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紫陽花

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 梅雨も終わろうとしていた。紫陽花の花も美しさは盛りを過ぎつつあった。もう今しか輝けないと思うのだろうか、花達は精一杯最後の美しさを出そうと競い合っているようにも見えた。
「どうして今までこの花の美しさに気がつかなかったのだろう」顔を近づけてキスしたくなる衝動にすら駆られる。何かを語りかけたいのだろうか、息遣いすら感じる。「私の美しさを忘れないでね、また来年会おうね」藤塚はそんな花からのメッセージを感じながら、そうやって暫くは心を慰めているのだが、やがては、その花の一つ一つに彼女の元気だった時の笑顔が重なり、いたたまれない思いになってくる。「この花が散ってしまうように彼女も死んでしまうんだろうか?」そう考え始めると、不安感で頭の中は混乱し始める。そうなると、「いっそ119に電話して、搬送された病院を聞いてみようか」などと、いろいろ考えもするのだが、誰に尋ねたところで、どれも一笑に付されるに違いなかった。「そもそもあなたは一体あの人と何の関係があるんですか?」そう聞かれればたちまち返答に窮してしまうだろう。アパートの住人に尋ねても同じ反応であろう。そう考えるとアパートのドアの一つ一つを叩いて回る勇気も無かった。
  こんな毎日が続くうち、梅雨も明けた。紫陽花の花も色あせて次々と散っていく。あれほど美しかった紫陽花のそんな運命を見ていると、いやな予感が藤塚の頭の中に湧き上がってくる。「彼女は一体どうなったんだろう?」道行く人々が、うっとうしい梅雨に別れを告げ到来した夏を楽しもうと、浮き足立って見えるのに、彼の心は依然として梅雨の暗い空模様のままで、まったく晴れ間が見えてこなかった。重い心はアパートへ向かう足取りをさらに重くした。「もう会えないのか」彼はそれでも諦めなかった。「それでも行かなきゃ」彼はほぼ連日アパートを訪れた。しかし彼女の気配は全く無い。ついには、彼女のドアの部屋をノックすることも試みた。しかし何の反応も無かった。毎日こうして通いつめているので、つい、廊下で誰かとすれ違っても変な目で見られ、彼女の安否を聞けるような雰囲気でもなかった。いや、仮に聞いたとしても誰もが「知らないよ」としか答えなかったであろう。ここは東京なのだ!古くからの住人が住んでいる下町なら違ったであろうが、このアパートの住人は明らかに皆が無関心を決め込んでいた。「駄目か……」結局彼女のいないことを確認してため息をつくことの繰り返しだった。
 梅雨明けの明るい世界も、彼の視界では?鈍い?色のままで推移する毎日であった。
 とうとう夏休みに入った。「どうしよう」休み中も毎日訪れるべきかどうか?そんなことを考えながらいつものように帰宅すると、郵便受けに自分宛の手紙が届けられていることに藤塚は気がついた。
「?」
 彼が驚いたのも無理は無い。裏を見ると差出人が書かれていない。宛名の筆跡を見るといかにも優しさが感じられ、女性からだなと藤塚は直感で思った。
「誰からだろう」
 玄関に入るや否や、彼は早速封を開けた。便箋を取り出すと玄関で立ったまま、彼は急いで手紙を読み始めた。

第十二章

「お元気ですか。藤塚君というのですね?あなたの住所と名前は救急隊員の方が教えてくれました。これはお礼の手紙です……」
 彼女からだ!「無事なんだ!」藤塚は心から喜ぶと同時に、手紙を持つ手が震えるのを感じた。「そう言えば……」藤塚は現場で救急隊員から住所と名前を聞かれて教えたことを、今になって思い出した。彼はともかくもほっとすると、安心感から来る脱力感からもあって、玄関に座り込んでしまった。そしてそのまま、ただひたすら夢中で手紙を読み続けた。
「……先日は本当にありがとうね。あなたが来てくれなかったら私はどうなっていたか、今でも思い出すと怖さで身が縮みます
「……ともかく、何から話したらいいかしら。救急車が早く現場に到着したから助かったんだと、お医者さんから言われました。本当にあなたのおかげ。ありがとう。連絡を受けた母が田舎から飛んできて、三日後だったかな、退院が決まると、結局私をそのまま実家へ連れて帰りました。さからえなかったわ」
 するともう会えないんだろうか?藤塚は、今度は寂しさを覚えたが、その気持ちをぐっと押し殺すと、彼はさらに手紙を読み続けた。
「……で、この手紙は実家で書いてます。何年ぶりだろう?私の家の周りには昔と変わらない田んぼが広がっています。皮肉だわね。この田舎生活がいやでここを抜け出して東京へ行ったのに……。でも今はこの眺めが私を癒してくれてるの
「……東京ではもう暮らさせないと、母が私を監視しています。逃げられないわ。でもね、実際、私も東京で生きる自信を無くしたしね。これからは母子で助け合って、ここで生きていくしかないのかな……」
 そうだったのか。藤塚はとりあえずは親子で平穏な生活を送っているのならともかくもいいことだ、と安堵した。彼は手紙を読むのを一旦中断し、玄関から自分の部屋へ移動した。彼は机に座ると、さらに手紙に向かった。ボールペンではあるが優しい筆跡が彼の心を和ませた。彼女の笑顔がありありと思い出された。
「……でも、そういう気持ちはあっても体がまだ言うことを聞かないの。
 実はね、前から病気なんだ、私。心の病気……。
 元気な時はいいんだけど、時々自分が自分でなくなるときがあるの。何て言うんだろう。その繰り返し。小さい時からずっとそうだった……」
 文面はさらに続いた。
「ともかく、ありがとうって言わないと。あの時ね、彼と喧嘩してたの。彼とはね、もう何年になるかな。最初は良かったんだけどね、でもここんとこ喧嘩ばかりしていて、で、彼が、もう駄目だ、別れようってね。ずっと彼はそんなんだったけど、私が諦め切れなくてね。それで私が取り乱したら、彼が私を罵りだして、そして頬を思い切り叩かれたの。そしたらね、彼の顔がいきなり憎い父の顔に化けて、小さい頃のいやな記憶が全部スライドを次々見るみたいに、頭の中に映写されて、そしたら、もう、ますます、私、取り乱してしまって、それから、それから……
「あとのことははっきり覚えていないの。彼が部屋を出ていった瞬間に世界が終わったと思った。で、包丁を台所から持ち出して、で、後はあなたの方が良く知ってるよね。でもね、藤塚君、あなたがドアを開けて入ってくるのは実ははっきり見えたの。不思議ね。でね、それが何かすごくうれしかったの……」
 ここまで読み終えると、藤塚の目に涙があふれてきた。勇気を出して部屋へ駆けつけて本当に良かったと改めて感じた。「そうだったのか」おおよその状況が漸く分かった。藤塚が何となく思い描いていた物語の展開そのままであった。ただ、彼女に暴力を振るったという男が憎らしく、「許せない!」と憤りを強く感じた。
「藤塚君には何でも話しちゃって、素直になれる。どうしてかしら?私、自分でも分からない。お母さんにも彼のことは内緒にしてたのにね。病気のこともね。笑わないでね、馬鹿な女だって。でも、あなたは信頼できそうだから。紫陽花の花を見つめているあなたを見て、誠実そうな人だって思っていたから……
作品名:紫陽花 作家名:ニンニン