Green's Will ~狂人たちの挽歌~
文字通り腹を抱えて笑うリベン。それを信じられないといった表情で見つめるメリーン。何かミスを犯したのだろうと推測しながらもそれが何だか分からない。メリーンは立ち尽くすしかなかった。
「やっぱりだよ。やると思ったんだよね。それで水を飲むと思っているのか?馬鹿じゃねえの」
リベンの笑いは止まることを知らなかった。高慢だからこそ、屈辱に染まった顔がよく映える。リベンは自惚れが激しい社員には必ずこの仕事を最初にやらせていたのである。
「え? 違いますの?」
驚きのあまり、大きく目を見開くメリーン。その様子を鼻で笑いながらリベンは言葉を続けた。
「お前こいつの足を冷やしているのか。俺は水をやれと言ったんだぞ」
「だから根っこから水を……」
「人間は足から水は飲まん。お前そんな事も分からずに来たのか? 偉そうなことを言う割にはたかがしれてるな」
そんなこと知らなかった。まずメリーンの頭にこの言葉が駆け巡った。人間の生態の中でも植物たちにはあまり知られていない部類のもの。別に知らなかったとしても恥ずかしいことではないかもしれない。でもリベンに啖呵を切ったり、挑発したりした後でのことである。知らなかったと口に出した途端、リベンから「無知」だと罵らされることは必定。メリーンは黙ってリベンを見つめるしかなかった。
そんなメリーンの葛藤を見透かすように、不敵に笑みを浮かべるリベン。同時に、バケツの水をコップに注ぎ、観用人間の口から飲ませた。
「最近口だけの奴が増えてきた。何もできないくせにな。人間に水をあげることすら出来ない奴が、俺の鼻をあかすだと?馬鹿げた空想はやめることだな」
リベンの言葉を受けて更に体を怒りと屈辱で震わせるメリーン。それらの感情が爆発しそうになると、それまで我慢していた言葉が溢れ出してしまった。
「私だって何でも知っている訳ではありませんわ。前もって教えてくれなかった社長が悪いんじゃありませんの?」
「だったら初めから聞けよ。人間はどこから水をやるんですか? 社長様、教えてくださいってな。快感だねえ。プライドが高いだけが取り柄の勘違い野郎を馬鹿にするのは」
恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にさせたメリーン。
「もう分かりましたわ。口から水をやるんでしょ。飲みなさいよ、飲みなさいよ、飲みなさいよ」
照れ隠しをするために、観用人間に八つ当たりをするしかなかった。
自棄になって観用人間に水をやるメリーン。その様子を恍惚とした表情で見つめていたリベンだが、ふと自分の足下に舞い落ちた桃色の花びらに気付いた。
「ん?これは……やっと来たか」
ため息混じりに呟くリベンを、メリーンは不思議そうに見つめた。
「何がですの?」
「馬鹿一号だ」
オフィスの中なのに風が吹いた。春先の温かい風が。ほんのり甘く、それでいて儚さを彩る花びらが、ひらりひらりと舞い落ちた。
「桜吹雪全開!」
入り口から勢いよく1人の植物が入ってきた。
きめ細やかな長髪は、隙間なく敷き詰められた桃色の花を従えていた。それでいて、髪をなびかせる度に、その花びらをひらめかせていた。その者が歩く軌跡を辿るように花びらがその後を追っていく。まるで蝶の妖精が聖なる鱗粉で周りのものを魅了するように。
顔は色白で、フランス人形のように整った顔立ちをしていた。その清楚な雰囲気とは裏腹に、下品な程に派手はワンピースを身に纏っていた。いわゆる花柄。桜の花が全面に散りばめられていた。
この者の名は「パティ・チェリーブロッサム」身に付けているワンピースと同様。桜である。
パティは花びらをまき散らしながら、リベンに近づき、藪から棒に話し始めた。
「ごめんなさい。道の真ん中においしそうなネズミがいたから……」
「食べた?」
「そしたら時間がなくなったから、走ってきたら……」
「会社を通り過ぎて?」
「近くの公園で……」
「ひなたぼっこをしていたんだろ?」
当たり前のように行われるリベンとパティの遣り取りを見ながら、メリーンは眉間にしわを寄せていた。
「うん! どうして分かったの?」
「いつものことだろ?」
「あっそっか。社長頭いい」
そう言いながら、リベンの頭を撫でようとしたパティだったが、鋭い手刀がパティの腕を襲った。バキと音を立てながら腕の枝が折れてしまった。
「あうち! でもパティちゃんは負けませんぞ」
パティは折れた枝をくっつけると、暫くするとその枝は再生されていた。
「桜は、再生能力があるのか……それともパティ独自の変態的な能力か?」
パティは、そんなリベンの呟きよりも面白いものを見付けたと言わんばかりに、メリーンをまじまじと見つめた。
「駄目だよ。そんなちびちびと水やっちゃ」
満面の笑みを浮かべながらメリーンに近づくパティ。観用人間の足下に置かれているバケツを手に取ると、再度メリーンに笑顔を振りまいた。メリーンはパティが何をしようとしているのか全く見当がつかず、ただパティの動きを見守ることしかできなかった。
「パティ! 早まるな!」
リベンは、血相変えてパティの元に駆け寄っていった。
「水やりは……」
そう言いながら、パティは、手に取っているバケツの水を思いっきり観用人間の頭にかけようとしていた。リベンは水がこぼれる寸前の所でパティの動きを阻止すると、
「違うだろ!」
と叫びながら、パティをたしなめた。
「人間が花に水をやるような感覚で人間に水をやるのはやめろ。人間と植物は違うんだ。何度も言ってるだろ」
「そうだっけ?」
頭に樹液の上らせながら力説しても全く効果がない様を前に、リベンは途方に暮れるしかなかった。
「なるほど……社長が仰っていた馬鹿者とは……」
「そうだ。こいつのことだ」
「社長。この人誰?」
自分の事を揶揄されているのに、そんなことなんかお構いなしのパティは、初対面のメリーンの存在に興味が向いた。
「申しおくれました。このたびこの会社カンパニーリベンジに入社しました……」
「この会社ってカンパニーリベンジって名前だったんだ」
「社員のくせに自分の会社の名前もご存じないんですの?」
「そういう奴だ。続けて」
リベンは余計な時間を過ごしたくないのか、この自己紹介が早く終わるように催促した。
「メリーン・フレイグラントオリーブです。金木犀です」
「ふーん。で、どうしてこの人ここにいるの?」
パティは、新入社員が入ることについて不満なのか、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた。
「昨日言っただろ?新入社員が来るって」
「へえ、そうだったんだ。新入社員を雇う余裕あるんだ」
社員は自分一人で十分だ。そう言わんばかりにパティは、リベンに詰め寄った。
「確かにそんな余裕はないよな。だからお前に辞めてもらおう」
「えーー!! 私、クビ?!」
「よく分かったな」
「私をクビにしていいの? この会社潰れるよ」
パティはクビにされるはずないと思い込んでいるのか、会話内容とは裏腹に笑顔で応対している。しかしリベンはいたって真面目な表情。どうやらリベンは本気のようだ。
「お前がいるから潰れかけてるの」
「これは私の才能を妬んでいる者の陰謀よ。でも私負けないから」
「それって俺のことか?」
作品名:Green's Will ~狂人たちの挽歌~ 作家名:仁科 カンヂ