傀儡師紫苑アナザー
その提案に紫苑は乗らなかった。
常人の眼では限りなく不可視に近い妖糸が紫苑の手から放たれ、ジャガーのタイヤをパンクさせた。
車高が低くなる愛車をシュバイツは見ながら、おでこに軽く手を添えて首を横に振った。
「君ね、少しじゃじゃ馬だよ。せっかく場所を替えようって言ってるのに、どこでヤり合うに気なの?」
「一瞬で貴様を仕留め、姿を晦ませばいいことだ」
「なかなか大胆だね、君。好きだよそういう子。でもね、この場所は警官が多くて、自衛隊までいることをお忘れなく」
「そして、わたくしのような者がいることもお忘れなく」
第三の声がした。
シュバイツは驚いて紫苑から視線を外して、愛車のボンネットに腰掛ける男を確認した。続けざまに空を見上げて電線に停まる鴉を見つめた。
「影山彪彦さん……か」
シュバイツは嫌そうに呟いた。
彪彦はサングラスを直しながら、こんな話をした。
「そうですね、例えば鴉に襲われた不幸な人と言うのはどうですか?」
ひと目があっても人を殺す方法。
電線の上から鴉が鋭い眼でシュバイツを狙っている。
シュバイツはため息をついて両手をあげた。
「降参するよ。2人と1羽を巻くのは大変そうだし、影山さんがいるということは、他の奴等もうろちょろしてる可能性もあるからね」
他の奴等とはシュバイツらを探しているD∴C∴の構成員だ。
彪彦は通りの向こうに停めてある自分の車を指さした。
「ではわたくしの車にお乗りください。仲間の居場所まで案内してもらいます」
「男とデートだなんてツイてないね」
シュバイツは逃げることを本当にやめて歩きでした。
彪彦はシュバイツの横を歩きながら紫苑に声をかける。
「あなたも来ますか?」
「行かせてもらう」
3人は車に乗り込み、シュバイツを運転手にして車は走り出した。
とあるマンションまで車を走らせ、駐車場に車を停めてマンションの中に入った。
シュバイツの横に彪彦がぴったりと付き、少し離れた後ろを紫苑が歩く。
エレベーターを降りた瞬間から、なにやらざわめき立った声が聴こえていた。
廊下の向こう側に人だかりができている。
警官の制服が人ごみの中に見えた。
シュバイツは足を止めて彪彦に顔を向けた。
「たぶん人だかりができてる辺りの部屋かな。騒ぎを起こしたようだから、もう別の場所に移動したと思うね」
丸いサングラスの奥の瞳で彪彦はなにか言いたそうだ。それに気付いてシュバイツは言葉を付け加えた。
「僕はなにも知らなかったよ。だからここまで来たんだ」
「次の潜伏先に心当たりは?」
「ないね」
警官がいるこの場所に長いは無用だ。部屋の中を調べたいところだが、それは諦めて場所を移動するしかない。
駐車場まで戻って車に乗り込む。
車内で紫苑はシュバイツに尋ねた。
「例えばケータイとかに仲間からの連絡はないのか?」
「さあ、君たちに見張られててケータイも弄れなかったからね。しつこくバイブしてたけど無視してた」
彪彦は淡々と、
「そういうことは報告しなさい」
「年末は取締りが厳しいからね、運転中にケータイを使って取り締まられたら嫌だから。ほら、やっぱり公の場では警察のお世話にならないように気をつけないと、そんなところで別の犯罪が露呈したら嫌でしょう?」
紫苑が呟く。
「私の知り合いは運転中でも構わずケータイで通話するが、一回も取り締まられたことがない」
亜季菜のことだった。
シュバイツは口の近くで指を立てて『ノンノンノン』と横に振った。
「それはね、運がいいだけ。やっぱり念には念を入れるべきだよ。僕は自慢じゃないけどゴールド免許なんだ」
「そんな話はいいですから、早くケータイを確認しなさい」
と、彪彦に促されてシュバイツはポケットからケータイを出した。
「ああやっぱり、キラくん連絡が入ってるね。着信履歴だけじゃなくて、メールも来てるみたいだ」
メールを開いて、その画面をシュバイツは彪彦に見せた。
文面を読んだ彪彦は深く頷く。
「横浜方面に向かいましたか……シュバイツさん、なにかわたくしに隠していることはありませんか?」
「同じ組織の仲間だからね、なるべくいざこざはしたくない。嘘はつきたくないけど、教えたくもないね」
「嘘は普段から付くでしょう。そういうところが嘘つきだと言われるのですよ」
「嘘をついてるつもりはないんだけどね、口が先にしゃべってしまう。そういう病気だと思って勘弁してくれないかな?」
「おしゃべりはいいから、早く隠していること言いなさい」
彪彦に追求されてシュバイツは小さく唸った。
「ペラペラしゃべるとゾーラに怒られるんだよ。彼は力のある魔導士だけど、ユーモアに欠けるところがあるからね。ほら、いつだったか覚えているかい?」
「時間稼ぎはよしなさい。しゃべらないのならとりあえず車を走らせなさい。横浜に向かいましょう」
「それは階位の高い彪彦さんから、階位の低い僕への絶対命令ですか?」
「そういう気持ちがあるなら、隠していることも吐いたらどうですか?」
「まあまあ、横浜までは時間があるから、ゆっくり話してあげるよ」
エンジンを掛けてアクセルを踏む。
再びシュバイツの運転で車は走り出した。
鎌倉市から北上して横浜市に向かう。
シュバイツは運転をしながらラジオを掛けニュースを聴いた。ニュースの内容は茅ヶ崎の怪物騒ぎで持ちきりだ。
「茅ヶ崎に出る予定じゃなかったんだ」
と、何気なくシュバイツは言った。
助手席の彪彦が尋ねる。
「どういうことですか?」
「なかなか龍神サマが言うことを聞かなくてね、目的地とぜんぜん違う方向に行ったんだよ」
「当初の目的地はどこですか?」
「今向かってる方面だよ」
「やっぱり心当たりがあるのではありませんか。嘘を付きましたね?」
「嘘とかじゃなくて、ちょっと思いつかなかっただけさ……ああ着信だ、僕のポケットに手を突っ込んで取ってもらえますか?」
仕方なく彪彦はシュバイツのポケットからケータイを取ろうと、頭を低く瞬間に強烈な肘打ちを脳天に喰らわされた。
急ブレーキを踏んでシュバイツは車の外に飛び出した。
すぐに紫苑も追おうとしたが、後ろから衝突した車が車内が揺らして、後部座席から運転席に飛ばされてしまった。
紫苑はダッシュボードに頭を打ち付けて、倒れている彪彦に上に乗ってしまった。
その間にもシュバイツは行き交う車の間を縫って姿を消す。
上空を飛んでいた鴉がシュバイツを追う。
車内が再び揺れた。
後ろに衝突した車に、他の車が衝突したのだ。
見事な玉突き事故を起こして、辺りは騒然とした空気に包まれた。
彪彦は愁斗の潰されながら淡々としていた。
「早く退いてください」
「すまない」
紫苑は上体を起こして、足の付いていた後部座席に戻った。
続けて彪彦も起き上がって運転席に移動した。そして、車を走らせようとしたが、キーが抜かれていてエンジンすら掛けられなかった。
「ゴールド免許が聞いて呆れますね」
ぼやく彪彦を残して紫苑はすでに外に出ていた。
渋滞になってしまった車の間を抜けてシュバイツの行方を追う。
その後ろから彪彦が追いかけてきた。
作品名:傀儡師紫苑アナザー 作家名:秋月あきら(秋月瑛)