貝殻
葉子もそうだろうか??近頃の妙なひっかかる含みは少なく、言葉選びも稚拙であるが遠慮含みの話しっぷりは楽観の装いも新たに、深い依存感で表面をカモフラージュ、楽観と無教養を出汁に隠した、圧倒的なわたしへの好意ではないのでは?と自賛的に自分をほめているかのように受けてみたい推測に過ぎない葉子の想いに身を震わせ、わたしはなにをしようと呆然とやる宛ての無い週末の土曜の午前時間、無駄なアイディアを絞る労力を少しつかった。しかし葉子の圧倒的な違うかもだがわたしへの好意?のエネルギーは運を巻き込まねば果たせない様な巨大な指向では?そうすると、これを生き急ぎとすると生き急ぐ理由はそこで葉子に何故そうそうさせるのか?それほど為さねば成らぬ、絶対の理由と動機が葉子側に存在する?否、女の前では聞くに聞けないわたしではどんなに考えたって結局空想内の違った解答である確率が大だ。それとも葉子はわたしでも誰でも良かれ、運を作用させる程の行為をこの時点で、やっておきたいのではないのか?対象は本意から外れない限り、だれでもで、この時点だからこそ・・。何かを区切りとして経験上に掴みたいのだろう。そんな思いに駆られ、わたしはソファーに横たわり窓の外へ視線を向けた。焦るのはよくない。外は冬の大気感だ。つんと、張り詰めている。外の景色の中にある、無造作に置かれた、建造物は葉子とは真逆になにもしたくないかの様に存在して居た。決して生き急ぐことなく、風雨に晒されつづけるビルディング。それとは対照的に急かす自分を抑えることなく、駆っていまを進む現代的な少し声の篭るしゃべりかたの何かを遠望する葉子。少し恋愛にも似た感覚を葉子に敢えて持ち、わたしは再度今度は注意深く外を視た。大人だった自分が再度大人になるってどういう感覚だろう?とわたしは自分に問い掛ける。さっきのニュースのせいもあるが考えがどうも暗い。そんなはづじゃないが、意味が自分で理解できない質問を自分に問うなんて。結局こうだ。感情に寄り人間はどう仕様もない考えにとりつかれ結局それは意味のないことに永遠に気付かない。そこでわたしはここで時間の無駄を果たした訳だ。そうする間にかたづくことだって多く在る。効率的なのはやはり感情に左右されず影響を受け辛い人間が受ける恩恵だ。きっと神が与えてくれた、恩恵。感情のすばらしさをここで述べる気にはならないが、やはり恣意的に使用ができぬのが感情と謂うシロモノである以上、あとは感情に関しは神に委ねて天命をまつ類(たぐい)の物だ。運もそうだが、ルーレットを回し、出た目に従わざるを得ない物なんだ。そう思う事にし、外で視線に留った物質にギクッとした。
非常に美しい女性が歩いていた。一目で美人と分かる美人だった。2秒ほど観察したが、その女性が視線の範囲の外側へ移動するに従い、なぜか小さくなって目には映るのに視線の外側に移るほどその女性が寄り美しく見えた。視界から消える直前わたしは卑怯にもその女性と子供時代の男女の付き合いの様な関係をもちたくなった。だが、その女性はこちらの意図に気付いたのか気付いてないのか、大人っぽい仕草でシャキシャキとしかも突っぱねたような仕草でずっと歩く方向を見ながら、優雅に長い髪を一度かき上げだれかと約束でもあるのだろうか???少し予定含みのあるような表情で視線をやや下に落としたとき丁度、わたしの視界から消えた。
そこまで自分の理性を平常に保つ自信は無い。が、葉子に関しはこのいまの様に節度をこののち、いまからの関係でどう左右するか、また変な突き動かされるアクトにでない自信も自分に以前に何度か問うたがないようだった。しかし、極度にその働きに十分に配慮は自分也にしていくつもりだ。それがいまとらえた衝動ではなく大人の付き合いと言い聞かせる自分であった。そう全ては全てを成し遂げるための要素をあちこちに配置し、利用してくれるのをまって居るのだから。あちこちに散らばってそこそこに存在するのさ・・。小さな全ての各部品が・・・。組み立て方を考え自分也の創造図の完成型を目指せば良いんだ。全ては全てのためにあるってとこか・・。そう思うことにし、わたしは無造作に仕事のことにうつつを抜かすことに決めた。適当にはやらないよ。しっかりと堅実に固く・難しく・色彩豊かになんでもそうであるかのように地道さに重点を置き、思考が錯誤へ向かうのを防ぐため、嫌が応にも現実へ引き込んでくれる仕事に嵌る土曜の夕方までの時間を選択した。
果てのない、宇宙を連想するようにわたしは仕事に励んだ。それはそう、丁度うやむやな感覚と戦う何かと似ていた。心理状態が。きっとそれはそう、忘却の彼方からやって来る、暴威だったんだ。そこでわたしはふと書類への手の動きを止めた。やはり、そう、こんなことは間違っていたんだ、わたしが何もかもを連想出来るなんて、思い込みは。
角度を穿ってひととは違う方角寄りモノをみる・みえるということは人によっては、そこで抽象的な偏見を持ち得ない事を禁じえない。なんでこんな感覚に突き進むことを自分自身で確かめ自信たっぷりにまい進の決意をしたんだろう?
そんな当て外れな思い込みに反省を当てながらわたしは昼食を仕事をしつつ、書類に視線を落とし奮闘していた。奮闘していたのは食事への働きがほとんど向けられていたが・・。そうして夕刻になった。すこしここから離れ仕事への情熱を外出がてら冷ましてみたく成った。
課増は実直とは程遠い性向の人間であり、そこには謙虚さへも本人が自負・自慢・慢心する以上に存在は希薄だ。そんな不完全な人格形成を効果面で偶々今まで発揮することもないまま、幸運か不運か他人にその点は気付かれる事も無く、24年間を経過さして来た。わたしは外へでた。街路樹がキチンと整頓されて植えられている。長いあいだまった甲斐があるような気がする。さきほど室内からみた景色の中に存在した物質がそこには居た。否、長くはないんだ時系列的には、ただ、ほんのちょっとタイミングが合致した。その美人と巡り合うと謂う。
つてつてとその女はわたしに向かって歩いて来る。
「すいません。この天気でわたしは心も肉体も疲れてます。どこかでお会いしませんでした?」とその美しすぎる女はわたしに突如・唐突にすこしちょっとだけぶっきら棒に話し掛けた。
「いえ、あった憶えは無いですが・・・・。なんてラッキーなんだろ。君のような路上の樹木のような散歩に心を遠くからでも気付くぐらい意識して出会え面識を問われる・・なんて。」
彼女は犬の散歩を近所からしてた様だ。名前をこのきっかけに訊いてみたく成った。関係ないよ、葉子の事なんて。このときはどうしようも無く、わたし、そうおもいたくなったし、そういう衝動がわたしをがんじがらめに捉えて離してくれない自分。なんて淫靡なんだ。このご時勢って・・。丁度緩いカーブの放物坂に差し掛かる頃、丁度この2者は並んで犬も加え、歩いた。
「ねえ。」と今度はわたしから切り出した。
「?」とその名も知らぬ名も無き女性は怪訝な表情を更に曇らせた。なんだか、真っ青だった。土曜の冬の今夕の天気は。