Green's Will ~狂人たちの挽歌~
第1章「観用人間」
コンクリートが剥き出しになっているビルの一角に「カンパニー・リベンジ」というプレートが貼られていた。一昔前までは、新進気鋭のアーティストがなデザインした建物だということで、雑誌やテレビで賑わいをみせたが、それは過去の栄光と言わんばかりに静かに佇んでいた。
それは、時代の流れにより、はやりが変わったからではない。この建物に脚光が浴びせられていた十年前と今は決定的な違いがあるためだった。
その答えは建物の中にあった。ビルの一階。長い廊下を歩いて行った突き当たり。そこはごくありふれたオフィスだ。しかし、そのオフィスで仕事をしている者は、ありふれているという言葉には程遠いものだった。
緑と茶色
そういえば誰しも納得する。
髪は太く、新緑に染まっていた。
顔は人間と同じく目、鼻、口があったが、表面はでこぼこしており、固い皮膚であろうことを見ただけで確信できる。
腕は、関節を曲げることはかろうじてできそうだが、顔と同じく、固い皮膚で覆われている。そして爪がない代わりに、柔らかい緑の皮で覆われていた。
つまり、人型をした植物なのである。
通常だったら、空を覆うほどの巨大な風貌だが、何らかの理由で、二メートル前後まで縮んでいた。また、動きやすさを実現するために、手や足の代わりになるものが生えてきた。知覚を最大限に生かせるように、目、鼻、口、耳にあたる器官が発達した。
まるで、植物を擬人化したかのような形に進化した植物は、人間と同じような経済活動を展開していた。
第三次世界大戦で人間が犯した罪。
プロリックガスにより、自らの時代に幕を下ろした人間たちは、主役の座をそっくりそのまま植物に渡すことになったのだ。
有史以来、最も劇的な事件から十年後。ここカンパニー・リベンジでは、社長である「リベン・ジャパニーズサイプリス」による日常が始まろうとしていた。
二十畳ほどある広いオフィスに、整然とデスクが置かれていた。まるで人間のオフィスと言っても誰も違和感を覚えない。しかし、観葉植物のようなオフィスの雰囲気を和やかにするものはなかった。それもそのはず。このオフィスを支配しているのは植物である。同じ植物を慰み者にしようとする神経はない。代わりに、椅子に座った人間が飾られていた。この人間は観用人間と呼ばれ、抵抗できない人間をいたぶることで、かつて受けていた仕打ちを思い起こしながら、憂さ晴らしをするのに役立った。
カンパニー・リベンジの社長であるリベンもまた同じ目的で観用人間を利用していた。
リベンは、コンポにCDを挿入し、音楽をかけた。
チャイコフスキーバイオリンコンチェルト。繊細にして豪快なコンチェルト。リベンのお気に入りだ。
リベンは目を閉じてうっとりとその音楽に身を任せると、その意識は宙を漂い、表情はそれに見合うほどの恍惚とした笑みを浮かべていた。
第一楽章の中でも、甘美なソロバイオリンの旋律から、全オーケストラが参加する壮大な主題部に突入した瞬間、リベンはかっと目を見開き、鋭い目つきで観用人間を睨むとゆっくりと近づいていった。
「神が認めてくれたのだろうか。俺がこうして動き、言葉を喋ることができるとは……神は人間よりも我々を選んでくれた。人間はこの大地の支配者といわんばかりに、地球を蝕んできた。地球の先住民は我々なのにそんなことはとうの昔に忘れてしまったようだ。戦争? 馬鹿な生き物だ。そんなものでしか自分の意見を通すことができないのか。おかげで我が同胞がどれだけ犠牲になったことか……自分の快適な生活を追究するあまり我が同胞がどれだけ残虐な仕打ちをうけてきたのか、貴様らに理解する余地はないだろう。しかしこれだけは感謝しよう。貴様らの戦争というくだらない争いのお陰で復讐を果たすことができるようになった。何とか爆弾を落としてくれてありがとう。人間君」
リベンは狂ったように叫びながら、観用人間を何度も何度も殴りつけた。リベンの体は人型になったとはいえ、樹木である。しかもその堅さでは植物の中ではトップクラスのヒノキ。まるで木刀で殴りつけているようなものである。
観用植物の体はあざだらけになり、口からは血が滴り落ちた。どうやら口の中を切ったようだ。
それでも観用人間は眉一つ動かさない。意識があるかないのかすらも分からない。無反応の観用人間を前にして、リベンの興奮は更に高まっていった。
「はははー! 楽しいね。観用人間にされた気持ちはどうですか? はははー さぞ悔しいだろうな」
リベンの所業を冷めた目で見つめる植物が一体。その者は、全身をぴったりとしたスーツで身を包み、顔からは切れ長の鋭い瞳を覗かせた。髪はリベンと同じ緑色だったが、所々小さな橙色の花が髪の鮮やかさに彩りを添えた。この者の名は「メリーン・フレイグラントオリーブ」金木犀だ。
リベンは、この者の存在に気付いていないのか、観用人間をいたぶる快楽に浸っていた。
「ここは、人間を虐めるのが仕事ですの? 悪趣味」
軽蔑の言葉が吐き捨てられた。その刺々しい雰囲気を前にさすがのリベンも意識を向けるしかなかった。
「早いな」
苦笑いしながらリベンが言う。
「勿論ですわ。入社一日目で遅刻する馬鹿がいると思いまして?」
「それがいるんだよな。入社して早々遅刻する馬鹿が、今でも遅刻するんだよね。そういう言葉聞くと、逆に新鮮に感じるよ」
信じられないといった驚きの表情を浮かべながらメリーンはリベンを見つめた。
「誰ですのその馬鹿とは」
「まあじきに分かるよ」
「分かりましたわ。まず何をすればいいんですの」
「ほう。来て早々仕事をしたいのかあ。普通そうだよな。でも新鮮だなあ」
リベンが誰の事を指して言っているかは分からなかった。しかし、メリーンの常識を軽く覆すような植物がこの会社にいることは明らかだ。リベンの口振りからメリーンは不安に駆られた。
「え? じゃあ社長がおっしゃっている馬鹿とは、よっぽどの馬鹿のようですわね」
「察しがいいな。まさにその通りだ。まさかお前も馬鹿じゃないだろうな。馬鹿はもううんざりだ」
リベンの言葉に、メリーンの目は鋭く光った。新入社員として初めてこの会社を訪れたメリーンだったが、自分に対して絶大な自信があった。リベンは軽くメリーンを挑発しただけに過ぎない。しかしメリーンはその言葉に対して、無難に愛想笑いでやり過ごすことができなかった。
「そのつもりですわ。社長も無能じゃないでしょうね。無能な上司はまっぴらですわ」
新入社員が社長に対して平然と言い放つ。本来ならばあってはならない暴挙である。しかし、リベンは憤慨する仕草を全く見せなかった。それどころか、逆に笑みを浮かべながらメリーンを見据える。
「前の会社で何かあったのか」
待ってましたとばかり、メリーンは身を乗り出しながら語り始めた。
「ろくに仕事もできないくせに、私の花の香りを嗅いでは……」
「受粉しようってか? セクハラじじいが上司だったわけだ」
「そうですわ」
作品名:Green's Will ~狂人たちの挽歌~ 作家名:仁科 カンヂ