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後ろ姿の少年に7 【後ろ姿の少年に】

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 わたしの身勝手から、この子にこんな思いをさせてはいけない。また、自分もこんな人間であってはいけない。こんな恥ずべき、悲しいことは二度とくり返すまい、そうわたしは心に誓った。

 そのときからである、わたしが子供の親であることに苦痛を感じなくなったのは。

 おそらく、わたしは親としての責任の重さにばかり気を取られ、子供への自然な感情をなくしていたのだ。このことを契機に、わたしは少し親になりかけたのだと思う。

 そうして今回の二人目の誕生である。このときは、わたし以外に誕生に立ち会うものもなく、ひとりベッドに置き去りにされたかのように横たわって、しかも泣き声もあげずに静かに目だけ動かしている子供の姿は、無条件にいたわしかった。わたしは、この子もまた命に代えて守らなければならないと思った。

 子供は、抱き上げるたび、決して軽く生まれたわけではなかったが、その軽さと傷つきやすさを日々感じさせた。わたしは、少年だった自分の心に触れているような錯覚を覚えた。あのときのわたしの心もこんなに軽く、こんなに傷つきやすかったのだろうか。そんなことを考えていたとき、子供とわたしの間に、ある符牒があることにわたしは気がついた。それは、わたしと亡くなった父の年齢差が、今生まれたわが子とわたしの年齢差にほぼ等しいという事実である。それはまた取りも直さず、わたしが父の亡くなった年齢にもう少しで達するということであり、生まれたわが子が、父を亡くしたわたしの年齢にこれから近づいて行くということであった。三十年のときを隔てて、わたしと父の関係はわが子とわたしの関係となって再び姿を現した。

 あと一年半。

 あと一年半で、わたしと父は別れるのである。父はいったいどんな気持ちで、この一年半を過したのだろうか。もちろん父自身に先行きの運命のことなど分かりようはずは無かったろう。おそらくは、いつもと変わらぬ気持ちで、いつもと変わらぬ生活を送り、肥料計画を立て、農作業に精を出し、ときどき鍬の手を休めて、好きなたばこを吹かしたり、畑に連れてきたわたしをあやそうと、サトイモの葉で日おおいをつけた乳母車までのぞきに来たりもしたことだろう。

 だが今のわたしになら、父の未来に何が起きたかを知っている今のわたしになら、そして偶然とはいえ父と同じ年齢で二人目の子供を持ったわたしになら、死を前にした父の気持ちが想像できないだろうか。

 わたしは、一年半後にこの世にいなくなる自分のことを考えてみた。途端に、目頭が熱くなり、悲しみがのどもとに込み上げた。

 なぜ、これほどにも傷つきやすく、こわれやすい、大切なものを置いて、この世を去らなくてはならないのか。何とかして、この子がひとりで歩き出せるまで、そばにいて見守ってやることは出来ないだろうか。

 こう思い至ったとき、わたしは父がどんな気持ちで死んでいったかを完全に理解できたように思う。あえて完全にという言葉を使わせていただく。だが、それは、わたしが父親のすべてを理解したという意味ではない。逆に、父親本人でない限り、いったい誰に、死んでゆくそのときの思いが分かるというのか。わたしが完全にというその意味は、父を完全に理解したということではなく、父に成り代った自分を通じて、わたしが自分の気持ちを完全に納得させることの出来る唯一の解釈にたどり着いた、という意味なのだ。もし仮に、父がわたしのように考えていなかったとしても、もはやそんなことは問題ではなく、そのときのわたしの思い至った考えこそ、わたしが本当に求めていた考えであり、それ以外の考えでは、たとえわたしの理性は納得しても、わたしの感情は納得することが出来ないのだ。つまりわたしは父の立場を想像することを通じて、これまでの自分自身を、そして今後の自分自身の生き方を、指し示してくれる言葉を心の奥で渇望しており、そこへ、まるでジグソーパズルの最後の一片のように、ぴたりと当てはまる言葉が見つかったということなのだ。

 この答えを見出したとき、わたしはようやくほっとすることができた。長年、父親に持っていた不審の念(いったい、父親というものは何の役に立っているのか)を拭い去ることが出来たし、おそらく、死の間際の父が、伝えようとして伝えられず、また、わたしも思い至らなかった言葉(何とかして、この子がひとりで歩き出せるまで、そばにいて見守ってやることは出来ないだろうか)を見出すことができた。

 わたしがするべきことは、はっきりした。

 二人の子供のかたわらにあって、その傷つきやすい心を静かに見守ること。そうして時折、その子にだけ聞こえる声で、はげましの言葉をかけること。

 だが、わたしの問題はまだ半分しか解決していなかった。

 では、あの少年、わたしの心の奥の、深い深い場所に閉じ込めておいたあの少年は、どうしたらいいのだろう。

 わたしは抱きかかえているわが子を見た。その子はなおも、わたしの少年の心のように見えた。わたしは、その心を何としてでも守って、そしてひとりで歩いてゆけるまで力づけてやりたいと思った。

 わたしは少年に会う決心をした。少年のいる心の底の底へと降りていった。心の底は寒くて暗かった。だがその暗さを通り過ぎると、再び明るさが増した。それでも寒さは変わらず、音も何一つ聞こえて来なかった。わたしは降り続けた。

 明るい景色が開けた。そこはかつてわたしが歩いた村道であった。その村道のちょうど真ん中あたりに、一人の少年が肩を落としてたたずんでいた。わたしは胸が迫った。その少年こそ十歳のときのわたしだった。

 わたしはその少年に声をかけようとした。だが、前と同じように声は声にならなかった。わたしが初めて少年にかける言葉を持ったときに、声が出ないというのはいかにも口惜しかった。
  
 しかし、それ以上に、少年の姿に、はっと息を飲むものがあった。

 どうして今まで、こんなことに気がつかなかったのだろうか。わたしは自分のうかつを恥じた。

 わたしの記憶に残る少年は、いつも後ろ姿だったのだ。

 買い物をして帰る少年。卵を探しに駆け出す少年。「こい」でマンガを読む少年。豚を道に追いかける少年。そして卵を売りに行く少年。どれもみな、わたしはその後ろ姿でしか思い出すことが出来ない。これはどうしたことだろう。だが、この謎は、わたしが自分の子供を通じて、少年に話しかけたい言葉に思い至ったとき、すでに解かれていたように思う。

 おそらく少年は自分の後ろ姿を常に意識していたものに違いない。自分の後ろ姿が人にどのように映るか意識せざるを得なかったのだ。それゆえ、わたしに後ろ姿として記憶されたのである。

 少年はひとりで寂しかった。だから自分の後ろ姿からそのことに気づいてほしかったのだ。そうしておしえてほしかったのだ。なぜ今、自分が苦しまねばならないのかを。そして、ちゃんと筋道を立てて指し示してほしかったのだ。自分が行くべき道を。もしそれがかなわないというのなら、せめて一言かけてほしかったのだ。

「よく、がんばっているな」とか、

「もう少しのしんぼうだよ」とか、

「もっと気楽にやりな」とか、