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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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傀儡師紫苑アナザー

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 四肢を曲げ、仰向けになっている老婆は白目を剥き、口からは泡を吐き、苦悶に満ちた形相をしていた。
 事切れている老婆の傍らで、お紗代は膝を付いて肩を揺らしていた。その頬から雫が流れ落ち、お紗代は振り向いた。
「亡くなりました」
 なぜ?
 とは訊けなかった。
 ゆらりと立ち上がったお紗代は老婆の両脇に自分の腕を差し込み、老婆の上半身を持ち上げた
「手伝っていただけますか? お婆様を家の外に捨てます」
 お紗代の言葉に亜季菜は訝しげな表情をした。
 亡くなった人間を家の外に捨てるなどという常識は、亜季菜の常識には当てはまらなかった。捨てるということは、死者を雨風に晒して朽ち果てさせるということなのだろうか。それは亜季菜にとって死者に対する冒涜にも思えた。
 立ち尽くす亜季菜を尻目に、愁斗は淡々とお紗代を手伝い、老婆の足を持ち上げていた。
「亜季菜さんは胴を持ち上げてください。死人は生者より重いですから」
 生きている人間は寝ていたとしても身体に力が入っている。しかし、死人は身体にまったく力が入っていない分、生きているときよりも重く感じられるのだ。
 胴を持ち上げた亜季菜は老婆の身体がまだ生暖かいのを感じた。心地よい温かさとは決していえない。できればすぐに手を離したかった。
 家の外はすでに人だかりであった。
 襤褸をまとった人々が輪を作るように集まってきている。農作業の途中だったのか、鎌などの刃物を持った者もいる。この集落に住む者たち全員が駆けつけて来たようだ。
 老婆を地面に降ろすと、人の輪が小さくなり、人々が老婆に群がった。
 お紗代は悲しみくれることもなく、足早に家の中に戻って行く。愁斗もその後を追った。亜季菜は一瞬後ろを振り向こうとしたのをやめて、すぐに愁斗の背中を追って家の中に入った。あの場に長居をしてはいけないような気がしたのだ。

 夜は更け、灰色の空は闇色へと変わった。
 結局、この襤褸屋で一晩を過ごさなくてはいけなくなってしまった。
 どうも落ち着かない。寝ようと目を閉じても、すぐに目を開けて寝返りを打つ動作をしてしまう。
 横で眠る青年は恐怖など微塵も感じさせない安らかな表情をしている。
「愁斗、起きてる?」
 ――返事はなかった。
 すぐ傍で寝ているにも関わらず、亜季菜は孤独感を感じた。まるで闇の中で独りぼっちになってしまったみたいだ。
 ガサガサと部屋の隅から物音が聞こえた。亜季菜は耳を済ませながら、部屋の隅を凝視する。物音のした場所は天井の隅だった。そこでなにかが動いている。
 針のような八本脚を持った奇怪な生物と目が合ってしまった。しかも、こちらの眼が二つに対して、あちらは五つもある眼で見ている。それは巨大な蜘蛛であった。体長一メートルはあろう、大蜘蛛が天井の隅に蹲っていたのである。
「愁斗起きて!」
 金切り声をあげた亜季菜を目掛けて、蜘蛛が糸を吐いた。
 幾本もの粘糸が闇の中に広がった。
「なにこれ!?」
 蜘蛛の吐き出した粘糸は亜季菜の四肢に絡みついた。手が動かない。足も動かない。身体の自由が奪われてしまったのだ。
 天井の隅にいた蜘蛛が亜季菜に目掛けて跳躍した。
 もう駄目だと思った瞬間、亜季菜の目の前で煌きが放たれた。
 長細い脚が一本、音を立てて床に落ちた。
「すみません亜季菜さん」
 蜘蛛の脚を切断したのは愁斗の放った妖糸であった。
 脚を切断された蜘蛛は、愁斗が亜季菜の安否を気遣っている間に、闇の中に消えてしまった。
「逃がしましたね」
 淡々と呟きながら、愁斗は亜季菜の身体に纏わり付いた粘糸を引きちぎる。蜘蛛の吐いた粘糸によって亜季菜の身体は自由を奪われていた。もし、愁斗が気付かなければ、亜季菜は逃げることもできず、蜘蛛の腹の中に納まっていただろう。
 慌てたような足音が聞こえ、亜季菜の声を聞きつけたお紗代が姿を見せた。
「どうかなさいましたか?」
 お紗代は口に手を当てて、息を呑み込んだ。
 粘糸に捕らえられている亜季菜の姿と、床に落ちている長細い脚。この場で奇怪なことが起きたのは一目瞭然だった。
 床に落ちている脚を見たお紗代は、それがなんであるかすぐに悟った。
「蜘蛛が現れたのですね」
 愁斗と亜季菜の視線がお紗代一身に注がれた。お紗代がなにかを知っていると、すぐに察することができたのだ。
 少々手こずりながらも、亜季菜の身体に絡みついた糸を取り払った愁斗は、立ち尽くしているお紗代を促した。
「蜘蛛についての話、詳しくお聞かせ願いたい」
「この地には古くから土蜘蛛が棲んでおります。普段は人里に姿を見えることはないのですが、食料の少なくなるこの時期になりますと、時折、子供の土蜘蛛が姿を現すことがあるのです」
 土蜘蛛とは日本古来からの怪物の一種である。
 愁斗は脱ぎ捨ててあった自分の上着を亜季菜に手渡した。
「僕の上着を着てください。そのベトベトの上着のままじゃ嫌でしょう?」
「ありがとう」
 短く礼を言って亜季菜は上着を受け取った。
 亜季菜の来ていたジャケットは蜘蛛の吐いた糸が絡み付いて落ちない状態だった。タイトスカートにも粘糸はついていたが、これは替えがないのであきらめるしかない。手足に付いた糸も後で洗い流さなければならない。
 着替えようとしている亜季菜にお紗代が声をかけた。
「私の着物をお貸ししましょうか?」
「いいえ、けっこうよ」
 少し強い口調で断った。お紗代の着ている着物は、お世辞にもいいものとは言えない。みすぼらしいと言えるその着物を着ることは、亜季菜のプライドが許さなかったのだ。
 お紗代はなにも言わず奥の部屋に姿を消した。その一瞬、亜季菜は振り返ったお紗代が自分を睨んだような気がした。しかし、なぜ睨まれたのかが見当も付かない。
 嵌め殺しの窓から微かに光が差し込んでいた。
「もうすぐ夜が明けるみたいですね」
 愁斗の横顔は光を浴びて輝いていた。
 どこか妖香の漂う青年の顔に見惚れている自分に気づき、亜季菜は大きく頭を振った。たまにこういう気持ちにさせられるときがある。お子様には興味のない亜季菜でさえ、魔法にかけられてしまうのだ。
「夜が明けたら、さっさと出かけましょう。もう、ここに長居するのはイヤよ」
「そうですね、お紗代さんに道を訊いて出かけましょう」

 やはり空は灰色だった。灰色の先に太陽はあるのだろうか?
 家の外に出た亜季菜は灰色の空よりも先に、地面に広がる黒い染みを見て顔をしかめた。
 赤黒い染みが地面にこびり付くように広がっている。その傍らにある襤褸布に、亜季菜の視線が移った。見覚えのある襤褸布は、あの老婆の着ていた服だったのだ。
 捨てられた老婆の逝く末になにがあったのだろうか?
 亜季菜はすぐに考えることをやめた。恐ろしい考えが頭を過ぎってしまったからだ。
 家の奥からゆらりゆらりと歩く蒼白い顔をしたお紗代が姿を現した。
「私が途中まで道案内をいたします」
 この蒼白い肌の娘が道案内をするというのか。亜季菜は愁斗と顔を見合わせようとしたが、愁斗は、
「よろしくお願いします」
 と、お紗代を見つめた。
 少し頬をほんのりと紅く染めたお紗代は、愁斗の横に寄り添うように立った。
「実は近道があるのです」