後ろ姿の少年に7 【後ろ姿の少年に】
そうなのだ。たとえ年が過ぎ、生活は変わっても、村道にたたずんで途方にくれていた、あのときの少年の心から、わたしは何一つ変わっていなかった。ただ、あのときの気持ちを日々の忙しさにまぎらし、別の楽しみへとそらし、あるいは、あえてその気持ちを忘れよう、忘れようとして来たのではなかったか。
わたしはそのことに気がついた。気がついて身震いした。わたしが忘れようとして来た二十年もの間、この少年はひとり村道にたたずんで凍えていたに違いない。そうして誰かが来てくれるのを、待ち続けていたのだ。
わたしは、恐る恐る少年に近づいて、声をかけてみようとした。だが、声は出なかった。少年にかけられる、いったいどんな言葉があっただろうか。忘れようとして、自ら置き去りにした少年に、どんな言葉をかければいいというのか。
もはや、かける言葉はなかった。
わたしが少年にかける言葉を見出すまでに、さらに十年近い歳月が必要だったのである。
その十年近い歳月が過ぎたある日、その言葉は思いがけないところからやって来た。
わたしに二人目の子供が生まれた晩のことである。わたしは係りの看護婦さんに新生児室に案内され、まだ生まれて間もない自分の子供に対面した。
男の子である。
子供は裸のまま仰向けに寝かされ、何かつかまるものがほしいかのように、縮こまった手足を空中に差し出している。どこを見ているのか分からない、その黒くて大きな瞳がゆっくり、ゆっくり動いている。すでに、ひと泣きしたからでもあろうか、今は泣き声も上げず、ただゆっくりと目を動かしている。生まれたばかりの子供は大声を上げて泣くものだと聞いていたわたしは、この子からひどく静かな印象を受けた。
看護婦さんの許可を得てわたしが抱き上げようと近づいた、そのときである。わたしが立てた足音に、その子は、まるで感電でもしたかのように、手足をびりびり震わせ、目をぐるぐると回した。それは、また、夏の夜の線香花火の火花にも似ていた。おそらく、わたしの立てた足音と、からだの動きから生じた空気の流れに敏感に反応したらしく、その後もしばらくの間、わたしがどんなにそっと近づこうと、びくっとして震えるのだった。
子供は大声を上げて泣くということを、あまりしなかった。ただ、目を大きく開けて、ひとり静かに起きていた。そうして人の気配や小さな物音、わずかな風の動きにも、鋭敏に反応し、その度にごとに、からだをびりびり震わせ、目を大きくぐるぐる回した。それはわたしの目に、この世界に頼るものも無くひとり生まれて、ひたすら不安と恐れを抱いているその証のように映った。自分が今どこにいて、どうしたらいいかも分からず、ただひとり震えているこの子を見るのは切なかった。
わたしは、はっと息をのんだ。それは、わたしが今まで見たことのある何かに、ひどくよく似ていた。
そうである。その姿は、自分が何をしているのか、どこに助けを求めたらいいのかも分からず、また何をしていいのかも知らず、ただひたすら、まわりのものたちの声におびえ、不安な心を抱えていた、少年のわたしにそっくりだった。いや、それはもはや、少年でさえなく、わたしの心そのものだった。
わたしの胸は刃物に刺されたかのように、きりきりと痛んだ。
同じ境遇の新生児は、手を伸ばせばすぐ触れ合うほど近くにいるというのに、それさえも知らず、母親からは引き離され、ひとり手足を持ち上げ、空(くう)を抱いて何かにすがろうとするその心。
わたしは、初めて、この子をどんなことをしてでも守りたい、と心から思った。
だが、そのとき一つだけ不思議に感じたことがある。
なぜ、一人目の子供が生まれたときに、わたしはそう思わなかったのだろう。一人目と二人目とでは何か違いでもあるのだろうか。
わたしはそれについてあれこれ考えてみた。だから今は自分なりに一つの答えを持っている。それはおそらくこういうことだ。
一人目の子供(女の子である)が生まれたときに、わたしはまだ親になっていなかったのだと思う。そもそも、子供がどのようなものかも知らず、妻やまわりのものたちから親になるべく望まれたがゆえに、ただそれらしく振る舞っていただけのことなのだ。わたしは親として何をしたらいいか分からず、親はこうするものだというまわりのものの意見に、言われるがまま従っていたのである。
子供からすれば、生まれたときから親は親である。だが、親の方は、どうもそういう具合には行かないらしい。とくに生みの苦しみを経験したことのない男親は、まわりから言われて、すぐに親としての意識が目覚めるものではないだろう。しかも、それが初めての子供であればなおさら、親より経験のあるものたちが様々に手を出し、口をはさむ。
それが悪いというのではない。それは新米の親にとって必要なことだし、大変ありがたいことだ。だが、わたしの場合、そのことによって子供との距離が遠く感じられたのもまた事実である。
わたしは、子供を受け入れることがなかなか出来なかった。
あるとき、わたしは公園の砂場で子供をきつく叱ったことがあった。子供が素手で砂をつかんで遊んだからである。というのも、その頃、公園の砂場が犬猫のトイレに利用され、汚れてきたないことを、テレビのニュースで見て知っていたのである。
わたしはあらかじめ娘に厳に言い渡した。砂は汚いから素手でつかんでは絶対にいけない、どうしても遊びたいなら、必ずプラスチックのスコップを使うこと。
だが、それは二つになったばかりの娘に厳しすぎたのかもしれない。娘はわたしがよそ見をしている間に、初めて触れる砂の感触をさっそく素手で楽しんでいた。見るもの、触れるもののすべてが新鮮な娘にとって、それは仕方のないことであった。わたしとて幼い頃、つかめば指の間からさらさら落ちる砂の感触を、何度繰り返して味わったことだろう。それなのにわたしは、この新しい世界を心から楽しんでいる二歳の子供を前にして、いらだち、その苛立ちにまかせて理不尽と言っていいほどの怒りを示したのである。
娘はわあわあ泣き出し、その泣き声にいっそう苛立ちを募らせたわたしは、さらに声を荒げて娘を叱った。娘はその泣き声の中から「パパ、ごめんなさい」をくりかえした。わたしはそのとき初めて、自分がいかに情けない人間だったかを悟った。
わたしが娘に砂を素手でつかませたくなかったのは、もちろん、娘の健康を気遣ってのことである。だが、それは子供の心から導き出されたものではなく、面倒を嫌う大人の論理から来ていた。親が子供の健康を管理するのは当然そうあるべきことだが、そのことだけを優先して、子供の活動を非常に狭いところに制限してしまったら、子供の成長はどうなるだろう。それに親の、面倒を避けたいという思いからしたことに、分別のつかない幼い子供が必ずしも従わないからといって、大人が怒りをぶつけるのは、いかにも理不尽というものではないだろうか。
こんな幼い子にわたしの理不尽から悲しい思いをさせ、しかもその子は、それを理不尽とも知らず、謝ることしかできずにいる。
作品名:後ろ姿の少年に7 【後ろ姿の少年に】 作家名:折口学