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 男は飛びつくようにモニターに向かうと、刻々と変わる取引のチャートに目を凝らした。そこには、今まで何度もこうで在ってくれればと願ったとおりに、これから辿るであろう軌跡が十分後まで続いて表示されている。
 恐る恐る、一つの銘柄に注文を入れた男が固唾を飲んでから数分後、彼の歓声が部屋に響いた。

「ああ、怖いぐらいだ。見えたとおりに相場が動いてく」
『神の力を信用していただけましたか』

 微笑む天使に、男はひれ伏して謝意を表した。これで最早、彼に負けは存在しない。ただ勝ち続ける人生が約束されたようなものだったからだ。

「なんと素晴らしいのでしょう。これからは神に感謝して日々を過ごすと誓います」
『それは良い心がけです。ところで、貴方は今、投資で儲けようとしていますが、それにはやや元手が苦しいのではありませんか』

 男は再び驚いた。天使というものがこうも俗世に詳しいとは思わなかったが、そんな事まで見通されるとは。事実、彼の元手は大きく減っており、いくら今後は負けなくなったとはいえ、元に戻すのだけでも一苦労ではあった。

「お恥ずかしい話です」
『恥じることはありません。もし必要なら、その望みも叶えましょう。一千万を一年分の寿命でお渡しします』

 男は再び考え込んだ。一年で一千万を稼ぐのは容易なことではない。だが、今の自分なら、それだけの元手があれば大きく膨らませることができる。もう既に十年分を神に捧げたのだ。今更一年追加したところで、構うものか……

「お願いいたします」

 再度天使にそう願っただけで、男の口座残高に一千万が追加された。あまりのあっけなさに、再度頬をつねって見た男だったが、未だに夢から覚める気配は無い。正真正銘の現実だった。
 こうなってくると、人間には欲が生まれる。こんな機会は二度とあるまい、もっと願い事を頼んでおくべきではないのか?

「他にもお願いできるのでしょうか」
『勿論です。例えば貴方は生まれつき、腰が悪いようだ。それでは長時間座っていられず、折角の資金も有効活用できません。その腰を治して差し上げましょう』

 男は更に喜んだ。医者にも見放された腰痛とは、もはや一生付き合っていかねばならぬと諦めていたところだった。

「寿命はどのくらい……」
『普通であれば一年なのですが、貴方は今までその痛みに苦しんできたのですから、六ヶ月で治して差し上げましょう』

 男に最早、躊躇いは無かった。本来より半年分も寿命の消費を軽減してもらえて、更に痛みがなくなるという。一生腰をさすって生きることを考えれば、半年死期が早まるぐらいは仕方ない。
 天使が手をかざすと、男の腰から痛みが嘘のように消え、まっすぐに伸ばせるようになった。神の力の偉大さに、最早疑いをさしはさむ余地はない。

「他にも、お願い出来ますか」
『ええ、勿論。そうですね、貴方は……』

 天使は男が長年悩み続けていた事を様々に指摘した。身長のコンプレックスや学歴など、今更どうにもならない事を、寿命と引換えに修正してもらった。流石に過去の改竄には大きめの代価を支払うことになったが、これも先行投資だと割りきった。経歴だけはいくら金を積んでも買うことはできないのだから、素晴らしい買い物だと男は判断したのだった。
 また、嫌な思い出を消し去ってもらうことも頼んだ。時折、いきなりフラッシュバックする、嫌な思い出。思い出したくもない記憶は、一個につき一週間の寿命で消しさってもらった。もっとも、最早思い出せないので、どんな記憶だったかは判らないが、兎に角すっきりと晴れやかな気持ちになった。
 あれも、これもと頼んでも、天使は一向に嫌な顔をしない。ああ、神とはなんと素晴らしい存在なのか。男は最早、完璧と呼べる人間になっていた。比喩表現でなく”未来を見通す目”を持ち、欠点のない身体に、一流の経歴。どれもこれも、彼の輝かしい前途を祝福してくれる代物だ。洋々たる未来が彼の目の前に広がっていることは、授かった能力を使うまでもなく見えていた。神に選ばれるというのは、こういう事か。

「大変ありがとうございました。もう、私が叶えて頂きたい願いはありません」

 かなりの時間の後、男は天使にそう告げた。事実、もう願いが思いつかないのだった。そんなに沢山の願いを叶えてもらった実感は無かったが、彼自身、己の変化には目を見張るものがあった。これだけ整った状態から事を始めれば、成功は約束されているだろう。改めてその事実と向き合うだけで、男の頬は自然と緩んでいた。

『そうですか、貴方は謙虚な方ですね。必要以上の願いは決してなさらなかった。貴方が召されたときは、きっと天国に居らっしゃることでしょう』

 天使の言葉に、男は満面の笑みで応じる。来たときと同じように窓から天へと去っていく天使を、男は跪いていつまでも見送っていた。

作品名:オプション商法 作家名:酒虎