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紫陽花

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「こんな話嫌だよね?でも、もう少し付き合ってくれる?あなたなら本当何でも話せそうなの……。そしてね、こう書いてても心が安らぐの……
「実は、あなたがアパートの庭から私の部屋を覗いているの、何回かこそっと見ていたんだ。ごめんなさいね、ゆっくり今度は話そうね、なんて言っておいて……。でもね、部屋に閉じこもっている時って、とてもそんな気分じゃないの。さっきも言ったけど、私はすごく気分にむらがあるの。調子のいい時は、藤塚君も知ってるよね、外できゃっきゃって騒いでるけど……。でも、落ち込むともう駄目なの……
「いや、落ち込むって言うか、何か違うんだな。自分が自分でなくなるの。すると気分が悪くなって、部屋に閉じこもっちゃうの。頭の中で何かがぐるぐる回りだす感じ。大抵は彼と喧嘩した後なんだけどね。ただ、落ち込むんじゃなくてね、もう一日中夢を見ているような感じで、自分が何かお空に漂っているような、別の世界にいるような、すると、今度は逆に気持ちが良くなって、いつまでもその世界から帰って来れないの。下を眺めると元気なく横たわっている自分がいる。ああ、惨めだなって。でも、いつまでも漂っていられない。また、自分のところに戻っていく、すると、恐ろしく不安な気分になり、誰かの気配を感じ、次にはいろんな人が実際に目の前に現れるの。現れては消える。中には話しかけて来る人もいる。大抵はいやな人ばかり、会いたくない人ばかり出てきたりする……。小さい時の自分が、今の自分と会話をしていたりする、それを後ろから、上から、違う自分が眺めている……
「ごめんね、つまらない話だね。実は精神科の先生にも診てもらったことがあるの。彼とまだ、うまく行ってる最初の頃にね、彼が心配してね、私を大学病院に連れて行ったの。そしたらね、?心の?病だって言ってた。?解離?だとか、?ヒステリー?だとか、いろんな難しい言葉を並べていた。薬もたくさん貰った。でもちっとも良くならないんだ……
「だからいつからか行かなくなっちゃった。彼はそんな私に愛想をつかしたのね。だから彼が悪いんじゃない、それも分かってるんだ。でも、でも、彼のこと好きだったから……。別れたくなかったから……
「泣き言並べても仕様がないよね。ごめんね。いやな話聞かせちゃって。ともかく、これから母と二人でやりなおすしかないから、って今は思っている。本当藤塚君にはありがとうって、こんな馬鹿な女の人のために部屋に駆けつけてくれたのね、本当にありがとう……
「あなたは前途有望な00高校の学生さんでしょ、頑張って勉強してね……。そして素敵な彼女も見つけてね。私みたいな病人を好きになったら駄目よ!じゃあね、お礼を言いたかっただけだから、だから、名前も住所も書きません。それが、それが、私のためでも、あなたのためでもあると思うから。でもね、あなたのことはずっと見守っています。お空からね。約束します。だって命の恩人だから。さっきも言ったでしょ!実はね私はお空を漂って、行きたい所へどこへでも飛んで行けるの、信じてくれないかな?でも、本当なの。私の特技なんだ。じゃあね、本当頑張って勉強してね、さようなら」
 手紙はそこで終わった。読み終わったときには、藤塚の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。「もう会えないのか」と思うと切なさで胸が一杯になった。あらためて消印を見ると、?滋賀県朽木村?ということだけは分かった。
「滋賀県か、朽木村ってどんなとこだろう」
 ともかく無事で元気で暮らしてさえいてくれたら、藤塚はそう考えると、手で涙を拭った。すると、彼の心を埋め尽くしていた
暗雲にも漸く少しではあるが晴れ間が広がってきた。
「また、ひとりぼっちか」
 藤塚は苦笑いをした。でも、以前の彼とは何かが違っていた。彼女の命を救ったのだという事実、さらにはそれによって、もし彼女が生きる力を取り戻したのだとすれば、「俺も何かの役には立っているんだ」というそんな自負心が、彼を逞しくしたのだろう。もはや?弱弱しい?一人ぼっちではない、名も知らぬ誰かではあっても自分を支えてくれる人がいる、そう思うと、なぜか孤独であっても「頑張れる!」と思った。いや、もうすでに彼は孤独では無くなったのだ。
「滋賀県朽木村に今俺も飛んで行ければな!」
 そう心で叫ぶと、彼は手紙を大事にしまった。「宝物だ」彼は、孤独でない自分という存在を久々に取り戻したことを感じていた。もう涙も止まっていた。泣く必要はない!不思議と確信に満ちてそう思えた。藤塚はその日は心地よい気持ちで眠りにつくことが出来た。

第十三章

「先生は紫陽花の花が好きなんですね」
 看護婦に背後から突然声をかけられ、藤塚ははっと我に返った。往診前の昼休み、机の上の花瓶に活けられた紫陽花の花を眺めながら十年前の記憶を辿っていたところだった。
「だって、先生だけですよ。この病院で、この季節、花瓶にわざわざ紫陽花の花を活ける先生は」
 藤塚は苦笑いをした。
「そうだよ。とても大好きなんだ。だってこの花のおかげなんだから、僕が医者になれたのは」
 看護婦は不思議そうな顔をして答えた。「紫陽花のおかげですか?変なの」精神科の医者は変わり者が多い、そんな先入観もあるのだろう。
「じゃあ、先生が往診に熱心なのも、その紫陽花と関係があるんですか?」
 この看護婦の質問に藤塚は今度は真正面から答えた。
「その通り。苦しんでいる人を助けるにはね、現場に飛び込まなきゃ話にならないんだって、彼女が教えてくれたのさ」
 看護婦は笑って答えた。
「紫陽花が先生の彼女ですか!まあ、私は用無しですね」
 彼女はそう言うと立ち去った。自分に用事があったわけではなさそうだ。医局の反対側に彼女は姿を消した。
 看護婦への答えは、しかし、偽らざる藤塚の心のうちである。
 藤塚は再び高校生時代を振り返った。高校生活の三年間、苦しいことがあれば彼女のことを思い出した。「いつもあなたを見守っています」という彼女の言葉にいつも励まされた。そして梅雨の時期には必ず紫陽花の花を見に行った。あのアパートへ。紫陽花と共に確かに彼女は常にそこにいた。彼の目にははっきりと見えた。そこに行けば彼女に会えた。「私はどこへでもすぐに飛んで行けるの」と、彼女の言っていた通りであった。美しい紫陽花の花は彼女そのものだった。
 大学進学は迷わず医学部と決めた。彼女のような思いに苦しんでいる人を救いたかった。左翼思想をどんなに勉強した所で、結局目の前の血に染まった人を救えるのか?家族の抱える矛盾、社会の抱える矛盾が生み出す?心の?病を社会主義思想が救えるのか?彼の出した結論は「何か違う」だった。当然の如く、彼は医師になるなら精神科を志すことも決めた。そしてその一心からひたすら厳しい受験勉強に耐えた。
 京都の大学を選んだのも、少しでも彼女のそばにいたいという第三者から見れば幼稚な、しかし彼にしてみればとても重要な理由からであった。
 そして希望通り精神科の医師となった。そして府内の精神科の病院で忙しい日々を送っている。
 無論彼女に出会えたわけではないが……。
作品名:紫陽花 作家名:ニンニン