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貝殻

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そして、わたしはこういう。真のエリアからでた、美の追求心は、必ず敗北を産む、人生のね。それを踏まえてなんとなくだが、美への抵抗がわたしにはある。自分の見栄えだけに関しだがね・・。ん?葉子は美かって。そうだろう、あの美しさは・・。
 そんな想いの中、いつも葉子を見て来た裏腹な見方で、毎度軽い、背徳と反省を繰り返して。災害のような、あの美。追従を許さない雰囲気。好意とはそういう偏見の中からも産み出されるな、と初めて気付かされたのも、葉子からだった。
 それは、決して相手の勝利を喚呼するもので、葉子のためだけであった。いつも、嬉しさ半分、焦燥半分のわたしではあるな、と心地好さ気にわたしは葉子を評価する。そして、今後もそうありたく、彼女を縛りたかった。そして、ときは流れた。知り合って幾ばくのときを・・。駄目なんだ・・。融通の利かない恋愛関係は、いつも壁をその進行方向の先につくり、何れ当たってしまうから。
ずっと、先だといいな・・。なんて、被害妄想はよそう。そしてこれからを、もっと快楽の渦へと、試みつつ遠慮して、段階を構築せねば。決して、一時しのぎの愉悦感ではなく、もっと異次元の豊か、また豊穣の実りの感覚を得る、結論への物語りのため・・。
おわりの引き伸ばし、最終へのは、最後の到来を前提してるのだろうか・・。そして、最後はいつやって来るかを予感・連想させてくれるのだろか?途中経過で気付かせてくれるのだろうか。なら、それは意図的な他者からの悪意?から気付くのだろう・・・。
そして、そんな事を経ないと人間はいつも最終段落を諒解しないのだろうか。悲しいかな、他者からの攻撃なしに、この結論には至らないだろう。また、外からの外からみえた上での働き掛けであるからこそ、自虐を含まぬ、正当な権利を、与えられた寄与された、行動となるのだろう・・。
 いつも他者はこう、いう。常に受身で在れ、と。そして、他者へは行動を取れ、と。結びつきは常に楽観を喚起する。だから、ギブ&テイクを怠るな。これはだれが教えるでもなく日々日常の過ごし方でいつの間にか、教わる歴史だ。
 Kと帰社の途中で別れたあと少し、わたしは、公園のブランコで、毎日そうする様に脳を効率化させる作業に取り掛かった。その後、またあれを、せねば。そうする事は課増の日常で在った。明日の検討に邁進する度、課増はエネルギーを充填する。まるで、労費していくしか無い乾電池の宿命、それを無理に詰め込み、それを回復させているかもわからない作業に勤しむ課増。そして、わたしは帰宅した。乾電池は使い切るとそれは用を為さない・・。無くなる直前に不要になる前、補充をせねば・・。取り替えられる前に。
 一方通行のエネルギー、それは他動の介入を許さない。よくいう、最高権力者の採る手だ。そして、それは人生を最高に充実させる。例え独り善がりのはだかのおおさまで、在ってもね・・。
権力者にとり、行為の妥当性は考慮しない。そのことは歴史と、その同時代に実感して生きた、評論家達も賞賛している。ただ、只管従えと・・、そのほうが楽・・だと・・・?今の時代、民主制度が実存してるという少なくともカタチ上はそう、みえ、制度上騙されてるかそうじゃないに関わらず、それを結局、民主を発案した、その制度発見者にシステムで従えと、いう、隷属に異ならない。それは、完全主義な制度は永遠に生まれないことを意味、既知することになるじゃないだろか。遠い将来ね。
Kはいつも、こういう。「ただ、完全であれ、と。仕事に関し。」また、いつもこう加える。「経過を捨て去れ、と。受忍のときだ、と。事故は事故では終わらない。それは事件だ。いつまでも記憶に残る、そしてそれは、遠い先完全となったとき、回収されるモノだと。常に楽観せよ。最後まで行き着きゃ、その方向性は間違いなくどんな方角も回収可能だ。」その事は、いつもわたしを悩ませる。終わりが視得ないだけに・・。「簡単な方法を教えてくれ、と叫びたい。母の内部から解き放たれた瞬間、わたしは自我を求め出した。そして、それを得た。ひとよりやや、遅かったが・・。だが、いつも不安。さきに炎が揺らめくんだ。消えはしないが、経過の苦痛と相成り、しゃがみ込んでしまう。だから教えて欲しい。疲れない方法論を。そして学びたい、一番簡易的な、経過を。あるなら。」不安と焦燥から自我を越えた物を得たときからわたしはその様に考え、余計に苦しむ羽目に成って行った。Kはどうなのだろう???K、それを受忍と呼ぶ?Kなら可能だろう。しかし、わたしは違う。生き様が違う。その前に揺らめく炎の明るさが違う。色も違う。どうなってんだ。遣り方次第で全て回収だって?でも、それはわたしへの自分の自我からの信頼を意味する。いつも自分を分かっていると謂う。
 Kはいつもこうだ。こうあれ、こうあれ、と。経済の発展性はいつも置き去りにするものをしないことを重視する傾向。だが、生産する仕事人である課増にとり、生産性はライバルを蹴落とすために常に上げていかねば。等価による等価交換なんていつの世も許してくれない。だれだって、ひとより裕福に優越したいからさ・・。物質的・精神的・人間関係的にね・・。
そしてそのことは、葉子を巻き込み俄然、欲の権化へとわたしを誘う。精神的な優越を得る行為へとね・・・。等価な交換なんて葉子とは望まない。残りの二つは捨てよう、しかし精神は得たい。何故かって?それは男性たる所以だろう・・。恐らく、男は一人ではない。少なくとも、母性を成人後も求める様に、常に母胎の中にいる。居心地良さそうに。それは、葉子には解からないだろう。何故精神面に拘るかを。まだ話しても居ないがね。経済の発展性に似ている。置き去りにする物なんて作るつもりがない。万能物への将来への完成を目指し帳消しにする、経済の志向とわたしの葉子への感性方向は似ている。そして、それを必ずしや胎内の安定性の中、ゆるりともっていく。それが男には出来る。だが、女性は気付かない、気付けない。母となる事を思春期初期に意識させられる状況故に・・・・。
 そして、その感性を葉子はきっと許してくれる。毎日必ず。気付いていても。それが葉子にわたしが、認める、美しさだった。頑張らねば、勝つことに向かい、進捗して・・。なんの勝ちでも良い。取り敢えず、目の前に視える揺らめき・朧気解消のため。そうしないと病んでしまう。なにもかも、とくに怖いのは精神病みだ。これは周囲が視得なく成る。独善へと向かう。権力者を目指す、万物の最果ての姿だ。それは、孤独・楽観・悲観・排他・攻撃・悲哀を抱える。同時にこれ等を抱えると、それは生命の死と同様体となる。生きていても・・・。
心が折れそうだ。いっつも、修羅場をくぐるときいつもそう、想う。想うのは、連想の分野だ。想う・・なにを・・嫌な先見をだ。空想の仮定の部類に入る。
そして、自分も、孤独と戦う必要があるのかと、自問自答する必要が在る様だ。それは何かに似ている。似て非ではなく、そのものだ。
きっとそれは、そう、想いを果たす行動に、直結する、意思・・。
作品名:貝殻 作家名:ぴろ色