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後ろ姿の少年に3

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  【町】

 村の向こうには電車の線路を境にして町が広がっている。その町の小学校に私は通っていた。

 小学校は町中の小高い丘の上に立っていた。丘からは北に緩やかな斜面が広がり、その斜面の尽きるところに大きな川が流れている。ここまでが市街であり、その川の向こうにまた別な村が広がっていた。

 その町について。

 毎日、その町の小学校に通っているにもかかわらず、しかも繁華街を通り抜けているにもかかわらず、わたしはその町を三つの点としてしか知らなかった。

 自分の通っている小学校。四つ角にある食品ストア。小学校と食品ストアをつなぐ通りにある狭い本屋。この三点である。でも、どうしてこの三点なのか。小学校は当然のこととして、なぜ食品ストアと本屋なのか。もちろんこれにはそれなりのわけがある。

 食品ストアでは帰りがけに買い物をする。母が農作業に忙しいので、我が家では日常品を買いに出る人手がない。祖母は神経痛が腰に来て、近頃は座って縄をなうくらいの軽い作業しかできなくなっている。しかも一番近い店まで自転車でも二十分はかかるから、祖母にはむりだった。これまでは忙しい母に代わって姉が小学校の帰りにそのストアで買い物をして何とか間に合わせてきた。だが、その姉も小学校を卒業し、周りに店らしきものの何もない中学校に通い始めた。だから、買い物の役はまだ小学校四年生になったばかりのわたしに回ってきた。

 わたしは不満であった。雨戸の開け閉てや風呂焚きなら嫌いじゃないからかまわないけど、買い物だけはいやだ、とわたしは母に抗議をした。どこの小学校に家族の食料品を買って帰る小学生がいるんだ。そんなのかっこ悪くて恥ずかしいし誰もやっていない。だいいち帰り道にものを買って帰るのは先生からも禁止されてるぞ。わたしは抗議を繰り返したが、母はおだやかにわたしをたしなめた。

 おまえも分かっているだろうが、うちには男手がない。だから母さんとばあちゃんでその代わりをしなければならない。二人とも畑仕事で手一杯なのだ。買い物のような半端仕事は(母は買い物を半端仕事と思っていた)、おまえや姉ちゃんにしてもらわなければならない。この前まではそれが姉ちゃんの仕事だったがもう卒業して中学校だ。中学校のまわりは畑ばかりで買い物のできるところはどこにもない。どうしたっておまえに買ってきてもらうほかはない。それにおまえの悩みは少しぜいたくだ。世間には買い物もままならない家がたくさんある。うちは曲がりなりにも物を買うことができるんだから、ありがたいと思わなくてはいけない。さあ、さ、そんなこと言ってないで早く学校に行きなさい。それからこれが五百円札。これが買物の書いてある紙。この通りに買ってくるんだよ。お釣も間違えちゃいけないよ。いいね。そう言って朝、母はわたしを送り出すのだった。

 仕方がなかった。母にそういわれたら、もはや従うしかないのだ。わたしは授業が終わると校門でいつも一緒に帰る友達と別れ、ひとり大通りを下ってゆく。食品ストアに入り、品物をかごに入れレジでお金を払い品物を紙袋に入れてそれを両手で抱えながら店を出る。 そこから家までが長かった。車の忙しく往来する騒々しい商店街を抜け、団子屋の前を恨めしそうに眺めつつ左へ曲がり、薬屋の前に貼ってある気持ちの悪い病理写真を見ぬように走りぬけ、自動車修理工場の溶接工の出す音と光に肝を冷やし、模型屋の前ではしばらく立ち止まり、魚屋のにおいに息を詰まらせ、床屋の前でそろそろ刈ってもらう頃かなと思い、電気屋の前でここの電気屋はへただ、だって頼んですぐに真空管が切れたものな、と悔しくなり、そろそろ店もなくなって最後にある中華料理屋の前で、重くなりだした買い物袋を地面におろして、しびれた腕をふり、しばらく休み、ここのラーメンはうまいのかな、一度食べてみたいな、と独り言をもらす。ここまでが旅の半分だ。

 それからが退屈なうえに恐ろしい。わたしは買い物袋を持ち直し、『さあ、いくぞ』と心の中でかけ声をかけ、歩き出す。このあたりからが住宅地だ。住宅地といっても両側には、古い家と、まるで両手を挙げて脅かすような太い木ばかり。その木がまたこんもりと茂っているから、昼間でも薄暗いし人通りもあまりない。人さらいが出るとすればきっとこんなところだ。足は自然と速くなる。早く通り抜けよう。わたしは人さらいに捕まらぬように頭を下げて、わき目も振らずに、この三百メートルを駆け抜ける。
 
 目の前が明るくなる。畑が開ける。遠くに杉の木が一本、空高くそびえている。あの下あたりにわたしの家がある。もう少し歩いて粉屋の角を右に入れば、そこから村へは一本道だ。だが、ここから村の入り口までがわたしには一番恐ろしい。というのも村人がいるからだ。この辺の畑は村の者の所有になっているものが多いから、畑に出ているものが必ず二、三人はいる。この村人が恐ろしい。わたしが近くを通れば必ず声をかけてくる。

「今、帰りかい」くらいなら、わたしもにこやかに「こんにちは」といって気持ちよく通り過ぎることができる。だがそんなことで終わった例(ためし)がない。次には「買い物かい。小学生なのにえらいな」とか「何かいいものが買えたかい」と言う。ここまでならまだ我慢できる。ところが最後には必ず「母ちゃんは買いに行かねえのかい。おめえもつらかんべ」と余計なことばをかける。これがいやだ。わたしは聞こえないふりをして足早に通り抜けようとする。すると追いすがってまで聞こうとする。そして何も聞けないことが分かると
「へん!親切に聞いてやってるのによ。愛想のねえ子だ」と捨てぜりふをはく。わたしとて、本当に親切で聞いてくれるなら真心で答えたい。だがたいていはそんなつもりはない。ただの好奇心で聞いてくるだけだ。そうして聞いたことを話の種にして、うわさして面白がっている。  
 
 いや、そんなこともないだろうと、あるいは思う人があるかもしれない。だが、残念ながらそれは本当だ。なぜなら、その後、お前のうちは大変だな、と言って何かしてもらった記憶がないからだ。

 この頃、わが家と村とのあいだはいよいよこじれていたらしい。母は意地でも村の世話にはなるまいと覚悟を決めていたから、逆に、それが反感を買ったものと思われる。
作品名:後ろ姿の少年に3 作家名:折口学