見えない
それから彼女はちょくちょく来るようになった。何故いつも森の中にいるのか、どこに住んでいるのか、など、妖怪だとばれるような質問を何度かされ、肝を冷やすとも多く、しかしなんとか切り抜けている。それが現状だった。
そして今日も、彼女は森主のところへ来た。
「あたしね、葵っていうの」
「は?」
もともと感じてはいたが、彼女の会話には脈絡というものがうかがえない。だからこうして、森主が聞き返すことは多かった。そう、とても。
おかげで彼女は森主のことをひどく馬鹿にする節があった。まあ、森主は妖怪で、彼女は人間なのだから、話が合わないのも当然なのだけれども。
「あたしの名前よ。教えてなかったでしょ?」
妖怪に名前を教えるということがどういうことなのか、彼女は知らないらしい。もしかしたら、森主が人間なのだと、本気で思っているのかもしれない。さまざまなことが考えられるが、妖怪である森主には名前で呼び合う感覚は無く、ましてや名前を教えるなんて自殺行為を働く彼女の行動の意味を、すぐにひらめくはずもない。そのため彼は、目を丸くしたまま聞き返してしまった。
「名前?」
しまった、と思ったときにはもう遅く、彼女はぽかんとした顔をする。妖怪だとばれると覚悟を決めた彼だったが、予想に反して彼女は女性らしからぬ大声で笑い出した。
「そうそう、名前よ!苗字じゃないわ!」
「そんなこと聞き返す?」と笑い転げる彼女に、ばれなかった安心感と、そこまで笑うかという怒りが込み上げてくる。どっちの感情を表に出すか決めあぐねている時、彼女の体調がいきなり悪くなった。
今まで豪快にあけていた口を塞ぐように手をあて、気持ち悪そうにうめく。様子の一変した彼女に、森主はつい駆け寄った。
「大丈夫か!」
彼女より青ざめた顔で彼女を覗き込んだ。すると、彼女はけろりとした顔で彼に舌を出してみせる。
「全然平気」
今度は森主の顔がポカンとなった。その顔に彼女がまたケラケラと笑いを再開する。
彼女が笑い終わるまで状況が掴めなかった森主に、さすがに彼女は説明した。
「つわりよ、つ・わ・り」
「・・・つわり?」
「あら?知らない?妊婦さんがなるやつ」
人間社会になじみのない森主が知る由も無かったが、とりあえずその場は知ったかぶりをする。正直に言えば、「ニンプ」がなんなのかも解らない。ただ、さっきのが定期的にくるのであれば、それはきっととてもつらいことだ。そのため、森主はさきほどの平気という言葉はかなり疑わしく感じる。
「本当に大丈夫なのか?」
つい確認を取ると、彼女は臀部を愛でるように撫でた。おてんばな顔をしていたのがウソのように、柔らかな表情になる。