傀儡師紫苑アナザー
「さて、そこまではわかりません。わかっていれば、わたくしがここでのんびり話しているはずもありませんから」
「相手のメンバーは?」
「おそらく3人。それはあくまで実行部隊の数ですが。名前はゾーラ、シュバイツ、キラ。能力まではお教えできませんが宜しいですか?」
親切に答える彪彦。
それにたいして愁斗に疑心がないわけではない。
「あと1つだけいいか?」
「1つと言わず、わたくしが答えられる範囲ならばなんなりと」
「なぜ僕にそこまで情報を流す?」
「あなたが望んだ情報ではありませんか?」
「僕は今でもお前たちを恨んでいる。機会があればいつでも復讐する覚悟だ。なのになぜお前らは僕に手を出さない、そればかりか情報まで教えるなんて……」
「不満ですか?」
「…………」
愁斗は押し黙った。
不満などではない。理解ができないのだ。彪彦の態度も信用できない。相手の掌で躍らされているようで、気に食わないのだ。
沈黙する部屋に店員が飲み物を運んできた。
明らかに気まずい雰囲気に、店員は早々に仕事を済ませて出て行く。
彪彦の肩に乗っていた鴉がテーブルに降り、湯気と香りの立つティーカップに口をつけた。
そして?彪彦?が口を開く。
「安っぽい味ですね」
半分以上残ったカップを置いたまま彪彦は立ち上がった。
「では、わたくしは仕事がありますので、失礼いたしますよ」
黒いコートを靡かせてドアに手を掛ける彪彦は、そこで急に振り返って撫子に顔を向けた。
「来月の振込みは10パーセントカットです」
その言葉を残して彪彦は消えた。
「今でも生活厳しいのに!」
撫子が叫んだ。
難しい顔をして愁斗が立ち上がった。
「僕も先を急ぐから」
そう言って財布から5000円札を出してテーブルに置いた。
撫子が手を伸ばした先で部屋を出て行く愁斗の後姿。
独り部屋に残されてしまった撫子はリモコンを手に取った。
「もぉ、独りで歌いまくってやるんだから!」
マイクを握る手はいつも以上に力が入っていた。
その頃、亜季菜たちは愁斗よりも早く鎌倉に向かっていた。
愁斗のように情報を得たわけではなく、瑠璃の胸騒ぎがするという言葉を信じた。
今度は伊瀬が運転手を務めている。その助手席に瑠璃が座り、後部座席に亜季菜が座っていた。
瑠璃の勘とも言える言葉を信じたわけだが、それでも確証のないことに亜季菜は不満を漏らした。
「本当にこっちの方向でいいわけ?」
瑠璃は小さく頷く。
「はい、感じるのです、禍々しい怨念とも言うべき力を」
「禍々しい怨念って龍封玉が発してるわけ?」
「違います、私を呪っている者の力です」
「誰それ?」
「まだわかりません。もしかしたら罠かもしれません」
信号で車を止めた伊瀬が口を挿む。
「罠なのでしたら危険でありませんか?」
「罠だとしても、なにか手がかりがつかめると思います」
「そうよねー、情報が不足してるのだから、こっちから罠に飛び込んでやるっていうのよ」
と、亜季菜は後部座席にそっくり返っていた。
鎌倉市内に入りしばらく経ったところで、急な震えが瑠璃の身体を襲った。
「今、なにか嫌な?死念?を感じました」
後部座席から亜季菜が乗り出した。
「?思念??」
「はい、向こうも私に気付いているようです。確実に私を呼んでいるのを感じました」
その後、車は鎌倉駅を外れて住宅街の方向へと走った。
瑠璃は自らの体を抱き、不安と戦っていた。
自分を呼ぶ者の輪郭が現れ、正体が浮き彫りになっていく。
そして、それは確信へと変わっていった。
待ち受けている敵は亡霊だ。そこまでわかっていて、瑠璃は自分の考えを否定した。黄泉がえってはいけない存在。
悲鳴とも叫びともつかぬ過去の幻聴が瑠璃の耳に響いた。
醜く恐ろしく、凄惨な死を遂げた姫の名。
あの戦い以降、その姫の名を呼ぶことは禁忌とされた。一族では名を喚ぶと死者が来ると恐れられているからだ。
心の臓を抉られるような激しい痛みが瑠璃を襲った。
「止めてください!」
玉の汗を掻きながら瑠璃は叫んだ。
急ブレーキが踏まれ車が止った場所は、平凡なマンションの前だった。
車から降りてマンションに入ろうとしたが、入り口はオートロックでロビーにすら入れない。
亜季菜は少し考え、
「宅配便でも装おうかしら」
と、適当な部屋の住人を呼び出そうとしていたところで、中から住人が出てきた。
すれ違う住人に軽い会釈をしながら、何食わぬ顔で3人は開いた自動ドアに身体を滑り込ませた。
先を歩くのは瑠璃だ。
「こちらの方向です」
なにかの力を感じながら歩いているためか、エレベーターには乗らずに階段を使い、もっともなにかを感じるフロアを選んで出た。
ある部屋の前で瑠璃の足が止まった。
「おそらくこの部屋だと思います」
ドアノブを回したが、カギが掛っていて開きそうもない。
亜季菜は伊瀬に目で合図をした。
「適当な理由をつけて管理人を呼んできて」
「はい、すぐに」
身体の向きを変えた伊瀬の瞳に、コンビニ袋を持った少年の姿が映った。
ひと目でただの少年でないと感じた。
外観のわりに大人びていて、眼の奥に狂気が宿っている。
少年はコンビニ袋を地面に置いた。
「あんたらなにやってんの?」
最初から喧嘩腰の声音だった。
伊瀬はすぐに瑠璃と亜季菜を背中に隠した。
「あなたはこの部屋の住人ですか?」
「だったらなに?」
「少々お話したいことがあります」
「ヤダね、オレには話すことなんてねぇーよ」
少年はパーカーの腰ポケットに両手を突っ込んだ。
伊瀬は来ると感じて瑠璃に尋ねる。
「瑠璃様は戦えますか?」
「はい」
「では、亜季菜様のことは任せました」
伊瀬が背広の内ポケットに手を入れた瞬間、少年はパーカーから手を抜いた。同時に拳より一回り小さい丸い物体が飛んだ。それも2つ同時だ。
軽いフットワークで伊瀬はそれを躱し、優れた動体視力でそれがヨーヨーだと知った。
少年はすぐに背を向けて廊下を駆けた。
逃げたというより誘っている。その誘いに伊瀬は乗った。狭い廊下でいつ人が来るとも限らない。伊瀬としても場所を替えたかった。
少年は俊足で階段を駆け上がり、屋上を目指しているようだった。
格子状の扉を乗り越えて少年は屋上へ出た。そのすぐあとを伊瀬が追いつく。どちらもまったく息を切らせていない。
伊瀬は両手を背の後ろに隠していた。
再び少年の手から2個のヨーヨーが放たれる。
1つ目のヨーヨーを伊瀬は身を低くしながら避け、2つのヨーヨーは体勢を変えるよりも早く隠していた手を出した。
手には合金のグローブが嵌められ、逆手に握っていたナイフがヨーヨーを弾く。
身を低くした体勢のまま、伊瀬は勢いをつけて地面を蹴り上げた。
2個のヨーヨーを引き戻すスピードと伊瀬のスピードはほぼ互角。ただ、ヨーヨーは引き戻してから攻撃に移る。
輝くナイフの刃が少年の眼前を薙ぎ、刹那にして伊瀬の背中からもう1本のナイフが姿を見せた。
ナイフが少年の生首を裂く寸前、ヨーヨーが伊瀬の腹を殴った。
作品名:傀儡師紫苑アナザー 作家名:秋月あきら(秋月瑛)