最後の一日
「おはよう」
生まれて初めて聞く声が、溶いたばかりの薄墨のような脳裏にパルスを放った。まだ目の前の風景には紗がかかっている。見えているものは不確かなのに、使命だけは身に刻み込まれている。目覚めてしなければならないことはわかっている。そのためだけに生きる。だが……。
秋の夕暮れの寂寥感はどこからやってくるものなのか、落とした影よりも遥かにはっきりとしないような気がする。身についたしがらみを篩(ふる)いにかけて、選り分けたら、結局何も残らないようなそんな夕暮れだ。
ぼんやりと眺めやる先に、もうシルエットになりかけた子供の後姿が、その母親だろう影と一緒に砂場を去ろうとしていた。
「おじさん、ボール、取ってよ」
一度だけ、足元に転がってきた赤い毬をほうってやった。子どもの目にはおじさんと映るのか、と当たり前のことに思い当たった。今朝生まれたといっても、拓郎の姿は成人男子そのものなのだ。
子どもの声が耳に残っている。泣き声も笑い声も。よく泣いて、よく笑っていた。とめどなく動いて、容赦なく転んでいた。土を見て、草を見て、空を見て。広がる未来など気にせずに今を愉しんでいた。
もうどれくらいそうしていたのか。公園のベンチの上でだらしなく伸ばされた足先を見ると、ぴんと翅を伸ばした蜻蛉(とんぼ)が、今この瞬間に作られたばかりのピンブローチのように止まっていた。
もう、行けよ。
お前の生きていける時間はとうに果てかけているはずだろう。
蜻蛉の翅は暮れかけた茜に光っている。くりりと動く複眼に自分の姿が幾つも幾つも映っているだろうと拓郎は思う。そのどれが本当の自分なのだろうか。複数の同じ動きをする物体をどう受け取って、どう分析して、どう理解しているのだろうか。どの自分も、この虫の目には辺りの景色と同じに見えているのだろうか。
いったい、彼のオリジナルは何を考えていたのか、まったく拓郎にはわからなかった。こんな繰り返しをなぜ続けているのだろう。毎日、毎日正確に整然に、自分のコピーを作り続けて、何が面白いというのだろうか。どんなにコピーを作り続けたとしても、オリジナルの意思に反する個体ができるはずはないのだ。
拓郎にはもう時間がなかった。後は、彼の想像主の元へ帰るだけなのだ。
彼は今日の日の出とともに生まれた。
「おはよう。目覚めたか。今日、一日、自由に生きて来い。お前の一日の生き様が知りたい」
と、彼を造った『拓郎』は言った。
「お前で、ようやく三百六十五体目だ。ちょうど一年。コピーを覚醒し始めて一年になる記念すべき一体だ。お前が何を見聞きし、何を経験してくるか、非常に興味深いことだ」
彼が生まれて初めて目にした生体は、感情を押し殺したような、奇妙な笑いを張り付かせた、自分とまったく同じ顔をしたものだった。
「言っておくが、お前の寿命は今日一日限りだ。それを理解して何をするかが、問題なのだ。この命題解明は私の悲願であり、一生を賭した問いなのだ。そこの所をしっかりと把握してくれ」
言いながら、目の前の『拓郎』は、苦み切った目つきをしている。
確かに想像主の言う研究課題は理解しているし、彼以前のコピーの記憶も彼の中に蓄積されている。しかし、どの実験体も似たり寄ったりの解答を出していたはずなのに、どうして自分がまた生み出されたのか彼には理解できなかった。目の前の男にはコピーの記憶が刻まれていないとでもいうのだろうか。
どんな疑問があっても、彼の言う命題がよしんば愚問であっても、新生拓郎には他にすることがなかった。オリジナルの欲求を満たす以外は。
彼の中の記憶。正確にはコピー三百六十四体の記憶の彼は、毎日、毎日を最後の日として過ごした。朝日を浴びて生まれて、夕日を眺めて死を思った。そしてコピーは儚い一生を全うし、次のコピーに記憶を継いだ。夕日が落ちるその前に、コピーたちは己と同じ顔の前に立ち、記憶を吐き出して死んでいったのだ。
拓郎は残り少なくなった夕日を浴びて、ベンチを立った。あの蜻蛉はすでに彼の足先には居なかった。
生まれて初めて聞く声が、溶いたばかりの薄墨のような脳裏にパルスを放った。まだ目の前の風景には紗がかかっている。見えているものは不確かなのに、使命だけは身に刻み込まれている。目覚めてしなければならないことはわかっている。そのためだけに生きる。だが……。
秋の夕暮れの寂寥感はどこからやってくるものなのか、落とした影よりも遥かにはっきりとしないような気がする。身についたしがらみを篩(ふる)いにかけて、選り分けたら、結局何も残らないようなそんな夕暮れだ。
ぼんやりと眺めやる先に、もうシルエットになりかけた子供の後姿が、その母親だろう影と一緒に砂場を去ろうとしていた。
「おじさん、ボール、取ってよ」
一度だけ、足元に転がってきた赤い毬をほうってやった。子どもの目にはおじさんと映るのか、と当たり前のことに思い当たった。今朝生まれたといっても、拓郎の姿は成人男子そのものなのだ。
子どもの声が耳に残っている。泣き声も笑い声も。よく泣いて、よく笑っていた。とめどなく動いて、容赦なく転んでいた。土を見て、草を見て、空を見て。広がる未来など気にせずに今を愉しんでいた。
もうどれくらいそうしていたのか。公園のベンチの上でだらしなく伸ばされた足先を見ると、ぴんと翅を伸ばした蜻蛉(とんぼ)が、今この瞬間に作られたばかりのピンブローチのように止まっていた。
もう、行けよ。
お前の生きていける時間はとうに果てかけているはずだろう。
蜻蛉の翅は暮れかけた茜に光っている。くりりと動く複眼に自分の姿が幾つも幾つも映っているだろうと拓郎は思う。そのどれが本当の自分なのだろうか。複数の同じ動きをする物体をどう受け取って、どう分析して、どう理解しているのだろうか。どの自分も、この虫の目には辺りの景色と同じに見えているのだろうか。
いったい、彼のオリジナルは何を考えていたのか、まったく拓郎にはわからなかった。こんな繰り返しをなぜ続けているのだろう。毎日、毎日正確に整然に、自分のコピーを作り続けて、何が面白いというのだろうか。どんなにコピーを作り続けたとしても、オリジナルの意思に反する個体ができるはずはないのだ。
拓郎にはもう時間がなかった。後は、彼の想像主の元へ帰るだけなのだ。
彼は今日の日の出とともに生まれた。
「おはよう。目覚めたか。今日、一日、自由に生きて来い。お前の一日の生き様が知りたい」
と、彼を造った『拓郎』は言った。
「お前で、ようやく三百六十五体目だ。ちょうど一年。コピーを覚醒し始めて一年になる記念すべき一体だ。お前が何を見聞きし、何を経験してくるか、非常に興味深いことだ」
彼が生まれて初めて目にした生体は、感情を押し殺したような、奇妙な笑いを張り付かせた、自分とまったく同じ顔をしたものだった。
「言っておくが、お前の寿命は今日一日限りだ。それを理解して何をするかが、問題なのだ。この命題解明は私の悲願であり、一生を賭した問いなのだ。そこの所をしっかりと把握してくれ」
言いながら、目の前の『拓郎』は、苦み切った目つきをしている。
確かに想像主の言う研究課題は理解しているし、彼以前のコピーの記憶も彼の中に蓄積されている。しかし、どの実験体も似たり寄ったりの解答を出していたはずなのに、どうして自分がまた生み出されたのか彼には理解できなかった。目の前の男にはコピーの記憶が刻まれていないとでもいうのだろうか。
どんな疑問があっても、彼の言う命題がよしんば愚問であっても、新生拓郎には他にすることがなかった。オリジナルの欲求を満たす以外は。
彼の中の記憶。正確にはコピー三百六十四体の記憶の彼は、毎日、毎日を最後の日として過ごした。朝日を浴びて生まれて、夕日を眺めて死を思った。そしてコピーは儚い一生を全うし、次のコピーに記憶を継いだ。夕日が落ちるその前に、コピーたちは己と同じ顔の前に立ち、記憶を吐き出して死んでいったのだ。
拓郎は残り少なくなった夕日を浴びて、ベンチを立った。あの蜻蛉はすでに彼の足先には居なかった。