最後の一日
「さて、どう過ごしたか、今日一日、お前はどう生きたのかを聞こう」
冷たい機器の前で、同じ顔をした男は幾分優しげな目をして彼と対面した。彼を目覚めさせた男は、頭にソケットを装着し、すでにスタンバイしている。
おやっと思う。
彼は記憶の中の男たちと幾分、違う面があるのかもしれない。記憶の底をさらうが、頭にソケットは、あったか? だが、やはり似たり寄ったりだ。鏡に映したような同じ顔だ。合わせ鏡のようで、そうではない。片方が問いを発し、片方は答える。
今は、問われた側にいたすべての拓郎と同じ表情が、自分にも浮かんでいるのかもしれないと思う。
「俺は、何も…しません…でした」
テーブルの上の生卵を落としたように、壊れた声が唇から漏れた。多分、目の前の男は落胆するだろうとわかっていたからだ。
「何を言う、一日過ごしてきたではないか。何もしなかったとはどういうことだ」
「確かに、今日一日、息をして、風景を眺め、昨日のコピーとは違う一日を過ごしました。俺は町の公園でベンチに座り、一日その公園で遊び続ける子供たちを見ていました。けれど、それだけです」
「何を感じた、何を思ったんだ、そうしながら! 私はそれが知りたい」
「いいえ、何も。いいえ、何を感じても同じだと気がついていたんです。どんなに見たものがほほえましい光景だったとしても、ちょっとは心動かされる風景だったとしても、この心の奥にある動かされない意思は変えがたい。だって、もう、すべきことは決まっているからです」
そう、彼が生きてきた証はこの瞬間にすべきことで昇華されるのだ。
彼は自分と同じ顔の男の首に両手をかけて力を込めた。
ふいをつかれて逃げ出す暇もなかったのだろうか。喘ぎながら締める手をかきむしった。だがその抵抗もおざなりでしかなく、拓郎が予期したようなものではなかった。すぐに両腕をだらんと下げ、膝を折った。飛び出した眼球が白目を剥いた。青くなった唇からよだれが垂れて顎を伝った。ぴくぴくと痙攣した体からふっと力が抜けて、男は崩れ落ちていった。
なんて緩慢な自殺だろう。
これで何かが変わるのだろうか。
彼は永遠に死に続けることを欲したとしか思えない。
最後の一日の末に、自分によって縊(くび)り殺されるという終焉が、彼の命題の究明に必ずしも必要ではないはずなのだが。
オリジナルがなぜ己のコピーに殺されることを望んだのか、それはコピーには知るよしもなかった。彼の記憶には繰り返し殺し続ける記憶と、殺される記憶はあったが、なぜという理由は明確に紡ぐことができなかった。
ただ、記念すべき今日は、疑問と諦念が薄紙一枚ほど変質したかもしれない。
彼は死んだ拓郎の体の処理を始めた。見ると頭に刺さったソケットから切れたコードがぶら下がっていた。くるくると丸めて大きな死体処理袋に詰め込んでジッパーをあげた。もう、三百六十四回も繰り返されたことだ。ずるずると袋を引きずっていき地下の焼却施設の扉の中へ落とし込んだ。
生き残った拓郎は、次のコピーを生み出す準備をし、明日の朝日とともに目覚める体を横目にして、初めてで最後の睡眠に就くのだ。
夢は見るのだろうか。
拓郎は永遠の眠りの前のささやかな夢を、公園で遊んでいた子供たちの顔で満たしたいと思った。
了