オプション商法
「あぁ、今日も駄目だ」
昼日中だというのに鎧戸も遮光カーテンも閉めきった室内で、男は頭を抱えていた。無精ひげの伸びきった痩けた頬は、日頃の不摂生と睡眠不足を如実に示す様に青ざめ、眼鏡の奥の瞳は虚ろである。
「くそッ」
手にしたマウスを投げ飛ばし、男は苛立たしげに煙草に火をつける。彼は株式トレーダーと呼ばれる人種だった。ここ数年は負けを知らず、資金は順調に増えていたが、最近の荒れた相場に一瞬出遅れたのを切欠に、坂道を転げ落ちるかの如くその預金高は減っていた。
坂道……彼のパソコンのモニタに表示された幾つものチャートは、彼の凋落を嘲笑うように下降線を辿り、それがより一層男の神経を昂らせている。
「あぁ、こんな時に未来が見えれば」
部屋の空気に散っていく紫煙を虚ろな目で追いながら、男が呟く。取引に携わるものは凡そ皆が皆夢想するであろうその望み。
もしもそんな力があれば、絶対に負ける事はないのだから、今の彼が渇望するのも無理はなかった。
「しかし、そんな事を言っても仕方ない。兎に角、今は気分を入れ替えよう」
疲れきった表情のまま、男は煙草をもみ消し、立ち上がる。昨日から一睡もしていない頭は朦朧としていた。せめて新鮮な空気を……と男がカーテンを引き、鎧戸を跳ね上げた瞬間、強烈な光芒が彼を襲った。
「うわッ」
慌てて顔を両手で覆い、男は二三歩と後ずさった。投げ出したままになっていた鞄に足を取られ、尻餅をついてしまったが、差し込む光から逃れようとする男は、痛みを気にしていられるほどの余裕がなかった。
男の部屋は北向きで、普段はまともに日が当たらない。どうせ大概閉めきっているのだからと、格安の部屋を借りたからだ。窓の外は商業施設が建っていたが、こんな強い光を発するようなものはなかった筈である。訳が分からないまま、男は呻いた。
「一体、何なんだ!くそ、眩しいッ」
『あ、申し訳ありません。今、光量を落としますので』
男の言葉に答えるように、脳裏に声が響く。その途端に、目の前から眩しさが消え去った。
恐る恐る顔を覆っていた手を退けると、窓縁におかしな格好の少年が腰掛けている。まるで古きローマ帝国時代の司祭のような純白の上衣を、ゆったりとした黄金色のベルトで締めた、どこか異質な印象を受けるその少年は、ひょいと立ち上がると男に手を差し伸べた。
『驚かせてしまって失礼しました』
「な、なんだ君は、なんで窓から……」
そこまで言って男は絶句した。この部屋は7階にある。今開け放った窓にはベランダがついているわけでもなく、張り出しのバルコニーもない。この少年が入って来られる道理がなかった。
『私は天使です』
「……は?天使?」
助け起こされながら、男は思わず聞き返す。
『然様です。貴方が神に選ばれたので、私がこうして遣いに参りました』
「どういう事なんだ」
『神はひと月に一度、人間を幾らか選び出し、恩恵をお与えになります。今回は貴方がその栄誉を受ける事になったのです』
「失礼だが、気は確かなのか。人の家にいきなり入り込んで、私は天使だと言う子供の言うことを信じるとでも思うか?」
漸く正常な思考を取り戻した男は、自分より頭一つ分小さい少年を睨めつける。これが夢でないのなら、この少年は偏執狂か妄想癖があるに違いない。そんな視線を受けながらも、少年は特に気を悪くした風もなく応じた。
昼日中だというのに鎧戸も遮光カーテンも閉めきった室内で、男は頭を抱えていた。無精ひげの伸びきった痩けた頬は、日頃の不摂生と睡眠不足を如実に示す様に青ざめ、眼鏡の奥の瞳は虚ろである。
「くそッ」
手にしたマウスを投げ飛ばし、男は苛立たしげに煙草に火をつける。彼は株式トレーダーと呼ばれる人種だった。ここ数年は負けを知らず、資金は順調に増えていたが、最近の荒れた相場に一瞬出遅れたのを切欠に、坂道を転げ落ちるかの如くその預金高は減っていた。
坂道……彼のパソコンのモニタに表示された幾つものチャートは、彼の凋落を嘲笑うように下降線を辿り、それがより一層男の神経を昂らせている。
「あぁ、こんな時に未来が見えれば」
部屋の空気に散っていく紫煙を虚ろな目で追いながら、男が呟く。取引に携わるものは凡そ皆が皆夢想するであろうその望み。
もしもそんな力があれば、絶対に負ける事はないのだから、今の彼が渇望するのも無理はなかった。
「しかし、そんな事を言っても仕方ない。兎に角、今は気分を入れ替えよう」
疲れきった表情のまま、男は煙草をもみ消し、立ち上がる。昨日から一睡もしていない頭は朦朧としていた。せめて新鮮な空気を……と男がカーテンを引き、鎧戸を跳ね上げた瞬間、強烈な光芒が彼を襲った。
「うわッ」
慌てて顔を両手で覆い、男は二三歩と後ずさった。投げ出したままになっていた鞄に足を取られ、尻餅をついてしまったが、差し込む光から逃れようとする男は、痛みを気にしていられるほどの余裕がなかった。
男の部屋は北向きで、普段はまともに日が当たらない。どうせ大概閉めきっているのだからと、格安の部屋を借りたからだ。窓の外は商業施設が建っていたが、こんな強い光を発するようなものはなかった筈である。訳が分からないまま、男は呻いた。
「一体、何なんだ!くそ、眩しいッ」
『あ、申し訳ありません。今、光量を落としますので』
男の言葉に答えるように、脳裏に声が響く。その途端に、目の前から眩しさが消え去った。
恐る恐る顔を覆っていた手を退けると、窓縁におかしな格好の少年が腰掛けている。まるで古きローマ帝国時代の司祭のような純白の上衣を、ゆったりとした黄金色のベルトで締めた、どこか異質な印象を受けるその少年は、ひょいと立ち上がると男に手を差し伸べた。
『驚かせてしまって失礼しました』
「な、なんだ君は、なんで窓から……」
そこまで言って男は絶句した。この部屋は7階にある。今開け放った窓にはベランダがついているわけでもなく、張り出しのバルコニーもない。この少年が入って来られる道理がなかった。
『私は天使です』
「……は?天使?」
助け起こされながら、男は思わず聞き返す。
『然様です。貴方が神に選ばれたので、私がこうして遣いに参りました』
「どういう事なんだ」
『神はひと月に一度、人間を幾らか選び出し、恩恵をお与えになります。今回は貴方がその栄誉を受ける事になったのです』
「失礼だが、気は確かなのか。人の家にいきなり入り込んで、私は天使だと言う子供の言うことを信じるとでも思うか?」
漸く正常な思考を取り戻した男は、自分より頭一つ分小さい少年を睨めつける。これが夢でないのなら、この少年は偏執狂か妄想癖があるに違いない。そんな視線を受けながらも、少年は特に気を悪くした風もなく応じた。