と、財界の大物との密談の内容が克明に録音されている。
「国民の期待を受けて政治家になられ、何期もお務めになられた。なのに、ずっと汚い真似をなさっていたのです。私はその事実を内部から調べ、先生に改めて頂こうと思ったのです。しかし、先生は私の訴えを鼻で笑い、『君、政治は聖人君子が行うものではないのだよ。まだ若いから判らないだろうが、君は私の言うことに従えばいい。その証拠は外に漏らしてはならない』と仰るばかり。だから、私は薬をすり替えました。悪人は倒されなければいけません。その為に私は子供のころから努力を怠らず、先生の秘書になりました。そして、罪を償って頂いたのです」
「貴女は子供の頃から、被害者を殺そうと思っていたというのですか」
「ええ、その通りです。しかし、過去のニュースでは、疑惑で終わっていました。それを確かめる必要もありました……それに、私は罪を犯したわけではありません。心臓の発作が起こるかは判りませんでしたし、起こってもすり替えた薬を飲むかどうかも判らない。なにしろ、私がすり替えたのはたったの一つだけ。先生はそれでも発作を起こし、すり替えられた薬を飲んだ。先生は天罰で死んだのです」
キョウコは笑顔でそう締めくくった。対照的に、捜査官の顔色は悪い。罪の意識が無い殺人者はいても、その殺意が子供の頃から持続しており、その理由が悪人は死ななければならないからだ、などというケースは聞いたこともなかった。報告をうけた上層部は連日の会議の末、もっとも安直で、もっとも安全な方法を選んだ。キョウコは狂人であり、その発言には信憑性がないとして、彼女を精神病院に送ったのだ。