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後ろ姿の少年に3

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 村では立場の弱いものは弱いものらしく振舞わなければ周りから嫌われてしまう。母のように自分の家が迷惑をかけなければそれで済むというわけには行かなかった。自分の家のことができてほかの家のことができないわけがない、つまり、自分の家のことが全部できるのならそれを少し削ってでも村のことに奉仕すべきである、それができないのなら、弱い立場をわきまえておとなしく従っていろというのが村の論理だ。村では自分だけ頑張るということは許されない。そんなことをすれば嫌われて孤立するだけだ。何をするにもみんなと同じ歩調をとって遅れず、急がないのが重要なのだ。母はこの不文律を破った、というよりこの不文律の外に出たと言うほうがあたっているかも知れない。いずれにせよ、村人はわれわれを憎みはじめていた。だからそんなことは全く知らないわたしまでからかって、一時的に溜飲を下げていたのだろう。とはいえ、たいていの者はわたしたちを遠巻きにして傍観しているだけだった。そのくせ村とはあまり関係のない町の者の口から
「あんな小学生に買い物までさせて」と、村の者が非難しているといううわさを聞かされたりするとますます腹が立った。あるときわたしはこう応じた。

「おじさん、そんなこと聞いてどうするの」

「どうもしやしねえが、おめえがなんだかかわいそうでよ」

「ぼくは、かわいそうじゃありません。好きでやってるんです。これからぼくのことは気にしないでください」

「そうかね・・・」村の男はむっとして黙ってしまった。このことが効いたのか、それ以来わたしに声をかけるものはいなくなった。それでも遠くから村人がいるのを見かけるとわたしは胸がつぶれる思いで、うつむき、急いでその場を通り過ぎた。そうして時々発作でもを起こしたように買い物をしたくないと母にだだをこねた。だが結果はいつも同じだった。ほかに人がいないのだからいかんともし難かった。ただ、母はこのことで負い目を感じたものか、一日十円の小遣いをくれるようになった。わたしはさっそくその小遣いを貯めることにして、貯まったお金で食品ストアに行く途中の本屋で月一回、月刊の少年誌を買ってもいいという母からの約束を取り付けた。これは本当にうれしかった。食品ストアの道をたどりながら、その本屋の売り台に置いてある新刊の少年誌の数々を、そのいく冊かは裕福な友だちが教室に持ってきて回し読みをしていたのだが、あるときは横目で、あるときは立ち止まって遠くから、またあるときは大事に手にとって眺めながら、何とかしてこの本を手に入れたいものだと思った。それほどまでに新刊の少年誌の表紙はわたしの想像力をかきたてた。わたしと同じ年頃の育ちの良さそうな少年が、あるときはスイミングスーツにシュノーケル姿で景色のいい岩場に立っていたり、宇宙飛行士の服を身に着けていたり、新型の天体望遠鏡をかついでいたり、ポルシェカレラシックス(スポーツカー)のラジコンを走らせていたりする写真を見ただけでもう、胸が高鳴って息苦しくなり、さらにきらびやかな眩暈(めまい)さえ感じるのだった。表紙には写真のほかにも有名な漫画家の絵が踊り、いくつも付いている付録に本はふくれかえっている。
  
 それに本の題名が良かった。『少年』『冒険王』『ぼくら』『漫画王』『少年画報』などなど。どれを買ったらいいか目移りがしてしまうほどだ。

 それはわたしが本屋の前を通り抜けるわずかの間の眩暈だったが、わたしはその眩暈を愛した。そうして本屋を通り抜けたあとに、現実に戻るためのため息をひとつついて、食品ストアに入って行くのだった。食品ストアには週に二度ほど通ったが、本屋に寄れるのは月一回、少年誌を買うときだけだった。その一回をわたしはどれほど待ち焦がれたことだろう。そしてその一回が、わたしの白黒写真のような日常生活にどれほど光彩を添えたことだろう。

 待ちに待ったその日、百円玉を二つしっかり握り締めて、わたしは本屋の売り台の前に立つ。

 いくつもの新刊に目移りしながら、結局はいつもと同じ本を手に取り、店の奥のやや薄暗いところから発してくる店員のおばさんの鋭い目の光に耐えつつ、汗ばんでいやに暖かくなった硬貨を二枚、そのおばさんの手に渡して、何か悪いことでもしたみたいに、まるで逃げるようにその店から走り出す。

 昔の本屋には小学生を寄せ付けないだけの雰囲気があった。本棚や売り台に本はきちんと並べられ、はたきがかけてある。床は掃き清められてゴミひとつなく、朝早く通りかかると、打ち水がしてあった。そうして中では大人たちが本棚の前でおとなしく、身動きもせずに、じっと立って本を繰っている。それは小学生のわたしにとって、まるで神社で神主が祝詞を挙げているような神聖な光景に見え、おいそれとは中に入れない雰囲気をかもし出していた。わたしが中に入れば大人は必ずふり返り、なぜ小学生ごときが一人で本など買いに来るのかといった不審な顔をする。それは思い過ごしだったかもしれないが、当時のわたしには確かにそう見えたのだ。

 さて、月刊誌を買うのにも慣れてきたある日、手もとに小遣いが二百円ほど余分に残ったのでわたしも大人をまねて店の棚にある本を買ってみたいと思うようになった。絵もついていない、文字だけの本を大人がどうしてあれほど夢中になって読めるのか不思議でならなかった。これにはきっと、何か秘密があるに違いない。大人はケチだから子供にその秘密を知られて自分が損をするのがいやなのだ。だから子供が本屋に入るのを見張っていて、わざと入れない雰囲気をつくっているのだ。そうに決まっている。

 幸い、担任の先生から「みんなにはまだむずかしいと思うけど、漱石の『我輩は猫である』はとっても面白いからいつか読んでごらん」と聞かされ、よし、まず手始めにその本を買って読んでみようと決意をかためた。わたしは月刊誌を買うついでにどの棚にその本があるのかを調べ、値段もちょうど二百円とわかったので、いよいよ計画を実行に移すべく、百円硬貨をにぎりしめ、覚悟して本屋に乗り込んだ。ところが目をつけておいたところには人が重なるように立っていて本のある場所が確認できない。しばらく待っても、動きそうにないから、中の一人が本を棚に返すときにできたわずかの隙間に仕方なく横向きにすっと肩を入れて無理にのぞきこんだら、いやな顔をされた。それでも本の場所は何とか確かめることができたが、本はもうその場所にはなかった。おとなにいやな顔をされても買うだけの覚悟はできているので、このまま買わずに帰るのはいかにも口惜しかった。わたしは気後れする自分をなだめすかしながら、奥にいる店のおばさんの前に進んだ。

「あのう・・・あそこにあった『吾輩は猫である』という本を知りませんか」わたしは大人たちの重なっている背中を指差した。おばさんは一瞬じろっとわたしを見て、再び、読んでいた新聞に目を落としたまま面倒くさそうに答えた。

「『我輩は猫である』かい。いろんな出版社から出てるよ。いったいどこの出版社だね」
作品名:後ろ姿の少年に3 作家名:折口学