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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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傀儡師紫苑アナザー

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 女性の美しい歌声だった。それは悲しい歌声だった。泣いていような歌声だった。
「それからはなにもない」
 と、伸彦は話を締めた。
 長い話を終え、伸彦はどっと肩を降ろした。
 外の嵐は徐々に静まりを見せている。
 風は弱まり、雨音も微かに聴こえるまでになっていた。
 愁斗はなにも口を挟まず伸彦の話を聴いていたが、疑問はある。
 では、今になってなぜ?
 伸彦は深く息を吐いた。
「なにもなかったんだ、最近まではな」
「なにがあったんですか?」
「海男が唄うようになったんだ」
 嵐を呼ぶ潮騒の唄。

 翌日の朝、伸彦が仕事に出たのを見計らって愁斗は海岸に向かった。
 伸彦も愁斗がここに来ることは予想していたに違いないが、あえてなにも言わなかったのは、愁斗が自分たちと住む世界が違うことを知っているからだ。
 海辺の洞穴に愁斗は来ていた。
 昨日よりも水かさが低く、洞穴の中に浸る海水は膝より下に位置する。昨日は膝より少し高い位置まで水かさがあった。
 差し込む光の加減も昨日よりも明るく、入り口の広い洞穴に光が流れ込んできている。深くはない洞穴なので、奥まで進んでも視界が闇に閉ざされることはないが、それでも薄暗く心地の良い場所ではない。
 行き止まり付近まで来ると、水かさは愁斗の膝よりも高い位置まで来ていた。
 愁斗は妖糸を垂らし、水の奥のようすを探ろうとした。
 すぐ手前の水の奥は愁斗が立っている場所よりも水深が深い。
「駄目だ……海の中じゃ上手く操れない」
 愁斗の指先が微かな手ごたえを感じた。海の底で魚が泳いでいる。すぐさま愁斗の妖糸は魚を捕らえた。
 傀儡師である愁斗が得意とする傀儡[カイライ]。並みの傀儡師であれば、生あるものを操れまい。しかし、愁斗の手にかかれば魚などいとも容易く操れる。
 戦闘に特化した傀儡師は、時に傀儡士とも言われ、自らの肉体を使う戦いよりも、他を操る戦いを得意とする。
 魚が視るビジョンが妖糸を伝わり愁斗の脳裏に流れ込む。
 操る魚は海水の通り道になっている穴を泳ぎ、やがて光度が高くなり穴を抜けた。
 海面が青く輝き、幻想的に揺らめいている。それは愁斗にとってはじめて観る景色だった。
 なぜか愁斗は母を思い出した。
 おぼろげな母の記憶。
 記憶の欠片を手繰り寄せる愁斗の目を覚ましたのは、魚から送られてくるビジョンに映し出された人影だった。
 海の中に人?
 泳げない愁斗には海女などという発想はなく、すぐにその人影を人間外モノと結びつけた。
 人影は女性だったような気がする。
 すぐにその影を追おうと妖糸を操ったのだが、魚からのビジョンが急に途切れ、妖糸を操る指先の感覚も魚を捕らえられなかった。
「食われてしまった」
 大きな魚が愁斗の操っていた魚を呑み込んでしまったのだ。
 この付近の海になにかがいることは間違いないだろう。あの唄と関係あることも間違いない。詳しいところまではわからないが、愁斗はその姿も見ていた。
 今ではない。昨日、この場所で見たのだ。
 海男を追ってこの場所に来た愁斗は、ここであるモノを見た。鱗に覆われた人間のような生物を見たのだ。
「……なにか違うな」
 愁斗は昨日の出来事を思い出しながら、小さく呟いた。
 なにが違うのだろうか?
 この場所が海と繋がっていることはわかった。
 愁斗は洞穴を出ようと来た道を引き返しはじめた。出口はすぐそこだ。
 洞穴を出る寸前、愁斗は背後に殺気を感じて振り返った。
 それは戦闘訓練で培った賜物に違いない。愁斗は飛んできた三叉の槍を瞬時に躱[カワ]し、体勢を立て直しながら、敵がなんであるかを見定めた。
 顔の皮膚まで鱗で覆われた人型の生物。毛は一本もなく、唇は魚のようで、眼もギョッと飛び出している。ひと言で表せば魚人と称するのはもっとも適切だろう。
 その魚人が2匹。洞穴の奥で愁斗を見ている。
 愁斗は異形のモノを臆することなく尋ねた。
「昨日の奴はどうした?」
 魚人たちは顔を見合わせ、意味不明な言語を交わしている。
 言語によるコミュニケーションは難しいかもしれない。
 一方の魚人は槍をまだ手に持っている。
 傀儡を持たない愁斗は苦戦を強いられることは必定。
 まだ傀儡師として一人前ではない愁斗。生身のままでは妖糸で敵を切ることもできない。施設にしたころに使っていた傀儡は逃走のときに破壊されてしまった。
 槍を構えた魚人が愁斗に襲いかかった。
 愁斗の指から輝線が放たれた。
 闇の傀儡師に伝わる秘伝。
 妖糸が空間に一筋の傷をつくった。
 洞穴に唸り声が木霊した。
 闇色の裂け目から悲鳴が聴こえる。泣き声が聴こえる。呻き声が聴こえる。どれも苦痛に満ちている。
 紫苑の腕が前に伸びた。
「行け!」
 〈闇〉が触手のように伸び、槍を持った魚人に襲い掛かる。
 槍をがむしゃらに振り回し魚人は抵抗するが、〈闇〉は魚人の腕を掴み取り、無数に伸びた〈闇〉が近くにいた魚人の身体をも拘束した。
 奇声が木霊する。
 魚人たちは成す術ない。
 すでに魚人の身体は〈闇〉に呑まれ、裂け目に還ろうとしていた。
 が、〈闇〉は魚人を呑み込んだだけでは治まらず、愁斗に襲い掛かってきたのだ。
 愁斗の腕が〈闇〉に掴まれた。
「大人しく還れ!」
 決して〈闇〉に恐怖してはならない。
 まだ人を斬ることはできなくとも、〈闇〉は斬る。
 煌きが奔り、叫び声があがった。
 愁斗の腕を掴んでいた〈闇〉が放れ、急速に空間の裂け目に引き返していく。
 シュウシュウと蛇が鳴くように裂け目は塞がり、愁斗は額の汗を拭った。
 動悸が激しい。
 もう今日は〈闇〉を使うことはできないだろう。
 早く傀儡を手に入れなければ、次に襲われたらあとがない。
 だが、敵の影はすぐそこまで迫っていた。
 洞穴の奥で水面が水しぶきをあげた。
「昨日の妖物だな」
 呟く愁斗の視線に映る魚人の姿。七色に輝く鱗が先ほどの魚人とは格の違いを示している。そして、鱗に包まれたその肉体は、艶やかな曲線と豊満な胸を兼ね備えていたのだ。
 浅瀬に上がってくる魚人の身体から水が滴り落ちる。
「げに恐ろしきお子じゃ」
 魚人の声は深海のように深く、眼は愁斗を捕らえて放さない。
 愁斗の瞳は魚人の首元を見つめていた。
「傷の治りが早いな」
「あれほどの痛みを妾に与えたのはうぬが初めてじゃ」
「あの糸で切られた傷は治りが悪い」
 昨日、この場所で愁斗は目の前の魚人に妖糸を放った。実際に妖糸を繰り出したのは、愁斗に操られた海男だ。
 海男の意識が朦朧としていたために、どうにか操ることができたが、生のある人間を操るのは並大抵のことではない。そのためにしくじったのだ。妖糸は魚人の首を取られたが、落とすには至らなかった。
 使える傀儡はない。
 敵に不利だと悟られるわけにはいかない。
 鉄の表情で愁斗は指先を軽く動かしストレッチをした。
 〈闇〉を使うか、それとも別の方法で戦うか。
「……召喚の法」
 それはまだ完成に至っていない技。
 愁斗の糸が宙に幾何学模様を描いた。
「傀儡師の召喚を観るがいい。そして、恐怖しろ!」
 妖糸で描かれた幾何学模様は魔方陣だった。