かぐや姫は、もういない
「違うよ」
「じゃあ、何」
「今さらそんなこと聞くんだ」
「・・・何を笑ってるの」
「だって、今さら、そんな簡単なこと、聞かれるとは思わなかったから、おかしくって」
はづきが黙ってしまったあとでも、私は体を震わせて笑った。本当におかしかったのだ。自分がどこにいるのかもわかっていないのに一生懸命になって地図を見て道を探しているみたいに、根本的な情報を見落としているのに気付かないようなマヌケさが、おかしかった。
「決まってるじゃない。はづきが好きだからだよ」
ねぇ、はづき。私じゃ、月の代わりにはなれないかな。居場所になることなんて出来ないのかな。
たしかに、この世界にはあんたの言うとおり、理不尽でむなしいことばかりなのかもしれない。
私が知ってるあんたは、ただ人と違ってるってだけで一人ぼっちで、でもちゃんとへこたれずに生きてる。それって、誇れることじゃん。私はあんたのそういう曲がらないところがいいと思う。
何があっても絶対に傷つくことがない世界があんたのいう月だというのなら、たぶんそんな世界はどこを探しても見つからない。
ここからなら光って見える月だって、実際は砂しかない寒い星だ。うさぎもいない。かぐや姫は死んだ。
「まったく、月の人間を引きとめておく手段って、ないもんかね。かぐや姫は育ての親が泣いて縋っても、迎えが来た途端に何もかも忘れて帰っちゃうし。無責任だよ、本当に」
かぐや姫は、月に帰る寸前に「育ててくれた、せめてもの恩返しに」と、じいさんたちのために不老不死の薬を残した。
「おまえのいない世界で長く生きていたって仕方がない」じいさんたちはそう言って薬を燃やしてしまったことを、かぐや姫は知っているんだろうか。
自分が周りに与えた影響を知らずに行ってしまうなんて。
はづき、あんたもかぐや姫と一緒。身の程知らずの大バカ娘だよ。
「・・・私のことが好きなら、どうしてあんたは泣いてんの」
「え?」
「好きなら、笑いなさいよ、いつもみたいに。地球人は、好きな人間の前では笑う生き物なんでしょ?」
はづきが目の前に来て初めて、自分の視界がやけに滲んでいることに気付いた。本当だ、泣いてる。
「悲しいの?私のことが、嫌いなの?」
「悲しい、のかな。だって、あんたってば、私の気も知らないで、自分勝手なことばっかり言うんだもん」
「自分勝手とはなによ。あんたには関係ないでしょ」
「ほら、そういうところ。はづきはバカだよ。自分のことを考えてるのは自分だけだと思ってる」
泣いていると自覚した途端に次から次へと涙はあふれてきて、声を出して本格的に、私は泣きだしてしまった。
はづきはただおろおろと手を彷徨わせ、缶コーヒーを傍らに置いてから、私の手をにぎった。とても温かくて、だから私はもっと泣いた。
どれくらいそうしていたかはわからない。
涙を流しつくし、呼吸もようやく落ち着いてきた頃に、はづきはぼそぼそと小さな声で、さっきと同じことを聞いてきた。
「私のことが、嫌いなの?」
握られた手を温かいと感じることはなくなった。
たぶん、私の冷たい手を温めていたせいで、温度が均されてしまったんだろう。
私とはづきの体温は、今は同じだ。
「やっぱりはづき、あんたはバカだよ。もう少しここで勉強していかないと、月はあんたを認めてくれないよ」
いつの間にか明るくなってきた空に、月は頼りない白色に変えられてしまっている。
もっと薄くなれ。出来ることなら、消えてなくなってしまえ。
「好きな人間の前でなきゃ、泣けないやつもいるの。地球人の思考回路は、あんたが思ってるほど単純じゃないんだから。わかるのにはきっと、時間がかかるだろうけど」
少しずつ顔を出してきた太陽の光のうちの一筋が、はづきの顔を照らす。目元から頬へと縦に1本筋が出来ていて、光を受けてきらきらと輝く。
泣いてたの?
待ちぼうけをくらったことがはっきりしたのだから、予想通りではある。
「月からのお迎え、今年もお預けだね」
努めて明るい声を出す。はづきに感情を引きずらせるのは酷だと思ったからだ。
でも、予想していた反応とは違っていた。
「いいわよ、べつに。泣き虫な誰かさんのために、もう少しだけいてやれってことなんでしょ、きっと」
「迷惑?」
「わけのわからない理由で泣かれるのはね」
はづきはそう言って、少しだけ、勘違いだったのかもしれないと思うほどの短い間だけ、笑った。
それはこっちのセリフだよ、という言葉は呑みこんだ。
朝日はすべてを平等に照らしていく。
私とはづきの涙のあとは、少しだけ光り、また消えていくだろう。
何度流れても、また必ず乾かすために昇って来てくれる。
「はづき、地球の日の出はきれーだねっ」
薄くなっていく月が登る空を見上げたはづきは、小さく頷いた。
今は、それで充分だ。
作品名:かぐや姫は、もういない 作家名:やしろ