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茶房 クロッカス  その1

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 その日は三月らしい暖かい日だった。
 朝いつも通りに掃除を終えて、俺は裏のキッチンで、ぼちぼちとランチ料理の下準備をしていた。まぁ慌ててするほどの量でもないし、俺は鼻歌なんぞ口ずさみながらやっていた。
 曲は当然ひと昔前のフォークソング。俺はフォークが大好きだから。

 そんな時「店に来客だぞー(カラ〜ン コロ〜ン)」って、ドアに取り付けたカウベルが俺を呼んだ。
『今時、横スベリの自動ドアじゃないなんて時代遅れだ』と言う奴もいるけど、俺がこの店を選んだのも、一つにはこのドアが気に入ったからなんだ。
 おっといけない! お客さんだった。

 俺は慌てて店の方に顔を出すと「いらっしゃ〜い」と、明るい声で言った。第一印象は大事だからな。
 ドアの内側には珍しいことに若い男女が立っていた。
 少し迷っている風に見えたので、どうぞ〜と手招きしてカウンター席に座らせる。
 二人は席について顔を見合せて笑うと、揃って紅茶を注文した。

 俺が紅茶の準備をしていると、男の子の方が遠慮がちに、
「今日はお暇なんですか?」
 と、聞いてきた。俺はふふっと笑って、
「いつもこんなもんですよ。今時こんな店は流行らないからね」 
 と、軽く答えた。
 ふと見ると、男の子の方が何やら旅行カバンを持っているのが目に入って、つい聞いてしまった。
「どこかに出掛けるのかぃ?」と。
 彼は大学に受かって、今から上京すると言う。二人はどう見ても恋人同士のようだ。
「――そうかぃ、じゃあ離ればなれになるんだね。大丈夫かぃ?」
 俺はまたまた余計なことを聞いてしまった。
 案の定、彼氏の方が怒ったように、
「大丈夫? って何がですか?」ってムキになって言う。
 すかさず彼女が彼氏の袖を引っ張ったので、彼氏もぐっと堪えたようだったが。
「――若いなぁ〜」と、思うと同時に声に出していた。
《俺にもこんな頃があったなぁ……》と、昔の思い出が頭をよぎった。

 あの頃の俺は、今、目の前にいる二人のようだった。
 まさか終わりが来るなんて思ってもみなかった。なのに……。
 二人に紅茶を出すと、思い付いて俺の思い出の曲を二人にプレゼントすることにした。俺がそう言うと、CDをセットする俺を横目に見ながら二人は目を見交わし、曲が流れるのを待っていた。

  恋人よ ぼくは旅立つ 
 東へと向かう 列車で  
はなやいだ街で 
君への贈りもの  
探す 探すつもりだ

 曲が流れ、少し舌っ足らずで歌う歌詞の部分になると、二人は目と目で会話をしてるようだった。
 俺もしばし思い出に浸った。青春のほろ苦い思い出だった。
 ――あの頃の俺には好きな娘がいた。

 俺たちは高校一年の時から付き合い始め、三年近く付き合っていたのに、俺が大学に入ってから、俺の浮気が原因で、結局俺の方が振るような形で別れてしまった。でも、それが間違いだと気付いた時はすでに遅し…で、それからほんのちょっと後には『彼女が誰かと結婚した』と、風の噂で聞いたのだった。
 あの時の俺は、本当に情けないくらいに落ち込んだなぁ……。
 あれからもう約二十年が経ったというのに――お陰で俺は今でも独りだ。
 おっといけない! 目の前の二人のことを忘れる所だった。
 曲の終わりに彼らは何やら、二人だけの約束事を交わしたようだった。
 帰る素振りで伝票を取ったので、代金を受け取る時に、うちの店の名刺を二枚手渡した。その名刺の裏には、この店の名前でもあるクロッカスの花の花言葉が書いてある。
 それは俺にとって、多分一生忘れられないほどの深さで、胸に刻まれた言葉だった。

 ――二人が会計を済ませて手をつないでドアを出て行く後ろ姿に
《俺みたいになるんじゃねぇぞっ!》と、勝手に心の中でエールを贈って見送った。