オプション商法
『最初は皆さんそう仰いますが、私がこの部屋に難なく入って来たことでも、私が人間では無いことの証明になりましょう。何であれば、単純な証拠はすぐにお見せできます』
そう言うや否や、少年の体がふわりと浮き上がる。男は呆気に取られたまま、狭い室内を浮遊する少年の姿をまじまじと見つめていたが、やがて上ずった声を上げた。
「い、いや、もう結構だ。大変失礼した」
頬をつねって見たところで、痛いばかりで目が覚める様子もない。とすると、自分の頭が異常なのか、これが現実か、どちらかになる。それに、恩恵を与えに来たという以上、危害を加えられることも無さそうだ。そう判断した男は、態度を改めた。
『分かっていただけたようで、何よりです』
「ところで、恩恵を授けると先ほど仰ったが、どういう事なのです」
『平たく言えば、貴方の願いを叶えて差し上げます。ただし、一つだけ条件がありますが』
「条件?」
『はい。一つの願いにつき、その願いの重さに応じた貴方の寿命を減らさせて頂きます』
少年はあっけらかんとそう言ったが、男は思わず目を丸くした。
「待って下さい。恩恵を与える、と言ったではないですか。それではまるで悪魔との取引だ」
『いや、悪魔とは違うのです。第一に、死んだ後に地獄行きが決定するわけではありません。第二には、これは神様のお慈悲でもあるのです』
「慈悲?」
『今の世は、長寿をよりも、短くとも楽しく、濃い人生を望む方が多いのです。そのような人が長生きをしても逆に不幸というもの。そこで神様は、強く望む方にこのような選択の機会を与える事になさったのです』
そう言われて、男はハタと思い当たった。ここ最近は延々と、神に祈るような気持ちでトレードをしていた。この自称天使曰く、強く望む人間というものに当てはまったのだろう。自分の望みを叶えてくれるというなら、いっそ儲け物だ。聞いて見るだけのことはある……
「そうでしたか。それは大変光栄なことです。早速ですが、願い事を申し上げてもよろしいでしょうか」
『勿論です。そのために参ったのですから。あ、念のために言っておきますが、若返りや、不老不死、長生きは駄目ですよ。元々の趣旨に反しますので』
「いえ、そのようなものは結構です。未来が見えるようにして頂きたいのです」
男は先刻、夢想した望みを口にした。断られたらそれまでのこと、別の願いを考えればいいと思っていたものの、天使はあっさりと頷く。
『成程、それを望む方も多くいらっしゃいますね。その望みは、一分につき一年の寿命を頂きます』
「い、一分で一年!?」
『未来が見えるということは、失敗をしないということです。その位の価値があることは、お分かりでしょう』
男は悩んだ。大きな差益を生むトレードは一日、一か月という単位で先が見えないと難しい部分がある。しかし、数分先が見えるのであれば、細かく利益を得ることは難しい事ではない。無論それだけでなく、未来が見える事は様々なことに応用できるだろう。金の問題だけに留まらず、もっと大きな事にも使える筈だ。
暫しの沈黙の後、男は意を決して天使に告げた。
「十分先までの未来を見えるようにして頂きたい」
『改めて言いますが、十分であれば、十年。あなたの寿命が減りますよ』
「構いません。長生きがしたいわけじゃなし」
まだ歳若い彼は、長く生きた後の人生というものに興味が沸かなかった。そんなものよりも、目先の利益があればいい。金を稼げれば、欲しい物は何でも手に入る。美しい女を侍らせる事もできるだろう。老いて体の自由が効かなくなるまで生きているよりは、若くして名声を得る事の方が重要だというのは、以前からの彼の信念だった。
『分かりました。では、目を閉じて下さい』
天使に言われるまま、目を閉じた男は、目眩のような感覚に襲われた。その不快感が終わるころ、天使は目を開けるようにと促す。
『さぁ、貴方はもう未来が見えるようになっていますよ。試してご覧なさい』