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てっしゅう
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「愛されたい」 第一章 結婚記念日

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最初の休憩場所にバスは停車した。トイレ休憩に加えて少しの時間が自由時間となった。コーヒーを買うために自販機の前で順番を待っていた智子は自分の後ろに行雄が並んだことに気付いた。ネクタイをしていたから運転手かツアーの添乗員かと思って、「お急ぎでしたら、お先にどうぞ」と順番を譲ろうとした。

「いいえ、お気遣いありがとうございます。時間はありますので順番で構いません」丁寧に頭を下げて行雄は返事をした。
智子はカップを持って、行雄の方へ頭を少し下げて通り過ぎていった。男子トイレを出たところで夫は立って待っていた。
「何してるんだ!」
「自販機が並んでいたのよ。すみません」
「バスに乗り遅れるとみっともないだろう。気をつけてくれよ」
「はい、気をつけます」
夫はそういう部分を気にする。公務員だからなのか性格なのか解らないが、体裁を気にするのだ。だから、人前で手を繋ぐなどという行為は夫の辞書には載っていなかったのだ。

バスは国道257号線を下呂に向かって走り始めた。

下呂温泉にバスは着いた。益田川(ましたがわ、長良川の支流)沿いにある有名旅館が今夜の宿だった。ツアー会社の添乗員に案内されてチェックインをして智子と伸一は部屋に入った。ベランダからは川と温泉街が見える絶景であった。食事の前に風呂に入ると夫は浴衣に着替えて出て行った。いつも自分勝手に行動されることに慣れていたから、「行ってらっしゃい」とだけ言って、自分は部屋で寛ごうと思っていた。

部屋の電話がなって、食事の時間が広間で6時からだと案内された。智子は時計を見た。まだ1時間ほどあったから、自分も入浴しようと着替えて部屋を出た。鍵を掛けたから、夫が入れないといけないと考え、フロントに預けていった。このことが後に喧嘩の原因を作ることになる。

バスが着いたばかりなので大浴場はたくさんの入浴客で混雑をしていた。譲り合うようにして浴槽に浸かり、智子は旅の疲れを癒した。程よいお湯の温度と柔らかく肌に刺激のない温泉が心地よかった。

「どちらから来られましたの?」気さくに隣の女性から声を掛けられた。
「はい、名古屋です」
「そうでしたか、同じですね。私たちは会社の研修旅行で来たんですよ。40人ですよ!大勢でしょ」
「そんなにですか!楽しいでしょうね」
「ええ、おしゃべりばかりしていましたから疲れましたわ」
「羨ましいですわ。私なんか夫と二人何も話すことなく来ましたから」
「いいじゃないですか、ご主人とご一緒だなんて。私なんか夫と出かけた事すらなかったですよ。今はもう亡くなってしまいましたけど・・・」
「そうでしたか。お淋しいですね」
「慣れましたわ。一人暮らしも気を遣わないから気に入っていますの。それに今日の皆さんとは親しくさせてもらっているし、毎日楽しいですよ。お仕事されていますの?」
「いいえ、結婚してからずっと専業主婦なんです。夫が反対しますので働けませんの」
「あら!いいですわね・・・愛されているのね、羨ましい。今夜はお楽しみですね?」
「いえ、そんな事は無いですから・・・」
「まだお若いのに、そんな事仰ってはいけませんわよ。私なんてもう直ぐ還暦なんですから」

そんな歳には全然見えなかった。年齢を聞いて智子は驚かされた。

話しかけてくれた60歳の女性は名前を水野文子と名乗った。勤めている先は名古屋フーズという会社だとも話してくれた。

「文子さんはとても60歳には見えないです。何か秘訣がおありなんですか?」智子は疑問をぶつけてみた。
「この歳だからお世辞でも嬉しいわ。あなたはお幾つなの?」
「はい、今年45歳になりました」
「若いわねえ・・・羨ましい事。ご主人はお幾つ?」
「二つ上です。公務員なんです」
「お役所勤めなの、安定していていいわね」
「そうですか・・・」
「何か不満そうないい方に聞こえるわよ。どうしたの?」
「すみません。お気になさらないで下さい。別に何もありませんから」
「智子さんって言われたわね?私は一人身だから言えるんだけど、ご主人とは仲良くされた方がいいわよ。あなたが多少譲っても、男の人を立てて寄り添って行かれた方がいいの。一人は辛いわよ、余計なこと言ったけど」
「いえ、余計だなんて・・・お話していただけて嬉しいです。ずっと家に居ますから、こうしてお話できることが嬉しいんです」
「そう、良かったわ。ねえ?旅行が終わってからゆっくり会わない?いろんなお話しましょうよ。私じゃ嫌かしら?」
「とんでもない!ありがとうございます。是非そうさせてください」
「良かった・・・ねえもっと堅苦しくならないでお話していいのよ。年上だからって気にしないでいいから。そうそう、あなたの質問に答えていなかったわね。秘訣ね・・・エステには通ってないけど、ダンスはやってるの。エアロビよ。運動して汗かいて気持ちも身体もスッキリするの」
「そうでしたか。やっぱり身体を動かさないといけないんですね。私も通ってみようかしら」
「そうなさいよ!紹介してあげるから、一緒にどう?お住まいどちらでした?」
「昭和区なんです」
「そう、場所は緑区だけど車で行けばそんなに遠くないから。迎えに行ってあげるよ」
「そんな!私がお迎えに行かせていただきますよ」
「若いから?」
「そんな意味じゃないです」
「解っているわよ・・・仲良くなれそうね、智子さんとは」
「はい、私も同じ気持ちです」

旅行に来て一番の収穫になった。早く夫との時間が過ぎて家に帰りたいとさえ思った。

ちょっと長湯をしてしまったと慌てて浴衣に着替えてフロントに鍵をとりに行った。もうすでに夫が先に帰っていると思ってはいたが、尋ねてみた。

「楓の間ですが、鍵を預けたのですが・・・」
「はい、お預かりしておりますよ。こちらです、ごゆっくりなさってくださいませ」

夫はまだ入浴しているのだろうか、ちょっと心配になったが部屋に戻ってゆくと入口の前で夫が待っていた。

「いつまで風呂に入っていたんだ!鍵がかかっていて中に入れないじゃないか。早くしろ!」
「すみません。鍵はフロントに預けていったんです。気付いてくださると思っていました」
「そんな事言ってなかっただろう?何で先に戻るか待っていなかったんだ!」
「そんなに怒らなくても宜しいじゃないですか?」
「ずっと待たされたんだぞ!悪いのはお前だろう。申し開きするな」
「あなたはいつもそう・・・私はあなたの何?」
「はあ?何言ってるんだ。もう食事だろう?直ぐ行けるようにしなさい」

智子は化粧台で落ちた化粧を少し手直しした。夫はもう立って終わるのを待っている。簡単に済ませて、下の広間に降りていった。ツアー客の殆どが席に座って待っていた。一番最後に来た事を夫は恥ずかしかったのか、「いや~すみません。妻が時間かかちゃって」そう言い訳しながら空いている場所に座った。

「それでは全員おそろいになりましたので、始めさせて頂きます。本日は当ツアーに参加していただき誠にありがとうございました。明日の朝もここで7時半から食事となります。アルコールは各自でご注文して下さい。では楽しい二日間にしましょう」添乗員の挨拶が終わって食事が始まった。