かぐや姫は、もういない
「今夜は月がきれーだねー」
私の能天気な言葉に、はづきは一言も返さない。でも、いつものことなので特に気にしない。
「かぐや姫が月に帰った日も、こんなきれーな満月だったのかもね」
もっとも、かぐや姫ははづきと違って、迎えを待つために寒空の下に一人で待ちぼうけをさせられる待遇ではなかったんだろうけど。
自称・かぐや姫のはづきは、私に半ば押しつけられた缶を両手で大事に包んでいる。やっぱり、寒かったんだろう。無理にでも押しつけてよかった。
私たちが登れるなかで一番高い廃ビルに登って、地上よりいくらか月に近いとはいえ、やっぱり月は地上にいる人たちに見せるのと同じ、手の届かない存在として静かに佇んでいる。
15歳の誕生日の今夜、はづきの言い分では月からの迎えが来るらしい。
去年も、おととしもそう言っていた。誕生日になれば、月から迎えが来るのだと。
私はそのたびに、今日のように頼まれもしないのに着いてきて、来ない迎えを一緒に待った。
「かぐや姫の求婚者は5人だけだったけど、はづきはもっとモテたよねー。軽く倍はいってたんじゃない?中学に入ってからのことしか、私は知らないけど」
「・・・私は、かぐや姫じゃない」
はづきが口を開く。冬の澄んだ混じりけのない空気は、苛立ちに紛れたはづきの不安を正確に振動させる。
「かぐや姫は、あいつは罰を受けてここに置き去りにされたくせに、月に行きたくないと言った。こんな、ふざけた世界に。私は、あいつとは違う。一刻も早く、月に帰りたい。ここは私の居場所じゃない」
罰を受けた、か。
たしかに、竹取物語にはそんな描写があった。
かぐや姫は月で何か罪を犯し、その罰としてこの地球に送り込まれた。反省してこいといったところだろう。
でも、彼女は「月に帰らなくてはならない」と育ての親であるじいさんたちに告白したとき、泣いた。「帰りたくない」と言った。「あんなに帰りたかった月だったはずなのに、あなた方と離れたくなくなってしまったから」と。
たしかに、はづきはかぐや姫じゃない。
傍らで缶を握りしめるはづきは、小さな缶にすがっているように見えて切なくなった。
あんたをここに引きとめる理由は一つもなく、いつまで経っても来ない迎えを、震えながら待っている。
「どうして月に行きたいの?」
いつもならあっさり無視する私の問いかけに、はづきは珍しく反応する。答えを探している素振りが窺えた。
「月に行ったらさ、たぶんもう戻って来れないよ。かぐや姫もそうだったじゃん。今は科学も進歩してるし、地球から月に行ける日もそんなに遠くないんだからさ、なにも今急いで行くことないじゃない。かぐや姫みたいに牛車に乗って、なんて時代遅れの帰省よりも、銀色に光るスタイリッシュな宇宙船で行った方が、月にいるはづきの身内も驚くと思うけどなぁ。そりゃ、ちょっと時間はかかるかもしれないけどさ、月の住民は寿命が長いんでしょ?何の問題もないじゃない」
無駄だということは、わかっている。
それでも、私のバカげた理屈に少しでも呆れてほしかった。月をどうこう言うことから、少しでも離れてほしかった。
そんなわずかな期待を込めて言っただけに、はづきの言葉に私は不覚にもダメージを受けてしまった。
「ここにいても、私は幸せになれないから」
はづきの口の端には、笑みさえ浮かんでいた。
「かぐや姫がこの世界に送り込まれたのはね、月の国のありがたみを知るためなのよ。こんな、理不尽でむなしい世界で得られるものなんて、『醜い』という概念だけ。それを知るため、ただそれだけのために、月はここに人を送るの」
月に行きさえすれば、そこに私の求めるすべてがあって、ここには何もない。
はづきの中に根付いた、その根拠のない確信に、私は泣きたくなった。
「私も、着いて行こうかな」
言葉と一緒に出た息が、やけに濃い白になった。
ちゃんと、冗談半分に聞こえてるだろうか?はづきに私の気持ちを悟られたくない。
あんたが「かわいそうな」人間だなんて思わない。私だけは絶対、思ったりしないって決めてるから。
私が思ったら、認めてしまったら、はづきは本当に居場所をなくしてしまう。自惚れであっても、私だけははづきをわかったフリをしたくない。
「いじめられっこ」でも「幼い孤児」でも、まして「かわいそう」なんて言葉ではづきを縛って、見失ってしまいたくないの。
「最後に聞いておいてあげる」
はづきは1回言葉を切ってから、少しだけ強い口調で言う。
「あんたが私に付きまとうのは、同情?」
作品名:かぐや姫は、もういない 作家名:やしろ