Green's Will ~狂人たちの挽歌~
上司はスケベじじいに決まっている。メリーンが上司を軽蔑する理由はここにあった。また、自分はキャリアウーマンとしてやっていける。そんな自信が、リベンに対する高慢な態度につながった。前までは、それでよかった。だから、今回もプライド高く立ち振る舞えると思っていた。しかし、リベンの反応はそんな期待を裏切るものだった。
「お前もフェロモンまき散らして、それに振り回された奴を無能呼ばわりするのもどうかと思うがな」
思わぬ言葉にメリーンは耳を疑った。
「貴方はセクハラされるほうが悪いとおっしゃるんですの?」
「まあな」
「私が他の植物のかたを誘惑していると言われるんですの?」
「まさにその通りだ」
「私帰ります」
メリーンは怒りに震わせながら言葉を吐き捨てると、きびすを返してオフィスを出ようとした。対してリベンはメリーンの剣幕に動じることなく、目の前にある履歴書を手に取ると、わざとらしく大げさに読み上げた。
「あーあった。メリーン・フレイグラントオリーブ、子どもの頃は植物園で育てられ、人間の家が完成すると同時にその庭に植えられ、現在に至る。人間も自分たちの快楽のためにお前を植えたんだろ? 人間の世界でいう売春に近いな」
急ぎ足で去ろうとしたメリーンの足がピタっと止まった。そしてゆっくり振り返るその顔は憤怒の形相だった。
「そのように言われたのは初めてですわ。こんなに侮辱されたのは初めてですわ。もう辞めさせて頂きます」
この会社は狂っている。当たり前に仕事ができないと判断したメリーンは、迷うことなくこの会社を辞めようと思っていた。いくら探してもまともな会社がない。そんな思いが頭をよぎると、まともな仕事を見付けるためには一工夫しなくてはならないなとリベンを冷たい瞳で見つめながら考えていた。
「俺はお前に馬鹿かどうか聞いたな。社会の常識にいちいち腹を立てるような奴も俺から言わせてもらえば立派な馬鹿者なんだよ。箱入り娘の安っぽいプライドなんてこの会社では通用しないんだよ分かったか」
「こんなに罵倒されるのが社会の常識ですの?」
「ああそうだ。こんな会社が嫌だったら別に辞めても構わんぞ。馬鹿者だと分かった以上引き留めておく理由がない」
「馬鹿者?」
自分には最も相応しくない言葉。メリーンは頭が真っ白になった。呆然としながらも、頭の中は怒りたぎっていた。矛盾する感覚が同時に襲うことにより、自分では理解できないほどに思考力が奪われていた。
「ああそうだ。何度も言わせるな。この会社を辞めるのは勝手だが、辞めて何処に行く? 行く先々でセクハラ、セクハラと叫ぶだけでは、どうにもならんだろ? 結局は何処に行っても同じなんだよ」
メリーンは唇を噛みしめながらリベンの話を聞いた。確かにそうだったのだ。セクハラ上司を軽蔑しては、その会社を辞める理由にしていた。そんな自分のプライドを守る論理を看破された焦りもまたメリーンの体を固まらせていたのである。そんなメリーンの危機的な状況を知って知らずか、リベンは口調を変えずにそのまま続きの言葉を吐く。
「窓を見てみろ、折角動けるようになっても、何をすればいいのか分からずただ彷徨っているだけの植物があんなにいるだろ。お前もあの中に混じって、そこら辺に転がっている犬や猫を食べて生活するのが一番のお似合いなんだよ」
何も反論できない。むしろその通りだ。メリーンは屈辱のあまり、怒りに顔を染めたが、同時に、今までの上司とは違うリベンに興味をもち始めていた。
「分かりましたわ。ここまで侮辱されるのが社会の常識かは分かりませんが、貴方の傲慢な鼻っ柱をへし折るまで、辞める訳にはいかなくなりましたわ」
リベンに高らかと宣言したメリーン。これは自分自身に対する誓いでもあった。しかしメリーンの満足する言葉とは真逆なことをリベンが言う。
「それは無理だ」
「たいそうな自信ですわね」
「お前が金木犀である以上、俺に勝てない」
その言葉は金木犀一族であることを誇りに思うメリーンのアイデンティティを根本から否定するものだった。個人の能力ではなく、種族で評価が決まる。人間の世界でも当たり前になった差別心をもっている。メリーンはリベンのことを前時代的であり、忌まわしき人間の悪習を引き継ぐ無能な植物だと断ずるに至った。
「社長は生物の進化を逆行されているようですわね。精神性の退化は最も恥ずべきことだと思いますわ」
メリーンは、汚いものでも見るような冷たい視線をリベンに送った。しかし相変わらずリベンは表情一つ変えない。
「私は種を否定したのではない。お前の生ぬるい生き方。更にそれでもなお自分の優位を疑わない傲慢さに釘を刺した訳だ。今のままである以上、俺には勝てない。無知なお嬢様には今の言葉さえ理解できないか? ふふふ」
「社長は私の育ちがよくないとおっしゃるんですの?」
「その通りだ」
「私のことを十分に分かっていないのに、よくそう決めつけることができますわね」
自分の実力を見ずに自分を見下すリベンを許せなかった。ならば、これから自分の力をリベンに見せていけばいい。メリーンに闘志がわいた。
「その理由はじきに分かるよ」
「手始めに何をやればいいんですの?」
出勤してまだリベンの嫌みしか聞いていない。メリーンは早く仕事を始めたかった。
「そうだな、まずは自己紹介を」
「履歴書に書いているんじゃございませんの?」
「まあ形式的なものだ」
ため息をつきながら話し始めたメリーン。早く実務に入りたいという苛立ちが表情に表れた。
「……メリーン=フレイグラントオリーブです。金木犀です……馬鹿です!」
「挑発しているつもりか?」
「そう受け取ってもらっても結構ですわ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら毅然と言い放つリベン。その気丈な行動に満足の笑みを浮かべながらリベンが自己紹介を始めた。
「俺の名前はリベン=ジャパニーズサイプリス、ヒノキだ。それでは仕事をやってもらおうか。この人間に水をやってくれ」
「そんな簡単な仕事でいいんですの?」
「そうだ」
そんな簡単なことでいいのかと、びっくりしたメリーンだった。しかし、次の瞬間その顔が屈辱に染まった。そんな簡単な業務しか任されない。つまり、能力をかなり低く見積もられているのだ。メリーンは悔しさで唇を震わせながら、
「分かりましたわ」
と答えるしかなかった。
メリーンは、観用人間を鋭い目つきで睨むと、近くにあるバケツを手に取り、それを蛇口の水で浸した。次にそのバケツの水を観用人間の足下に置くと、そっと観用人間の足をバケツの中に入れた。時間にして三分。メリーンにとっては、ごく当たり前の作業をてきぱきこなしたつもりだった。
ため息をつきながら作業を終えるメリーン。簡単すぎる仕事を前にして満足できないメリーンは、次の仕事はなんだと言わんばかりの表情を浮かべた。
一方リベンは、メリーンの行動を見ながら必死で笑いを押さえていた。メリーンが観用人間の足に水を付けた辺りでいよいよ我慢できなくなり大声で笑い出した。
「はははは!」
作品名:Green's Will ~狂人たちの挽歌~ 作家名:仁科 カンヂ