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エフェドラの朝

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土砂越しに都営地下鉄が頭上を通過する音が鈍く鳴り響いた。




その日わたしは試験のために浜松町の駅を降り、その建設会社の本社ビルに向った。国道を渡るとその会社の看板が見える。その圧倒的なビルに威圧され帰りたくなった。わたしは野良犬を思った。

総合職の昇格試験の会場は11階にあり、慣れないスーツを着たわたしは受付を済ませ、数人の特務職の社員と面接を待った。苛立ちの時間が過ぎて行く。
わたしは名前を呼ばれ会場にひとり入った。

7名ほどの取締役役員がわたしを凝視する、全員の視線がわたしを値踏みする。
何処かで見た目だった。

思い出した。・・初めてバラック小屋のような宿舎に足を踏み入れた日のあの目だった。そこには姑息で猜疑に満ちたあの目がある。


「まったく異例だな・・・。」小指を少し立て老眼鏡越しにわたしを覗き込んだ。
わたしが大学の専門学科卒でも専門学校卒でもなく、土木とは全く無縁の田舎の高校、まして普通科卒業であることが納得いかないようだった。
書類選考で落選すべきで、本来であればこの面接会場のこの場に居ること自体が異例だった。
ひとりの面接官が国家試験の受験資格を慌てて確認した。
わたしは経験年数による受験資格で受験し合格したことを告げた。
どの様にして勉強したかを訪ね・・独学ですと答えた。

ひとりの面接官が支店長からのわたしの推薦文を読み上げた。
「わが社も落ちたものだ・・・。こんな・・。」 小声が聞える・・。

椅子から腰を上げ面接官に会釈し、立ち去ろうとした。
元々何も無かった人間だ、何も失うもの等無いさ・・心の呟きが聞える。


「お前・・・トンネル屋になる気はないか?・・」野太い専務の声がした。




暫くして仙台支店勤務の辞令が作業所に届いた。

その後、何人かの女を愛しては別れ、これが最後の人と思った女と結婚し、
二人の息子の親になった。

単身赴任で北海道で1本、九州で1本、東京都下で2本のトンネルを掘り、
そして一人の仲間を死なせた。

ある年の暮れ
「所長、今年の正月も帰らないのですか?」若い職員が尋ねる。
もうまる2年、自宅へは帰っていない。ひとり、狭いワンルームマンションの冷たい布団で眠るか、現場事務所で机の足を眺め寝袋に包まり眠る癖がついた。
長男は小学3年で成長の記憶が止まり、学生服の姿は一度も見たことが無かった。次男はと云えば保育園の入園式の写真がテレビの上で微笑んでいるだけだった。


立坑の排水設備が心配だった。
ポンプに土砂が詰まり排水機能が停止すれば、全てが水の泡となる。シールドマシーンの電気回路は壊滅し、立坑の鋼矢板のセクションから土砂が流入すれば埋没する。
何億円という設備を失う・・休暇をとるには不安が多すぎた。

休工日の朝と夕2回の現場パトロールが所長業務となり・・
異常なし・・を記した。

誰だって盆、正月は仕事を忘れ家族との団欒が楽しみだ・・・
若手を帰省させた。
ひとり紅白歌合戦を見ながら缶ビールを呑む・・・
コンビニ弁当が御節の代わりだった。
「あけまして、おめでとう・・。」電話の向こうに家族が見える。



ある暑い夏の日・・二人の息子が遊びに来た。
空港の到着ロビーでTシャツに半ズボンの懐かしい顔が手を振った。

「パパの部屋さ・・トイレと風呂一緒なの・・臭くない?」
「大丈夫・・ひとりだから・・平気さ・。」

一組の布団を横に敷き川の字に寝ると長男と次男の寝顔に見入った。
小さな寝息をたてて眠るふたりの息子が愛しかった。
ふたりの汗で濡れた髪を拭く・・。小さく柔らかい手に触れてみる。


翌日、会社に内緒で二人を現場パトロールに同行させた。
息子達には大き過ぎるヘルメットを被せると顔を見合わせ照れ笑いする。
重い照明スイッチを上げると、坑内照明が連続点灯した。
湿ってひんやりとした空気がある。
濡れた床には整然と並ぶ資材があり、重機が深い眠りから目を覚ます。
「すげ~・・。」ぶかぶかのヘルメットの次男が驚愕の声を上げる。

バッテリーロコ(レールを走るバッテリー式のトロッコ)の運転を長男に任せた。
「出発進行・・。」坑内に子供の声が木魂した。
曲がりくねったトンネルに沿ってレールは伸びる。

バッテリーロコが緩慢な速度で親子を乗せ薄明かりのトンネルを行く・・。
「このトンネル・・パパが作ったの?」大声で尋ねる
「ああ・・そうさ・・このトンネルはパパが作った」大声で答えた。

「すげ~・・。」ふたりの驚愕の声がトンネルに響いた。

数年後、建設業界は冬の時代を迎える。
一般競争入札の導入により、低価格入札による企業間競争が鎬を削った。
落札したとしても工事原価すれすれの落札価格となり、現場運営に大きな波紋を生んだ。
下請け会社とのハードなネゴ交渉に明け暮れた。
役所は自分達の設計の見落としによって工事に不可欠な部分の施工をしたにも関わらず設計変更を認めなかった。その皺寄せは元請と下請け会社との関係に軋轢を招いた。

そんな折、妻からの手紙が届く。中には緑色の離婚届があった。他人事の様に眺め署名捺印した。他人事だと思うように自分をコントロールしたのかも知れない。
涙も忘れた。

「所長・・これではうちみたいな零細企業は倒産だ・・。食い逃げか!!」
罵倒を浴びせられ・・耐えた。下請けの社長に頭を下げた・・。
本社に掛け合っても役所から貰えないものは払えない、の返事が返って来るだけだった。現場に出ることもなくなり、ただ管理月報の収支管理と価格交渉が本業となっていた。

手戻りもなく工程通りの施工管理を行っても5%~10%の利益が精一杯だった。下手したら赤字である。予定利益率は此方が作った実行予算書に下駄を履かせ、ただ本社稟議を通すためだけに支店が勝手に上乗せした数字であり、利益率25%は、本社を納得させるだけの架空の数字だった。
入札の時点で-40%、利益確保で-25%合算して-65%となる。35%の工事費で現場が動く筈などなかった。

「其処に、何時までも突っ立ってても契約工事の範囲だから払えないからな・・帰れ!」怒鳴っている。

切なかった・・自分自身を嫌悪した最低の男だと思った・・。
あの作業員達の必死な労力と汗を無駄にし、組織の利益追求という呪縛に完全に洗脳され、本来の人間の有様まで忘れていた。

夜道、背後に人の気配を感じると・・刺される・・という恐怖に怯える。


本当に自分がやりたかった仕事とはこんな事だったのか。
公共事業費を遣って技術屋として自分の作品を後世に残したい。
そんな純粋で情熱に燃えたあの頃を思った。いま会社組織に情熱や人情までも略奪され、守銭奴に成り下がった自分がいた。

不況下の中、社内では人員削減、リストラの空気が漂う。
本社から各現場事務所にファックスが流れてきた。
赤紙・・つまり早期退職者の募集である。
※但しプロパーは最後まで保護する・の一文が目に入り・・自己退職を決めた。


縁有り都市土木系の会社に管理職として招かれた。

そして・・・今。

ひとり残業をしていると・・・突然の電話
「鯖ちゃん、なんばしょっと?早よ来て寮で一緒に呑も・・」と誘いの電話。
作品名:エフェドラの朝 作家名:石田健介